第56話 距離感

 皆んなのところに戻ると、菜津奈なつなが『織りなす音』の穂奈美ほなみさんにサインを求められていた。

 なんでも彼女は『菜々なな』の熱烈なファンらしい。


 私もモデルになったらもしかして……なんて事を考えてしまったのは、さっきの今だからだろう。


 菜津奈の表情は、とても明るかった。

 それはきっとサインを求められたからではなくて、宗生むねおさんと、何か良い事あったからだと思う。

 後で事情聴取が必要だな——


「ねえいつき、後で聞いて欲しい事があるの」


 なんて考えていたけど、ホクホク顔の菜津奈から切り出された。


「もちろん!」


 じっくり聞かせてもらいます。


「もう、十分よね、そろそろ外に運びましょう」


 程なくして衣織いおりさんの仕切りで、私たちも外で準備をしている男性陣に合流した。


 外に出るとあきら宗生むねおさんに、先に帰った事を責められていた。

 晃は『すみません』なんて言いながらも、悪びれる事もなく、それを上手く受け流していた。


 学校や私の前では見せない飄々ひょうひょうとした晃の一面。

 あんな悪ガキみたいな顔をするのが意外だった。

 そして私達が出てきた事に気付いた宗生さんが、晃の背中をポンと押し、私の方へ送り出してくれた。


 宗生さんは見た目も話し方も、やんちゃな感じの人だけど、とても大人だ。


「お疲れ様」

「晃もお疲れ様」


 晃はさりげなく、私の手を繋ぎ皆んなと少し距離を取った。


「ありがとうねいつき

「えっ、何が?」

「会いに来てくれて……俺、会いたかった」


 素直に嬉しい。


「まだ、そんな経ってないじゃない。昨日の今日みたいなもんよ」


 だけど半ばブーメランとも言える返しをする私。


「冷静に考えたらそうだよね……でもいつきと一緒に居るのが俺の当たり前になってたから、本当に会いたくて仕方なかったんだ」


 私も同じだ。ロスト晃感は相当だった。

 

 ——この後も、晃と他愛のない話を繰り返した。

 いつもと違う場所だけど、そこにはいつもの私たちがいた。

 一緒にいることが幸せ。

 だからこそ、私は静香さんの言葉が頭から離れなかった。

 晃との距離感。

 モデルになれば、それが分かるのだろうか。

 でも、そんなよこしまな気持ちでつとまるほど、モデルはあまい道ではないのは菜津奈に聞いて知っている。


「どうしたのいつき?」

「ううん、なんでもない」


 ダメだダメだ折角一緒にいるのだから、今は余計なことを考えないで楽しもう。


 ——なんて思っていたけど。


 晃は親睦会が始まっても、食べ物と飲み物を取りに行く時以外は、片時も離れず私の側にいてくれた。

 

 ……私が本気で気を使うぐらいに。

 

 そして、いつの間にか、私たちは皆んなの輪から離れて二人の世界を作り出してた。

 

 ……皆んなが気遣うぐらいに。


「晃……少しぐらい皆んなと話してきたら?」

いつきも一緒に行く?」

「私が一緒にいくと、皆んな音楽の話で盛り上がりにくいと思うのだけど」

いつきの側にいたい」

 

 気持ちは本当にうれしいけど、私のハートはそこまで強くない。

 でも、取り繕って話しても晃は意思を曲げない。


「私も一緒にいたいよ……でもこの状況で晃を独占するのはちょっとメンタル的に無理……だからお願い」


 正直にお願いした。


「じゃあ、今日はこっちに泊まっていってよ」


 嬉しくも、気を遣う交換条件を出された。


「私はいいけど……いいのかな?」

「大丈夫だよ、部屋余ってるって言ってたし」

「菜津奈にも聞かないと」

「あいつは俺が説得する」

「……お願いします」

「よしっ! じゃぁちょっと行ってくる」


 交換条件をのむと、晃はみんなの輪の中に入っていった。


 そして晃が離れる頃合いを見計らったように。

いつきちゃんは晃と一緒に向こうに行かないの?」

 静香さんが話しかけてきた。


「……私はちょっと」


 あまりにも場違い過ぎてあの輪の中には入れない。


「皆んな業界人だから、入りにくいんでしょ」


 図星だ。


「まあ、そういのもあってモデルを薦めてるんだけどね。ミュージシャンとモデルは同じ土俵ではないけど、晃と良い距離感になれるでしょ」


 あっ……距離感ってそういう意味だったんだ。

 言われてみれば確かに。

 菜津奈はミュージシャンではないけど、あの輪の中にいることに違和感を感じない。


「樹ちゃんは真面だからね、もっと図太くなるか晃との距離を縮めておかないと、この先辛くなるよ」


 ……なるほど。


 晃とずっと近い位置にいるなら『アキラ』とも近い位置にいないとダメってことか。


「静香さん……ありがとうございます」

「おっ、それじゃモデルになる決意を固めたってことかな?」

「いえ、流石に今すぐには」

「でも、前向きにはなった感じだね」


 それは間違いない。


「はい」

「そっか、そっか、じゃぁいい返事期待してるねっ!」


 私にウィンクしながら静香さんは輪の中に戻っていった。

 そして入れ替わるようにニタニタしながら菜津奈がこっちにきた。


いつき、すごいイチャつき具合だったね」

「……あはは」


 笑って誤魔化すしかできなかった。

 菜津奈を盛り上げるつもりで、ここまで来たのに私の方が盛り上がってしまったからだ。


 それでも上機嫌な菜津奈。

 これは聞いてほしいってことだよね。


「そっちは、どうだったの?」

「聞きたい?」


 前のめりな菜津奈。


「うん、聞かせて」

「えーっ、どうしようかな……」


 お約束通りに面倒臭い返しをする菜津奈。

 でも、ここは。


「そんなこと言わずに、聞かせてよ」


 突っぱねずに、素直にお願いした。


「ふられたよ」

「え……」


 1ミリも予想していなかった言葉が返ってきた。


「本当に?」

「本当に本当だよ」


 でも、ニタニタが止まらない菜津奈。

 いったい、どう言うこと!?


 

 ————


 【あとがき】

 

 かなりお待たせしました!

 まだ、毎日更新は無理ですが徐々に更新頻度を上げていきます!

 

 また、よろしくお願いいたします。


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