13 滴る酸性の滝

 食べ放題の残り時間、二十分。

 ケーキ類――六つ。ムース――ふたつ。

 ソルベ――ひとつ。プリン――ひとつ。

 サラダ――少々。サンドウィッチ――一切れ。

 それらが、ぐるぐる――

 というよりも、きりきりと未来みらいの胃の中で蠢いている。アイスティーは一杯半で止まり、危険信号が静かに点灯した。


 野球のスコアボードで言えば、九回裏で三つ目の緑色が点灯した状態だ。あとひとつで、サヨナラ押し出しの溜飲りゅういんが確定する。色々な意味でゲームセッ!

 実家で流れていたナイターを思い出しながら『どうでも良い例え』と長息を吐いて、オシャンティーなスクエア型の照明を見据えた。あゝ、照明までケーキに見えてきた。とうに限界は訪れているということか。

 最後の力と意地を振り絞り、マカロンへ手を伸ばすべきか、伸ばさざるべきかで苦悩していたが、限界突破を試みれば最後、乙女のトップシークレットが胃から口内へ上ってくるおそれがあった。――全然、へのへのかっぱではない。

 女友達と、スイーツの食べ放題に来れたことに浮かれすぎて、好物の存在を忘れていた未来の抜かりである。後味の良い終幕を求めた未来は、背もたれに上半身を預け、顔色を変えずに五つのケーキに食らいつく愛佳あいかを眺めた。

「大丈夫、みぃちゃん? 太っても知んないからね」

「お前が言うな。あたしはもうFinished」


 残り時間十分。

 愛佳は追加で持ってきた三個のババロア、三個のケーキを五分で平らげ、仕上げに七つのババロアやプリンを胃に収めてしまった。収納名人かコイツは。

「ふーぅ、結構食べた。もう時間かな?」

 ここまで見せられると、口からは嘆賞たんしょうよりも心配がこぼれそうになる。愛佳のリザルト画面は、あまり見たくなかった。

「お、お疲れ……」

 言葉に詰まった未来は、優しい労いを捻出し、会計を促した。


 店を出て、外気に触れた瞬間の虚脱感は、この世の終わりだった。

「暑っ……あ、これからどする? 愛佳はもう帰る?」

 これからの予定はない。駅のほうへ歩いてみるが、一歩一歩が胃に響いてくる。

 気を紛らわそうと愛佳の横顔を覗くと、ちょうど彼女もこちらを振り向くタイミングだった。目が合う瞬間、彼女は申し訳なさそうに、

「ごめん。さっきトイレ行きそびれたから、ちょっと近く寄って良い?」

 まるで用談のように、はにかんだ。

「あれまあ。近くにコンビニあったけか」

「確かあっちに公園あったよね。そこで良いよ」

 未来が、端末で地図アプリを開こうとすると、愛佳はそれを制止し、あたかも知っていたかのように、住宅街の方を指さした。愛佳の言うとおり、この商店街付近にはマンションが多くそびえており、子供の遊び場も点在している。

 二、三分で着いた公園は、いくつかの遊具が設置された大きめの公園だった。

 放課後なのに、ブランコや滑り台、四阿あずまやにも人気ひとけがなく、公園では閑古鳥かんこどりが鳴いていた。夏日にやられて、現代のキッズは自宅でオンライン遊戯だろうか。

「ちょっと待ってて」

「ごゆっくり」

 個室へ向かった愛佳に手を振り、未来は片陰かたかげを拾うようにベンチに座った。一分もせずに襲ってきたのは、急激な眠気だった。授業中の睡魔のように時折やってくる、自然になぞらえる眠気というものは一向に耐えがたいものだ。

 目を細めた先、雄大な雲の峰が、二棟のマンションの間から顔を覗かせた。通り風がどこからともなく人の声を運んできて、眠気を増加させる。草木を撫でる涼風に耳を傾けながら目を瞑ると、一秒が一分に相似した。犯罪件数が著しく低い満喫町は、実にのどかだ。


 ――眠っていたのだろうか。

 丸型のスマートウォッチに目を落とし、途切れた意識を遡らせた。腰かけてからもう、デジタルの秒針が三週している。

 もうしばらく目を閉じていよう――思った矢先、せき込む声が聞こえた。未来は半開きの目でキョロキョロしていると、今度は息苦しそうな呻きが風で流れてきた。それを、『愛佳のもの』と断定するには充分すぎる声量だった。

 細い息を吐きながら未来はトイレに駆けこんだ。

 閉まっている個室はひとつ。

「――え、ちょっと愛佳? どうしたの、大丈夫?」

 扉の前で友人の名を呼んでも、しばらく小さな息遣いが聞こえるだけだった。

「う、うん……だ、だいじょ――」

 彼女の存在は明瞭としており、その苦心が耳朶じだに触れた途端、

「うぇ……! うごっ……おえぇ!」

 耳の奥を覆ったのは、詰まった排水溝が流れてゆくような、愛佳のそれだった。緩く滴る酸性の滝が、鼓膜を溶かしてゆく。

 ――未来の頭はぐるぐる回り、やや正気を失いかけてしまった。

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