後
ヴォルフの指と唇が、エリーゼの全身を愛撫して解していく。
「──っ、……ぁ」
ここ最近、エリーゼは他人に素肌を触れられるのに慣れている。彼女だって全身に火傷を負った怪我人で、手の届かないところに軟膏を塗ってもらうのに、やっと屋敷に戻れたミアやアポロニア王女が遣わしてくれた侍女の手を借りなければならないのだから。でも、女性の手と男性の手では感触がまるで違う。しかも、今彼女に触れているのは愛する夫で、薬を塗るだけでは済まないような身体の秘めたところまで暴かれようとしている。
(恥ずかしい、けど……!)
止めて、とか待って、という言葉が漏れそうになるのを堪えて、エリーゼは必死に唇を噛み締めた。先ほどヴォルフが切実な声で乞うたこと──何も言わないで欲しい、という言いつけを守っているのだ。きっと、彼女が弱音を吐いたらヴォルフは止めてしまうのだろう。それは、彼女としても望むことではないのだ。
不安になるほど触れてくれなかったのは、ひたすら妻を傷つけないためだったと、たった今彼は明かしてくれた。彼の熱い息遣いや被さってくる重い身体、硬い手指は、確かにほんの少しだけ彼女を怯えさせるのだけど。でも、同時に触れ合う素肌が教えてくれる。怖いほどの熱と欲を、ヴォルフは懸命に抑えようとしてくれている。エリーゼを気遣って、できる限り優しく丁寧に触れようとしてくれている。多分、彼にとってはもどかしく辛いことなのだろうに。
(貴方を愛している……信じているから。貴方こそ怖がらないで……?)
伝えたい言葉は、本当に残念なことに口に出すことはできない。だからエリーゼは、代わりに手や唇で伝えようとした。ヴォルフの手が躊躇う時には彼女の手を添えて、触れて良いのだと促して。彼女の思いを窺うように彼が不安げな目を上げた時には、口づけで励まして。こうしてもらえることを、彼女はずっと待ち焦がれていたのだから。
「エリーゼ……」
ヴォルフは、エリーゼの身体に残る火傷の後にも唇を這わせている。火の粉を浴びたまだらな痕、燃える建材が掠めた際の痣のように大きなもの。ドレスを彩っていた金糸が焼き付いて、刺繍をなぞって線状に残った痕。焼けた石を踏んで、ごっそりと皮膚が剥がれ落ちた足の裏まで。綺麗に治り始めているものも、時間が掛かると言われているものも。湯浴みなどで体温が上がった時には赤く色を増すそれらの傷痕は、今は羞恥によって暗い閨の中にも浮き上がっているのかもしれない。それくらいにはっきり見えているのではないかと思うくらいに的確に、ヴォルフは傷痕のひとつひとつに丁寧に触れて口づけていく。
(まるで、確かめているみたい……?)
そういえば、彼はエリーゼの怪我の程度をまだ直接は目にしていなかった。医者から話は聞いていても、きっとずっと心配してくれていたのだろう。彼のことだから、気に病んでいたにも決まっている。
(私は気にしていないの。貴方こそ無事で良かったの)
口に出しては伝えられないもどかしさを、エリーゼはヴォルフを思い切り抱き締めることで表そうとした。彼女の方では、彼の傷痕を、古いものも新しいものもすべて知っている。肌に唇に感じる熱が、早い鼓動が、あらゆる危険と悪意を乗り越えて、彼が生きていてくれていると教えてくれる。エリーゼに、息が詰まるほどの喜びと幸せを感じさせてくれる。
両腕を広げれば、ヴォルフは荒々しく笑んでエリーゼの胸に収まりにきた。男性に求められるということが、愛しい人が相手だと、こんなにも嬉しい。
身体を引き裂かれる痛みは、溢れるほどの幸福感が覆い流してくれた。
朝の陽が射し始めた寝台の中で、エリーゼはヴォルフの寝顔にいつまでも見蕩れていた。こんなにも無防備な姿を、こんなにも間近で見たことは初めてだった。以前、一緒に寝た──それだけだった──時は、彼の方が起き出すのが早かったから。もしも彼が安眠できていなかったのだとしたら、きっとエリーゼを憚ってのことだ。だから、もしかしたら彼にはひどいことをしてしまっていたのかもしれない。
目蓋の裏に陽光を感じたのだろうか、ヴォルフが身動ぎして、ゆっくりと目を開ける。目の前にエリーゼを認めて身体を離そうとするけれど、そんなことは許さない。エリーゼが腕を伸ばして彼の背に回すと、すぐに諦めてくれたらしく、ヴォルフも抱擁を返してくれた。
「もう、朝か……起きないと」
「ええ。ミアが来てしまうから」
そもそもエリーゼが自身の寝室に戻らなかったことを、ミアはどう捉えているだろう。何があったかは察してくれるだろうけれど、ふたりして裸でいるところを見られるのはあまりに恥ずかしい。せめて服を着なくては、と思うけれど──ふたりとも起き上がることができなくて、怠惰に横たわり、身体を寄せるままだった。もう少しだけ、と。互いに同じことを思っているのがヴォルフの照れたような表情から伝わってくる。
「身体は、辛いところはないか? その、痛かったりとか……」
「全然。とても、優しくしてくれたから」
この期に及んでも心配そうなヴォルフを、エリーゼは曇りない笑顔で安心させてあげる。さらに、それだけでは足りなかった時のために口づけも、彼の頬に落とす。ヴォルフの寄せられた眉が解けるまで、繰り返し──やがて、寝台の上に夫婦が笑い合う密かな声が響いた。
「優しかったと……言ってくれるなら、良かったが」
「優しかったわ。だから、大丈夫」
本当のところ、エリーゼは何があっても耐えなければならない、と思っていたのだ。あの行為は彼女にとって苦痛と恐怖に満ちた時間でしかなくて、でも、夫婦というのは
「愛しているわ。──ねえ、もう言っても良いのかしら……?」
「ああ」
言葉を封じられたのは辛かったのだと、唇を尖らせて訴えると、ヴォルフは幸せそうな苦笑を浮かべた。そして、エリーゼを宥めるように抱きしめて、耳元に唇を寄せる。
「恥知らずなことを言っているのは分かっているが──その、
ごく密やかな声で、囁くように言われてもなお、エリーゼは頬を熱くせずにはいられなかった。首を横に振れるはずなどない──でも、頷くのも恥ずかしいことを、朝から夫に強請られるなんて。それでも、かつてのエリーゼ自身と同様に、ヴォルフが自らの願いを持つのはこれまでになかったこと。彼女にできることがあるなら、何を置いても叶えてあげなくては。
「ええ……幾らでも……!」
耳まで赤くなっているのを自覚しながら、エリーゼもヴォルフの首にしがみついて、小さな声で──けれどはっきりと、答えた。
彼女たちふたりには未来があって、
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