28 麩

 翌日。十二月二十日、放課後。

 あんは一年生の下駄箱で、ひとりの少年を通せんぼし、「やあ、時間あるかい?」と切りこむと、警戒した様子もなく、「お構いなく」と返答された。

 遠目からの様相が異なると思えば、少年はメガネをかけていた。

「おや? 富士彦ふじひこ君、イメチェンかい?」

「コンタクト忘れちゃって」

 優等生ゆえか、よく似合っている。そのメガネごと、すべてをはぎ取って、個室にでも閉じこめてやりたくなるほど惹かれてしまったが、ここは我慢、我慢。

「昨日は私が悪かったよ。実はさ、鮎川さんとは小さい頃に付き合いがあったんだ。私は昔の記憶が少し曖昧で、そのことを聞きたくて躍起になってさ……ごめん」

「ナイフで脅すほど躍起になるとは、なかなか余裕がありませんね」

「わかっているさ、私はイカれた女だって思っているんだろう? 下剤を飲ませようとしたり、教室へカチコミに来たり。すべて謝るよ」

「いや。イカれてんのは、鮎川あゆかわ光田みつだコンビも同じだから別に」

 しかし、この男――どこまで本心なのだ? 仲間にさえ辛辣しんらつな物言いをする様は感情の底が知れず、次の発言さえ抑圧された気分になる。


「それより教えてくれませんか、この町の秘密とやらを。そして、禁忌とまで言った、【五大の罪】を犯し続けた末になにがあるのか」

 一瞬の間。あたかも杏を真似るような、ゆったりとした発声が心に絡みついてきた。こちらから仕掛けたというのに、自然な流れで核心に迫ってきたのだ。

「あぁ、君が望むならすべて教えてあげよう。ただし――」

「ゲームに勝ったら。大丈夫、はなからそのつもりで来てます」

 杏の発言を読んでいた富士彦が、わかりやすいイニシアチブを取りにきた。つくづく骨が折れる相手だが、遅かれ早かれどうにかしなくてはいけない。

 とはいえ、知力や体力ではまず負ける。であれば、最後に頼るのは『運』だろう。向こうから勝負を仕掛けてきたのだから、その辺りも読まれているだろうが。

「ついておいで」

 杏は作った余裕を表情に宿し、第二調理室ホームグラウンドへと案内した。足元から冷えが昇ってくる室内、カバンをイスに置いて早々に、

「今から行うのはピッグというゲームさ。ルールは簡単、1を出さずに出目の合計が100に達するまでダイスを振り続けるだけ。けれど少しルールを変えよう。時短のために、ふたつのダイスを使用し、チンチロリンの要領で器に投げ入れる」

 ゆったりとターンした杏は、食器棚から丼でも茶碗でもなく、手頃なチューリップ型のコップを手に取った。「こっちのほうが可愛いだろう?」と女子らしい理由を述べながら。


・ルール

 ① 先攻後攻を決める

 ② ひとりずつ賽を振り 出目を合計してゆく

 ③ 『1』が出たらターン終了 そのターンでの得点は没収される

 ④ ターンを降りるフォールドするタイミングは自由 その際、合計得点が加算される

 ⑤ 合計得点が100に達したプレイヤーが勝利

 ⑥ 同ターンで複数名が100を超える場合 より点数の高いプレイヤーが勝利


「1が出る確率は……ざっと30%くらいですか?」

「まあ大体30.5%さ。ただ、それを連続で出さないようにすると?」

「課外授業は勘弁してください。で、先攻で100以上に達しても、後攻がその点数を超えれば、サヨナラ勝ちってことですね」

「まあ摘要サマリーはそんな感じさ」

「参考にならないでしょうけど、宝くじの一等を当てる確立が、サイコロを振って同じ目を九回連続で出すのと同じくらい、ってどこかで見ましたよ」

「身銭を突っこむ奴の気がしれないね……」

 富士彦の補足に苦笑しながら、杏はカバンから小袋を取り出すと、中から透明のダイス――クリア、赤、青、紫の四色を調理台に放り出した。

 調理台の1、3、4、6――ゲームが始まる前の余興だというのに、1に敏感に反応してしまうのは、やはり負けを恐れているからかもしれない。

 杏はなにも語らずに相手の出方を窺うと、「ではお先に」と男声。クリア、紫のダイスを選択し、「会長が勝った場合、俺はなにをすれば?」と続けてきた。余裕の表情で何度かダイスを手中で転がす少年は、もう勝ちを見据えているのだろうか。

「ちょっとばかり大人しくしていてくれないかい? 数日で良いからさ」

「ポケットに忍ばせた調理器具で大人しくさせるってことですか」

「そこまでアクティブじゃあないさ」

 杏が不敵な笑みを返すと、富士彦はなにも言わずに右手でグラスを引き寄せ、左手から一投目を放った。


 静寂に包まれながら、富士彦の第一ターンとともに勝負が始まる。

 彼は緊張もへったくれもなく、一投目4と6、二投目3と5、三投目2と6、四投目4と5と出し続け――

「待て待て待て! 淡々とカランカランじゃないんだよ! しかも、大きい数字ばかり出すし……。もう少し、こう……もったいぶったりするんだよ」

 あまりにもほいほいと振ってゆくので、思わず杏はそれを中断させてしまった。

「会長って山猫軒やまねこけんくらい注文多いですね……」

 渋い表情でコップのダイスを手中に戻した富士彦は、気を遣うようにわずかに一呼吸してから五投目を行い、2と3を出した。しれっと得点を追加したところで、

「ターンエンドです」

 丁寧に、かつ憎たらしく言い放ってきた。この後輩、わずか三十秒で五投し、合計を40まで増やしてしまった。

「ま、まあ……なかなかやるんじゃない?」

 杏の眉間にできた渓谷が、如何ともしがたい遺憾を物語る。


 四の五の言っている場合ではない、もう勝負は始まっているのである。

 ――いざ、杏の第一ターン。

「行くよ」

 決心の面持ちで初手を投じ、ふたつのダイスがコップの中でカラカラと、氷とは異なる、無機質で小気味良い音を奏で、四角形の面が天井を向いた瞬間、

「ぶっ……」

 すぐ横で吹き出した富士彦が、咄嗟に顔を逸らしていた。

「笑うなー!」

 杏は少年の腕を引っ叩いたあと、さっさとそのダイスを手中に収めた。

 一投目から1と1ピンゾロを出したのだから、富士彦が笑いをこらえられなかったのも――悔しいけれど、理解できる。

「面白いんで、もう会長の勝ちで良いですよ?」

 にやけながら同情してくる富士彦に、もう一発ばかり平手をお見舞いしようとしたら、今度はバックステップでひらりと回避され、

「う、うるさい……ほら、君の番!」

 杏はどうにもこうにも感情のやり場を失い、コップを強引に差し出した。

愛佳あいか未来みらいさんも含め、やっぱ芸人ですよね」

「かしまし娘みたいな扱いを……。ま、せいぜい君の強運を見せてよ?」

 ここから巻き返したいところだが、杏はこの勝負に勝機を見出せていなかった。

 いや、それでも良い。結果、敗北したとしても盤面は杏の手の中なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る