32 芸術的な人間DIY(暴走)

  4


 十二月二十三日。

 あんは窓辺の丸椅子に座りながらクッキーを頬張り、引きずるような足音を聞き、

「時間どおりだね。パンクチュアルな子は嫌いじゃあないよ。そうそう、クッキー作ってきたんだ。おひとついかが?」

 第二調理室のドアが開いてすぐ、調理台の上のリュックに手を突っこんで、ビニールに入った焼菓子を取り出し、未来みらいを歓迎した。

「下剤入りクッキー? 変態だな」

 未来は相手に合わせ挨拶はせず、すんなりと場の空気に溶けこんだ。

「残念ながら普通のクッキーさ。最期の晩餐くらい美味しいものが良いだろう?」

 杏はくすりと、小振りな果実さながらのかんばしい一声を見せつけた。まだ悶着ムードは晒さず、同好会メンバーとしての女子トークを心掛ける。

「それ、お互いにって意味?」

 未来が普段のイスに落ち着く。

 立ち代わるように杏は座面から尻を上げた。



  5


 未来は調理室を見回し、カメラや罠のたぐいを警戒したが、目に見えるトラップはなかった。

「暖房は入っているよ。アウターは脱いだらどうだい?」

 それとなく促した杏のコートは、丸椅子の上に畳んである。それでもほんのり汗をかきそうな室温だ。

「調理する環境じゃないくらい暑いけどな」

 倣うように、未来はコートとブレザーを脱いで、同じように丸椅子にまとめた。

「本当の調理室は、突き当りの女子トイレの奥にあると言ったら信じるかな? 秘密のオシャレ小部屋さ」

「あながち嘘じゃなさそう。いやに外に突き出てるし。それよりなに企ててんだ?」

「あぁ、それね」

 そもそも杏は、ちんたらとゲームをして敗北感を与える気なんてなかった。後ろ盾がなくなった未来は、下ごしらえはバッチリである。あとちょっと背中を押してやれば、谷底に落ちてゆくのだ。もう一押ひとおしなのである。

 杏はしみじみと後輩の顔を見据え、ポケットからスマートフォンを取り出し、彼女が座るイスの側まで歩み寄った。

「このスマホには秘密があってね。ふふっ」

「なんだよ」

 そうして杏は画面に目を落とし、未来が釣られて目線を下に向けた。その瞬間を待っていた杏は、スマートフォンの縁を未来の腹部へ抉るように押しつけた。

「――いぐっ、ぐ……!」

 ほどなく未来のいびつな苦悶が、一笑に被さった。

「へえ、初めて使うけれど効き目は抜群だねえ」

 自分の意志では制御しきれないストレスの塊が未来を襲う。不規則に体を震わせ、腹部を押さえてイスから落ちた未来は、荒々しい呼吸をし、毎秒百回の針責めを受けているような痛みを味わい続けた。

 なにが起きたか理解できない。疑問や文句を呈する余裕もない。今はただ、動悸が治まるのをじっと待つしかなかった。



  6


「あぁ、これはスマホカバー型のスタンガンだよ。昨今は物騒だからね、私もロリコンに襲われたら大変だろう? ははっ」

 杏は表向きの釈明をしたのち、リュックに忍ばせていた建築用ホチキスタッカーを取り出すと、到底まだ復帰できない未来にゆっくり近づき、その手首を掴んだ。

「でもさ? そういう時は、このくらいすれば襲ってこなくなると思うんだ」

 そうして杏は迷いなく、未来の前腕にステープルを打ちこんだ。

「いっ……!」

 ステープルを打ち出す痛快な機械音が、何万ボルトを食らった時とは異なる、濁った肉声を引き出してくれる。金具が深々と突き刺さるカーディガン越しの腕は、芸術的な人間DIYだ。杏は抑えきれない欲情に襲われ、二発三発と続けて打ちこむと、それに合わせて未来の体が跳ね、胸が満たされていった。

「ふぅ……ははっ、やっぱりカーディガンとワイシャツは余裕で貫通するね。じゃあ次は、暴言ばかり吐く悪い口を留めてあげっ――いだっ!」

 杏が嬉々として、次なるステープルのエイムを定めている途中、小さな顔側面には一切の加減がない裏拳が叩きこまれた。

「き、君はすぐに手が出るんだから……」

「い……痛ぇのはこっちだっつーの! この、あんぽんたんが!」

 未来は振りきった拳の勢いを止めきれず、そのまま上半身から崩れ落ちた。

「口悪いなあ……しかし、よく動けるね。これが追いこまれた羊か……いてて」

 唇、腹部、太もも、下腹部――と順番に施すはずだった杏の計画は、気力とか根性とか、未来らしい精神論に阻まれてしまった。なにより彼女を突き動かしているのは憎悪にほかならない。いんキャラらしい原動力である。

 未来は、内臓にまで残り続けるスタンガンの刺すような痛みと、連続でステープルを打ちこまれた疼痛とうつうと、倒れこんだときに床に強打した肘の鈍痛どんつうと――様々な苦悶がミックスされて、次なる言動をまったく考えられなくなっていた。予想の範疇はんちゅうを超えた杏の奇行も相乗し、鳥肌が治まらない。

「でも、綺麗に刺さっているじゃあないか。耳のピアスよりも素敵だよ?」

 杏は涙目になりながら、鉄の味がする口内を動かし、パーカーとワイシャツをめくって、腹部を露出させた。その下にある、秘め事のような大判の傷パッドの一部をはがして、生々しい傷を見せつけた。

「ほーら、私の傷もステープルで留めてあるんだ。お揃いお揃い」



  7


「もうやだ……なんでいつも、こんなひどいことするの……」

 未来みらいのうずくまる言動を聞いて、あんの心はついに狂乱で弾け飛んだ。ホウセンカの実から四散する種のごとく、嬉々として行き場を失ったのだ。

 ――である。

 この態度こそ杏が望んでいた、未来の姿なのだ。感情的になって、暴力で反撃した先にある本来の、傷ついた野生動物のような姿が愛おしい。

「意見の相違があるみたいだ。私は君を遠ざけたいわけじゃあない。君を傷つけ、君に傷つけられることに、とてもとても興奮を覚えている。互いに痛みを共有できる相手は大事にしたいものだろう? 君は友達が居ない、わ……私も同じさ!

 小さい頃、君が私の家を訪れた時もそうだった! 誰にも相手にされない私たちは互いの傷を舐め合って、仲良く遊んだじゃあないか! なのに君は……安藤家に来なくなってしまっただろう? 学校で声をかけても避けられ、無視され続けた。だから同じ高校に入学した君が採食に顔を出し、さらには自ら声をかけてきてくれたのが嬉しくてたまらなかった! 一度逃げ出した羊が戻ってきてくれたのだから!

 けれど久々に出会った羊にはもう、仲間が居た。あまつさえ、その男子を好きになり、その女子と毎日一緒に居る。君が最も付き合いの長い友人は誰だ? 目の前に居る、安藤杏だろう? 違うかい? 違わないだろ!」

「……弟を殺したの杏でしょ。違う?」

 未来は長台詞ながぜりふに対し、たった一文、まるで見当違いの質問を返した。

「なにを……」

「そして弟を食らった。それを世間に知られ、不気味がって誰も安藤家に近づかなくなった。幼かったあたしはそんなこと知らなかった。でも、安藤家に足を運んでいるのが親にバレて大目玉を食らって以来、遊びに行かなくなった」

 スタンガンの痛みが引いてゆく気配はない。意地で立ち上がろうと床に手をつくが、ステープルが打ちこまれた腕に痛みが走り、行動を躊躇ためらってしまう。

「そうか、そうか……やっぱり、弟は居ないのか。じゃあ、私と一緒に暮らしてるのは誰なんだ? こないだ君も見ただろう?」

「……幻覚でしょ。しょせん、あたしたちは……ずっと幻を見続けてるだけ……」

「ははっ、それなら合点がいくな」

「ふふっ……あんた、あたしに敗北感を与えて、除名するなんて口実でしょ? 初めから、あたしをパーティのメインディッシュにしようとしてたんじゃない?」

「なってくれるなら嬉しい限りさ。でも、こうして君と接したかったのは私の本心なんだよ。あの時の感情が蘇ってくるようだ……また、一緒に遊びたいなあ? 今できるゲームといえば、やっぱり我慢比べかな?」

 言いながら杏は、タッカーを右手で握り直した。興奮のせいもあり、やけに掌がべとつく。未来も同様に、同じくらいの発汗に襲われていた。

「やめ……もう無理だ。あたしひとりじゃ限界、助けて……

 未来が震える声で吐き出した。それは、もはや懇願だった。

「なにをのたまうかと思えば。いくら彼でも、そんなヒーローみたいに登場されちゃあ、たまったもんじゃ――」

 それは、昂った杏が煽り文句を吐き捨てている途中だった。

 不意に、第二調理室のおんぼろ引戸が勢いよく開き、縦枠にぶつかる騒音が生まれた。大きな音に対し、ふたりの女子は同時に怖じながらも――その根底にあったのは安心感、もう片方は対極となる憂いだった。

 第二調理室に現れた少年――

「未来さん、呼ぶのが遅い」

 富士彦は、一言目に説教めいた文句をつぶやいた。

「え、なんで君が……だって、君は……」

 杏は、自室で害虫に遭遇してしまった時のように目を見開き、一瞬ばかりの怯えを見せてしまった。

「あのメガネ型カメラのデータ、すでにクラウドに保存されてるんですよ」

「っ……これだから、リスクヘッジができる子は困るよ」

 そうしてすぐ、顔を引きつらせながら笑った。

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