35 蜜芋くらい甘い時間(到着)

  11


 迎えた、十二月二十三日。

 富士彦ふじひこは、調理室の様子を音声のみで窺いながら、未来みらいの合図があればすぐに突入できる態勢を整えていた。それにしても少女たちのやり取りは、罵声が飛び交うよりよほど恐ろしかった。

 そうして未来のヘルプが放たれ、富士彦は第二調理室へ突入したのだ。


 富士彦は挨拶もろくにせず、即座にあんとの間合いを詰めると、拷問道具という名の工具を握りしめる細い手首を取り、力任せにねじり上げた。

いだだだっ……!」

 一瞬は護身用スマホカバーで反撃しようとした杏だったが、ただただ粗暴な扱いに、成す術もなく振り回され、手中からタッカーを落としてしまった。

 富士彦はそれを拾い上げ、カバンにしまった。

「ぼーりょくはんたーい……」

 右腕から、人を助けにきた富士彦の温もりが消える。

 右の掌から、人を傷つける杏の冷たい感触が消えた。

「どの口が。それより未来さん大丈夫か?」

「うん……自分で抜く」

 依然として、未来の体からスタンガンの痛みが引いてゆく気配はなかった。けれど泣言を漏らしたところで、苦痛が消えるわけではない。

 まず、皮膚に深く食いこんだステープルを浮かせるため、ボストンからピンセットを取り出し、震える左手でステープルを狙った。が、その先端が腕に触れるだけで、怖気づいてしまった。

「……あぁ、もう!」

 そうなると、あとは自棄やけだった。未来は歯を食いしばり、カーディガンとステープルの間に先端をねじこみ、隙間が生まれたところで一気に引き抜いた。眉毛のようにすんなりと抜けてくれないので、それがまた胸をかきむしる思いだった。

「痛ぇっ……」

 今度は対処法を変えようと、突き刺さった周りの皮膚を強く押し、ステープル自体を浮き上がらせる作戦を取った。よく、指にトゲが刺さった時に使う手法だ。とはいえ、抜く瞬間の痛みはそれほど変わらなかったし、押しこんだ分だけ痛みが増した。

 杏はニヤニヤしながら、やっとこさ二本目を抜いた後輩を見下ろした。その言動を終始警戒する富士彦は、まるで生きた心地がしていなかった。

「ふ、富士彦? そいつのスマホには触っちゃダメだからね。あたしと同じ目に遭いたくなかったら、注意しといて」

「ネタバレつまんなーい。富士彦君の体にも工作したかったのに」

 あからさまに煽り立てる杏。そんな態度に腹が立ち、三本目にいたっては、爪の先を無理矢理ねじこむように引っかけ、力任せに引き抜いた。その抜き方が最も効率が良かったが、痛みも最も強かった。

 そうして袖をまくると、計六ヶ所の痛々しい穴から血が滲んでいた。

「富士彦君に、やさーしく抜いてもらえば良かったのに。そうすれば、蜜芋くらい甘い時間を過ごせたんじゃあないかい?」

「黙れ……。てかあんた、一気に不利になったけど?」

「やってやれないことはないだろう?」

 変わらぬ両者のいがみ合い。それを無視し、富士彦はカバンから絆創膏を取り出すと未来に差し出し、「逃げるぞ。無理なら担いでく」と耳の側でつぶやいた。 

「だ、大丈夫」

「ここに居ても良いことはない。変な意地は捨ててくれ」

「わかった……」

 富士彦は未来の湿った手を優しく握ったあと、勢いをつけて立たせた。未来はその勢いで富士彦にもたれ、フラフラする体で出入口に向かった。

「おやおや、逃げるのかい?」

「この状況における、優先順位プライオリティが変わっただけですよ。もとい、会長に二度と関わらなければ、すべて解決ですけど」

「傷つく言い方だね」

 富士彦は杏の言葉を無視して引戸を開け、廊下の様子を確認した。すると引戸のすぐ横には、見慣れたキツネ顔がキョトンとし、一件に関知していない目を細めていたのだ。突然の巡り合いだった。

「げっ……愛佳あいか? なんで……」

「いや、会長さんと話したいことがあって自宅を凸ったんだけど不在でさ。で、ここに居るかもしれんと思って来てみたの。そしたらこの有様」

 愛佳の介入により、未来と富士彦は同時に眉をしかめた。

「私にも運が向いてきたかな?」

 振り返った先の、一計を案じるようにほくそ笑む杏を見据えながら。



  12


 ――愛佳が第二調理室に到着した時、調理室の前には、不穏な表情の富士彦が待機していた。それをやり過ごすように廊下の角から眺めていると、ただならぬ様子で調理室に突入していったのだ。

「……いつもと雰囲気ちがくね? これ、わたし帰って良いよね? それから、パーティもめんどくさいから不参加で」

 そうして現在。扉の前で主要人物たちと鉢合わせしてしまい、わけがわからないなりに、最もスマートにここから離れる方法を考えていた。

「せっかく来たんだから話くらい聞いていきなよ? この町の秘密について知りたくないかい?」

「あぁ、秘密? 大丈夫です、失礼します」

「大方、光田さんは富士彦君に打ち明けたんだろう? だったら鮎川さんだけ仲間外れなんて、可哀想だと思ってさ」

 調理室の会話量が増え、杏は暑さに耐えかねてエアコンを消し、窓を開けた。北風の具合からして、数分もせずにまた極寒に戻るだろう。杏は咄嗟に、桜色パーカーのフードを被った。

「人の話聞いてます? めんどくさいなあ、この人」

 愛佳は、変わらず自衛の心構えを見せた。三人に敵意があるわけではなく、合流したばかりの愛佳と三人とでは、温度差がありすぎるのだ。

「特別な肉を食べるんでしたっけ? まさか人間とか言うの? んなアホな」

 愛佳は事を穏便に、加えて当たり障りなく収めるための冗談を放ったつもりだった。一方で杏は微笑し、未来と富士彦は戸惑いながら目を逸らした。

「なに黙ってんの? あぁ、もしかしてテッテレー?」

 一向に黙ったままの三人を見据え、愛佳はついに眉を吊り上げた。これ以上、馬鹿馬鹿しい話には付き合っていられないという意思表示である。

「鮎川さんも、そういう顔するんだね。その反応が正しいと思うよ。食人を鵜呑みにした富士彦君が、むしろおかしいんだ。だとしてもね」

「煽りが上手なこって。俺は、本気で助けを求めてきた少女の言動を信じたまで」

「相変わらずだね。ところで鮎川さん? もし今の話が本当だとして、歓迎会の時に君が美味しそうに食べていた料理がそれに該当するとしたら、どうする?」

 それは、突然の転機だった。

 喜色きしょくに染まる杏の頬。

「え……?」

 青色が浮かぶ愛佳の顔。

「嘘つくな。あれは違うだろ」

 咄嗟に未来が、刺すような目つきで睨みつけた。

「おや? 光田さん、なんで君には嘘ってわかるのかな? もしかして、あの時が初めてじゃあなかったとか?」

「『あの時』って……だからあれは違うって。あ、いや……あたしは……」

「あれ? どこかで経験が?」

 完全に杏のフィールドに持ちこまれた未来は、二の句が継げずに長息を吐いた。口を噤んでも真実を告げても、不利な状況を招いてしまう。そうかと言って富士彦、愛佳の両名に助けを求められる話でもない。

「会長、上手いな」

 富士彦は、眉をしかめてぼそっと漏らした。ばっくれることも可能な状況から、一気にひっくり返されたのだ。旧知の仲というだけあって、杏が羊の扱いに慣れていた結果だ。

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