第14話 いちゅき

 浅井がお風呂から上がった後も、私はひとり湯船につかり、さっきの事を思い返していた。


「…………」


 先に私の名誉のために言っておくと、さっきの事は浅井の浅井を見たことではない。そこは勘違いしないでほしい。


 では、気を取り直して——


 ……私、結構大胆なことした。


 一緒にお風呂に入ったのもそうだし……こんな格好で浅井に抱きついたこととか……浅井のことをあきらって呼んだこととか。


「…………」


 恥ずかしさを紛らわせるために、湯船に潜り大声を出した。

 すぐに息が切れてしまったけど、案外すっきりした。


 ——こんな調子で今晩……大丈夫なのだろうか。


 浅井はお風呂に一緒に入ってもあの調子だったのだ。何の問題もないだろう。


 それよりも、むしろ心配するべきは私だ。


 子犬のように可愛い浅井を見ていると、色んな感情が湧いてきて、胸が騒ついて、つい……ちょっかいを出してしまいたくなる。


 私って……肉食系だったのね。


 なんてことを考えながらお風呂から上がると、ちょっとした面白イベントが発生していた。


「今村さん……借りてる立場でなんなんだけど……もうちょっと他になかったのかな?」


 え……何やってんだこいつは。


 浅井は何を勘違いしたのか……着替えに用意しておいたパパのシャツを着ずに、私の夏用の体操着を着ていたのだ。

 下も私の体操着の短パンだった。いくらゴムとはいえウェストが大丈夫なことに少しイラッとした。


 ていうか、浅井は……ドジっ子属性まで持っていたのか。


「あは、その服似合ってるよあきら! 可愛い!」

「いやいやいや、絶対似合ってないし!」


 そりゃそうだろう。だってそれは女子用だし、君に用意した着替えではないのだから……若干ピチってるし(笑)


 服が伸びるのが心配だったけど面白いからパパのシャツの事は言わないでおいた。


「そんなことないよ、今村の刺繍とかポイント高いわよ! なんか面白いポーズ取って」

「……いきなり無茶振り! できないよそんなの!」

「なによ、ノリ悪いわね」


 面白ポーズは拒否られたけど、十分に面白かったからスマホで浅井を激写した。


「や……やめてよ今村さん」


 顔を真っ赤にしてガチで照れる浅井。

 可愛いやつだ。


「あ〜あ……いい絵取れたわ、優花ゆうかに送ろう」

「……マジやめてね」


 本気で嫌そうな顔をしてる。

 そんな顔をしてると……ついつい。


「あっ、それとも、あの音村おとむらって子に見てもらう?」


 意地悪を言いたくなる。


「なんで音村さん……」

「今村の刺繍入りだし、私の物アピール?」

「えっ……」

「なんかあの子……あきらを見る目がちょっとね」

 

 ……確証があるわけではないけど、あの子は絶対に浅井を狙っている。


「晃は私の彼氏なのにねっ!」

「う……うん」

「…………」

 

 私は普段、浅井のことを『彼氏役』とは言わない。

 そして浅井は私のその言葉をいつも『彼氏役』と訂正する。


 だけど……今日は言い直さなさず、私の言葉を肯定した。


 ……たったそれだけのことなのに、ドキッとしてしまった。

 もしかして、浅井もまんざらじゃない?


 よし……。


「そうだ晃、これからは私の事もいつきって呼びなよ」


 恋人同士なら当たり前のことを要求して浅井に揺さぶりをかけてみた。決して私だけが晃と呼ぶのがシャクだとかではない。


 でも、浅井はもじもじするだけで、なかなか名前で呼ぼうとはしなかった。女子かっ!

 

「早く!」


 急かしみてやっと「い……いつき」と呼んだかと思えば軽く噛んでいた。


「かんだ! やり直し!」

「……いつき


 今度は噛まなかったけど目が明後日の方向に向いていた。

 こういうのは目を見ないとダメなんだよ浅井。


「目、逸らした! やり直し!」

「……いつき!」


 今度は怒鳴るように呼ばれた。

 なかなかのポンコツっぷりだ。


「もっと自然に!」


 ……まともに名前も呼べないとか……私は真剣な表情で真っ直ぐに浅井を見つめた。

 すると——


「いちゅき!」


 思わず胸がキュンっとしてしまいそうな噛み方をした。


 ……うん、これはこれでありね。


「いいね! いいね! いちゅき(笑)」


 浅井は顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。さすがに恥ずかしかったようだ。


「まあ、最初だし、これで許してあげるわ……朝までにもっと自然に呼べるようになってね」


 そう、朝まで時間はたっぷりとあるのだ。とりあえず今は『いちゅき』で我慢することにして夕食の準備に取り掛かることにした。


「とりあえず、夕食にしようか。簡単な物しか作れないけど」

「手料理ですか!」


 かなり食い気味に浅井が食らいついてきた。


「そっ、そうだけどどうしたの?」

「いっ……いただいきます! 是非いただきます!」


 いただきますって……まだ作ってもいないのに。


「本当に簡単なものだよ?」

「何でも嬉しいです!」

「あんまり期待しないでね」


 とは言ったものの、期待感が半端ない……。


 子どものようにキラキラと輝く目をみればわかる。

 それに風呂上がりのセクシーな濡れ髪でそんな目で見つめられたら、体操着だというマイナスポイントを差し引いてもドキドキしてしまう。


「あっ、そうだ! 大切な事を忘れてた!」

「どうしたの?」

「裸エプロンが良かった?」

「えっ……」


 悔しいから、浅井もドキドキさせてやった。

 ちょっと私のドキドキとは意味が違うかもしれないけど、いい感じに頬を赤らめているところを見ると効果覿面だったようだ。


「冗談よ……いま思いっきり想像したでしょ?」

「そ……そんなことないよ」


 絶対想像した。

 だって目を合わせてくれないもん。


「……晃はエッチだね」


 これが2人っきりのあま〜い嵐の夜の始まりだった。

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