第43話 特別な夜

 樋口先生が帰った後、部屋には妙な気まずさが漂っていた。

 それと言うのも、樋口先生が避妊なんて言葉を口走ったからだ。

 ただでさえ今日はちょっと意識してしまっているって言うのに、更に意識してしまう。

 

 ——お互いに意識し過ぎているのか、会話も途切れ途切れだ。


 そして時間を追うごとに強まる雨脚。

 まるであの日の再現のように。


「本当にあの夜みたいになってきたんじゃない?」

「そうね……」


「…………」


 会話に間が出来るのは、嫌いな方じゃない。

 ある意味それだけ、気を使わない仲だと言えるからだ。

 だけど、今日の会話の間は、ただただ気不味い。


「俺さ、ひとつあの日のことで樹に黙ってた事があるんだよ、前にちょっとそんな話になったからもう分かってるとは思うけど」


 前に……っていつだっけ。


「あれ? 忘れちゃった?」

「えっ、そんなことないよ!」


 なんて言いつつも、すぐには思い出せなかった。

 いつだっけな。


「…………」


 あ、委員長の話を寝たフリして聞いていた時だ。

 たしかあの時は、柿本に『継ぐ音』のアキラってバレた話になって、この話にはならなかったんだ。


 勿論、私がフライングしたあの事だろう。


「俺……あの朝、起きてたんだ。あの時はただただ驚いて、寝たフリしてたんだけどね」

「……うん」


 もう私も分かっていたけど、改めて言われると、恥ずかしい。


「俺ね、わりとずっと前から樹のことが好きだったよ。言い出す勇気がなかったんだけどね。だからあの時は、めっちゃ嬉しかった」


 わりとずっと前からって……いつ?


「目覚めたらあの状態だったから、いつキスされたかは分からなかったけどね……結構長かったんじゃない?」


 うん……どうだったかな。

 でも。


「私も衝動的な行動だったから、よく覚えてないんだけどね……でも、晃がそう言うんなら、長かったんじゃない?」

「そっか」

「うん」


「…………」


 また、会話に間があいた。本当に今日の間は気になる。


「今こうして、俺ん家で、樹と2人っきりでいることが、本当に夢みたいだよ。今は当たり前の事なのかもしれないけど、ずっとそれが当たり前の関係でいたいな」

「私も、ずっとこの関係が当たり前でいたい」


「…………」


 ……また、沈黙だ。

 どうしよう。


「珈琲でも入れる?」

「ううん、もう、お腹がたぷんたぷん」

 

 さっきから、落ち着かないからといって、もう、何杯も飲んでいる。

 言い出しといて、何だけど、私ももうキツい。


「ねえ樹……」

「うん?」

「そろそろ、俺の部屋にいこうか?」

「うん……そだね」


 晃の部屋……ついに、付き合って初めての夜。

 

 ていうか……別に初めてだからって、そんなに意識しなくてもいいわよね?

 晃もがっつり肉食系ってわけじゃないし、手を出してこない可能性だってある。


「…………」


 だめだ……手を出されなかったら出されなかったで寂しいし、悲しい。

 女心はやっぱり複雑だ。


「…………」


 部屋に入っても私たちは無言だった。

 無言……?


 あ……そっか、お互いに意識してるって分かってるのに、また自分のことばかりになってた。


 晃……緊張してるんだ。


 でも……どうすれば緊張を和らげさせてあげれるのか分からない。


 なにか……話題……話題はないかな。

 あっ……そうだ。


「晃って、いつもこの時間は何してるの?」

「え、この時間?」

「うん……寝るのは遅いんでしょ?」

「そうだね……いつも、この時間はギター弾いて動画撮ったりしてるかな」

「えっ……動画? もしかして動画サイトとかに上げたりしてるの?」

「うん、一応してるよ。見る?」

「うん! 見る!」

「まだまだ、だから恥ずかしいけどね」


 晃はA・Aというハンドルネームで動画をアップしていた。何か意味があるのかなと思ったけど。


「なんで、A・Aなの?」

「浅井 晃だから……」


 ただのイニシャルだった。


「樹ならI・Iだね」


 I・I……なんかお猿さんが出てきそうなんだけど。


「この曲って……オリジナルなの?」

「そうだよ……まあ、アヤトの影響受けまくりだけどね」


 ソロエレキギター……頑張ってるんだ。


「『継ぐ音』はカミングアウトしないの?」

「うん、最初は天音さんに言われて『継ぐ音』の知名度を上げれればと思って始めたんだけど、もう必要ないしね」

「そっか……」

「でもね、このチャンネルも、もうすぐで1万登録になるからね、動画一本上げたら、結構儲かるんだよ」

「そうなんだ!」


 こっそり額を聞いたけど、私のモデル代よりも上だった。

 ……稼ぐ高校生だな。

 そりゃ金銭感覚も狂うか。


「樹は、いつもこの時間何やってるの?」

「私?」

「うん」


 私はこの時間は。


「もうベッドの中かな」

「そっか、じゃあ、今日はもう寝ようか」


 優しく微笑んで私をベッドに誘う晃。

 ……これは、いよいよなの!?


 なんかいきなり、布団に入るのも気がひけたから、一旦ベッドに腰掛けて、2人並んで座った。


 すると晃は。




「樹……キスしてもいい?」


 がっつり私を求めてきた。


「でも、やっぱ風邪うつしちゃ、まずいかな?」


「……ううん……大丈夫だよ」



 さっきまで、あんなにもじもじしていたのに、晃は積極的だった。


 そして晃のキスは……いつもよりも熱く感じた。


 2人とも、いつもより……息遣いが荒かった。



 そして……そのまま私たちは。





 愛しあった。





 勿論私も晃もはじめてで、よく分からないままに、終わった。


 だけど、晃は布団の中にバスタオルを敷いていて、がっつり、その気だったんだって事を、終わってから気付いた。

 いつの間に……私がシャワーを浴びていたときだろうか。


 高校2年の夏休み初日。


 晃が男になり、私が女になった、記念すべき日になった。


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