22 箸で大豆を摘まむもどかしさ
安藤邸から、無傷で帰還した翌日。
採食同好会が終わると、昨日の出来事を
「さんフジー? 先輩との甘いひと時、もうちょっと詳しく教えろや」
「スパイス強めでした。あと、リンゴみたいに呼ぶのやめてもらって
「
ここには日常がある。
富士彦は本拠地に戻れた安心から、数えきれないほどの溜息をついていた。できれば
「あの人に限って、それはなさそうだけど。ところで未来さん、会長が言ってたんだけど、
富士彦はいつもの風景をを肌身で感じながらも、頭から離れない疑問を、真剣なトーンで地元娘に尋ねた。一方、少女は目を落とし、薄く濁ったブラウンが漂う容器を眺めていたが、
「高校なんて通り過ぎてゆくだけ。富士彦は賢いんだから、まともな大学に進学するだろうし、満喫町を知ったって得はないの。わかる?」
一拍置いて、溶けた氷と交じり合ったキャラメルマキアートをストローで吸うと、不味そうに顔をしかめた。ここまで
「ちょっと気になっただけなんだ。話しにくいなら本人に聞いてみるけど」
「杏に? 待って、それは……! あの……待って?」
一方で未来は、あからさまに杏を避けようとする。のみならず、富士彦や愛佳が近づくのさえ拒んでいるのだ。
「会長と仲悪いよな、呼び捨てだし。過去に……なんかあった?」
富士彦は普段、他人のプライベートにずかずか踏みこむような真似はしない。けれど、ここまでこじれていると、逆に聞いてくれという
「アイツは……」
言いかけて、未来は目を逸らしてしまった。このテーブルだけ、時間が一向に進んでゆかない。
「でもさホラ、会長さんが食えない人なのはわかる気がする」
不穏な空気を入れ替えようとしてくれたのは愛佳だった。馬の尻尾を振りながら、隣に座る未来と、斜向かいの富士彦に目を配り、気の利いた一声を発したのだ。
「お、おう……というより人を食う性格だな」
「それな。さすが
「あの人って、掴みどころがないんだよ。すべてが本心で語ってない感じ。あと俺のこと、世界文化遺産みたいに呼ぶのやめてもらって
渡りに船とばかりに、愛佳の先輩イジリに便乗した富士彦。
反面、未来は元から白い顔をいっそう蒼白くさせ、前屈みでテーブルと睨めっこするばかりだった。杏ほどではないが、普段から眉が読みづらい彼女の私意を詮索するのは、箸で大豆を摘まむもどかしさに似ており、どうも調子が狂ってしまう。
「やっぱ話さなくちゃいけないのか……」
そうかと思えば、
「この町は……いや、一定の人たちは、昔から格別な肉を食べる習慣がある」
「それが、あの時に食べた郷土料理なの?」
「……どうだろう」
愛佳の優しい問いに、軽く首を傾げた未来。
おおよそ
かといって、未来が大風呂敷を広げているとも思えない。どういう料理にせよ、簡単に口にできない名産品と推測できるし、【五大の罪】が存在する以上、法外な料理が出るとも思えない。
「でも調理には資格が要る。それも、選ばれた者だけが付与される資格。例えば、この町で古くから地位を築いている旧家の人間、とかね」
――安藤邸、か。
未来の
ひとまずこの話題は家に持ち帰り、改めて熟考したかった。すると視線の斜向かいで、顔をしかめた愛佳が、耳の裏の後れ毛を触りながら、「うーん……」と低く唸った。あからさまに考える仕草を見せたあと、
「あのさ? 話ぶった切ってゴメンなんだけど、今の聞いてて、ちょっと思うところがあって。わたし……ある友達が居るんだ」
普段から外向性が高く、無邪気で明るい愛佳が、引きつった声を出して、話のいとぐちを探ったのだ。ここにふたりが居るからこそ、行きついた行動にも思えた。
「『アナンちゃん』っつって、いつか紹介したいと思ってた友達……。なんだけど、無理なんだよね。実態がないから」
「どういうこと?」
未来が首を傾げたあと、
「つまり、イマジナリーフレンド?」
富士彦は控えめな音量で、核心を衝くように尋ねた。
「さすがフジさん。わたしには小さい頃から架空の友達が居んの」
「非過去形ってことね。まあ、大人でもイマジナリーフレンドを持ってる人は居るし高校生なら尚のこと。俺だって小さい頃あったから、別に変じゃないよ」
架空の友達はいつしか消えてしまうが、その記憶は確かに心に残っている。ゆえに愛佳の心情は理解できた。
「ありがと。でもね? わたしにとってアナンちゃんが存在すんのは家の中――もっと言えば、自室だけだったの。けど高校に入ってからは、外出してる時も不意に出てくるようになって……」
「つまり満喫町を行き来するようになってから? であれば、その子とリンクするモノがこの町に存在してるんじゃないかね」
「やっぱ、そういうことだよね」
愛佳は、謎の解明を求めながらも、過去を
考えられる原因を、ひとつずつ切り分けてゆけば、いつかは答えに辿り着けるかもしれないが、それを行うのが正解なのだろうか? 彼女は『答え』を望んでいないようにも解釈できる。
なにより気にかかるのは、急に口数が減った未来である。
どうもこの数分で、がらっと様子が変わってしまった。原因があるとすれば、キーポイントは安藤邸での出来事、あるいは雑談の中に紛れていた地雷である。
キリの良いところでコーヒーショップを出ると、愛佳は個人的な買い物があると、駅とは違う方向へ小走りしていった。残された富士彦と未来は、家路をゆっくり歩みながら、ろくに顔も見ずに声だけを交える中、
「あの、富士彦……今から暇? 良かったら、どっか行かない?」
「あーぁ、今日は姉ちゃんに頼まれてることがあって……」
「え、お姉さん? ごめん、いつも暇みたいな言い方して」
「いや、違っ……ごめん俺も、えっと――」
「違うの富士彦……それじゃ、あす、あ……なんでもない。あの、また月曜ね」
クラスメイトとは思えないくらい会話をどもらせてしまい、同時に顔を逸らしてしまった。こうなってしまっては、駅と自宅――それぞれの道に足を向けるほかない。
未来は寂しそうに手を振り、小さな笑みを浮かべながら「またね」とつぶやいていた。今日もあすも、予定なんてない。
「はあ……。一番ドイヒーなのは俺か……」
――未来のことは決して嫌いではない。
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