22 箸で大豆を摘まむもどかしさ

 安藤邸から、無傷で帰還した翌日。

 採食同好会が終わると、昨日の出来事を愛佳あいか未来みらいに伝えた。コーヒーショップに入店してから、かれこれ三十分は経過している。


「さんフジー? 先輩との甘いひと時、もうちょっと詳しく教えろや」

「スパイス強めでした。あと、リンゴみたいに呼ぶのやめてもらっていですか?」

あんの奴、富士彦ふじひこに【五大の罪】を教えたってことは……下心が」

 ここには日常がある。

 富士彦は本拠地に戻れた安心から、数えきれないほどの溜息をついていた。できればよいまで駄弁だべっていたいほどの依存いそんがあった。

「あの人に限って、それはなさそうだけど。ところで未来さん、会長が言ってたんだけど、満喫町まんきつちょうの秘密ってなに?」

 富士彦はいつもの風景をを肌身で感じながらも、頭から離れない疑問を、真剣なトーンで地元娘に尋ねた。一方、少女は目を落とし、薄く濁ったブラウンが漂う容器を眺めていたが、

「高校なんて通り過ぎてゆくだけ。富士彦は賢いんだから、まともな大学に進学するだろうし、満喫町を知ったって得はないの。わかる?」

 一拍置いて、溶けた氷と交じり合ったキャラメルマキアートをストローで吸うと、不味そうに顔をしかめた。ここまでがんとした態度を取られると、『秘密』とやらに手を伸ばすのを辟易へきえきしてしまう。

「ちょっと気になっただけなんだ。話しにくいなら本人に聞いてみるけど」

「杏に? 待って、それは……! あの……待って?」

 一方で未来は、あからさまに杏を避けようとする。のみならず、富士彦や愛佳が近づくのさえ拒んでいるのだ。

「会長と仲悪いよな、呼び捨てだし。過去に……なんかあった?」

 富士彦は普段、他人のプライベートにずかずか踏みこむような真似はしない。けれど、ここまでこじれていると、逆に聞いてくれという底意そこいさえ感じていた。

「アイツは……」

 言いかけて、未来は目を逸らしてしまった。このテーブルだけ、時間が一向に進んでゆかない。


「でもさホラ、会長さんが食えない人なのはわかる気がする」

 不穏な空気を入れ替えようとしてくれたのは愛佳だった。馬の尻尾を振りながら、隣に座る未来と、斜向かいの富士彦に目を配り、気の利いた一声を発したのだ。

「お、おう……というより人を食う性格だな」

「それな。さすがMount Fujiマウントフジまとてるねえ」

「あの人って、掴みどころがないんだよ。すべてが本心で語ってない感じ。あと俺のこと、世界文化遺産みたいに呼ぶのやめてもらっていですか?」

 渡りに船とばかりに、愛佳の先輩イジリに便乗した富士彦。

 反面、未来は元から白い顔をいっそう蒼白くさせ、前屈みでテーブルと睨めっこするばかりだった。杏ほどではないが、普段から眉が読みづらい彼女の私意を詮索するのは、箸で大豆を摘まむもどかしさに似ており、どうも調子が狂ってしまう。

「やっぱ話さなくちゃいけないのか……」

 そうかと思えば、殊更ことさらに意見をひるがえし、遠慮がちに流し目をよこした。ぼそぼそと、会話の流れに乗っかるように。 

「この町は……いや、一定の人たちは、昔から格別な肉を食べる習慣がある」

「それが、あの時に食べた郷土料理なの?」

「……どうだろう」

 愛佳の優しい問いに、軽く首を傾げた未来。

 おおよそ仔牛こうしとか、猪の睾丸こうがんとか。奇をてらって、つるとかラクダとか――人がまず口にしないものだと思うが、そんなものを格別なんて呼ぶだろうか? 

 かといって、未来が大風呂敷を広げているとも思えない。どういう料理にせよ、簡単に口にできない名産品と推測できるし、【五大の罪】が存在する以上、法外な料理が出るとも思えない。

「でも調理には資格が要る。それも、選ばれた者だけが付与される資格。例えば、この町で古くから地位を築いている旧家の人間、とかね」

 ――安藤邸、か。

 未来の示唆しさするような語り草で、富士彦は例の旧家を浮かべた。


 ひとまずこの話題は家に持ち帰り、改めて熟考したかった。すると視線の斜向かいで、顔をしかめた愛佳が、耳の裏の後れ毛を触りながら、「うーん……」と低く唸った。あからさまに考える仕草を見せたあと、

「あのさ? 話ぶった切ってゴメンなんだけど、今の聞いてて、ちょっと思うところがあって。わたし……が居るんだ」

 普段から外向性が高く、無邪気で明るい愛佳が、引きつった声を出して、話のいとぐちを探ったのだ。ここにが居るからこそ、行きついた行動にも思えた。

「『アナンちゃん』っつって、いつか紹介したいと思ってた友達……。なんだけど、無理なんだよね。実態がないから」

「どういうこと?」

 未来が首を傾げたあと、

「つまり、イマジナリーフレンド?」

 富士彦は控えめな音量で、核心を衝くように尋ねた。

「さすがフジさん。わたしには小さい頃から架空の友達が居んの」

「非過去形ってことね。まあ、大人でもイマジナリーフレンドを持ってる人は居るし高校生なら尚のこと。俺だって小さい頃あったから、別に変じゃないよ」

 架空の友達はいつしか消えてしまうが、その記憶は確かに心に残っている。ゆえに愛佳の心情は理解できた。

「ありがと。でもね? わたしにとってアナンちゃんが存在すんのは家の中――もっと言えば、自室だけだったの。けど高校に入ってからは、外出してる時も不意に出てくるようになって……」

「つまり満喫町を行き来するようになってから? であれば、その子とリンクするモノがこの町に存在してるんじゃないかね」

「やっぱ、そういうことだよね」

 愛佳は、謎の解明を求めながらも、過去をはばかるように、言葉の上で薄霧うすぎりを発生させている。

 考えられる原因を、ひとつずつ切り分けてゆけば、いつかは答えに辿り着けるかもしれないが、それを行うのが正解なのだろうか? 彼女は『答え』を望んでいないようにも解釈できる。

 なにより気にかかるのは、急に口数が減った未来である。

 どうもこの数分で、がらっと様子が変わってしまった。原因があるとすれば、キーポイントは安藤邸での出来事、あるいは雑談の中に紛れていた地雷である。


 キリの良いところでコーヒーショップを出ると、愛佳は個人的な買い物があると、駅とは違う方向へ小走りしていった。残された富士彦と未来は、家路をゆっくり歩みながら、ろくに顔も見ずに声だけを交える中、

「あの、富士彦……今から暇? 良かったら、どっか行かない?」

「あーぁ、今日は姉ちゃんに頼まれてることがあって……」

「え、お姉さん? ごめん、いつも暇みたいな言い方して」

「いや、違っ……ごめん俺も、えっと――」

「違うの富士彦……それじゃ、あす、あ……なんでもない。あの、また月曜ね」

 クラスメイトとは思えないくらい会話をどもらせてしまい、同時に顔を逸らしてしまった。こうなってしまっては、駅と自宅――それぞれの道に足を向けるほかない。

 未来は寂しそうに手を振り、小さな笑みを浮かべながら「またね」とつぶやいていた。今日もあすも、予定なんてない。

「はあ……。一番ドイヒーなのは俺か……」

 ――未来のことは決して嫌いではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る