ミアの呟きはなかったことにされて、伯爵と男たち──きっと、地位も立場もある人たちなのだろう──のやり取りは続いている。


「将軍夫人を襲った者からも証言を取っている。金髪の貴公子が手引きしてくれたと──王子殿下に面通しさせたいと考えているが」

「罪人と殿下を直接会わせるなど考えられない!」

「拘束した相手だ。それに、何も同じ部屋に入れる必要はない。窓越しにとか、方法は幾らでも──」


 高貴な人たちの言い争いに、ミアが口を挟むことはもうできない。ちらりと彼女を見下ろしヴァイデンラント伯爵の眼差しも、もう黙っていろと懇願するようだった。手首を戒めるかせに目を落としながら、ミアは暇潰しのようにぼんやりと考える。


(いつでも始末できると思ってたんでしょうね……あの男も、あたしも)


 マクシミリアン王子が、見た目と同じくらい心も美しい貴公子だと信じられたままだったら。将軍夫人を襲った男も、その屋敷の召使の小娘も、いつの間にか消えていたところで誰も気にしないだろうし、まして王子と結びつけることもなかっただろう。でも、今ならアポロニア王女が反撃に出る構えになっている。あの男も、兄王子を追い詰めるための鍵になるかもしれないミアも、しっかりと守られていた。

 利用される相手が変わっただけで、駒扱いには変わりない。でも、王女に恩を売ることでまたあの屋敷に戻れるなら。彼女の働きが将軍の助けになるなら──償いには、なるかもしれない。そう思って、ミアはこの場に座っている。


「──卑しい平民の口先など信用できない。せめて拷問した上で、それでも主張が変わらないと確かめなければ……!」


 口出しを禁じられている以上は伯爵任せで、と思っていたところに不穏な言葉が聞こえて、ミアはさすがに顔を上げた。彼女が怯えたとでも思ったのだろうか、発言した男は嬉しそうに嗤い、伯爵は焦ったように声を上擦らせた。


「証人たちの主張は論理的で裏付けも取れている。ミアについては証拠の手紙まである。いたずらに脅かすことこそ証言を揺らがせることになるだろう!」


 王女や将軍夫婦は、ミアの無事を願ってくれていたりするのだろうか。それとも、拷問を受けたらミアが証言を翻すとでも恐れているのだろうか。いずれにしても、伯爵が熱弁してくれるのはありがたいとは思う。でも一方で、ミアは心の中でぼそりと吐き捨てる。


(拷問……するなら、すれば良いのに)


 どれほどの苦痛を加えられても、絶対に屈したりしない。枷で手首を擦られるくらいで、ほとんど苦しみを味わっていないのが居た堪れないくらいなのだから。いや、燃えて崩れる建物からよろめき出て来たふたり、全身に火の粉を浴びて、衣装どころか髪も肌も無残に焼け焦げていた姿を思い出すと、ミアの心臓はまたきりきりと痛むのだけど。でも、心の痛みがどれほどのものだろう。あの人たちのひどい怪我に比べれば。あの夜、ミアは焼け爛れた肌がずるりと落ちて、下から真っ赤な肉が覗くところを見てしまったのだ。


(奥様。あんなに綺麗な人なのに……!)


 将軍も奥方も、傷は無事に癒えているだろうか。奥方は、夫とお揃いの火傷だと強がっていたけれど、身体に刻まれた傷痕に動揺していないはずがない。将軍だって、かつて深手を負ったことがあるからといってひどい痛みに慣れることなんてないだろう。

 優しい人たち、何も悪いことなんてしていない人たちを裏切ってしまったのだから、ミアはやはり罪人なのだ。だから、あの人たちに再び会う前に、犯した罪以上の功績──と言って良いか分からないけど──を上げておかないと。たとえ、気休めや自己満足に過ぎないとしても。




 ヴォルフリート将軍の奥方について、ミアが受け取った指令はあまりにも簡単なものだった。


 ──彼女にも役割があるが、お前のことは知らない。だからそのように振る舞うように。


 ずさんな命令は、すなわちミアや奥方をマクシミリアン王子がどう考えていたかの表れでもあったのだろう。つまり、何も知る必要がないし考える必要もない。ただ、駒として「そこ」に配されていれば良い。今思うと、まったく舐められたものだと思う。


 それでもその頃のミアは、命令には従うものだとまだ思っていた。だから密かに悩んだ末に、屋敷にやって来た奥方に対して「そのように」振る舞うことにしたのだ。つまり、将軍に命を救われた孤児が、いかにも悪事を企んでいそうな貴婦人に対してどう接するか、と考えたのだ。


 ──旦那様を毛嫌いしてる癖に「奥様」を押し付けるなんて許せない。

 ──どうせ何か企んでるんでしょう。油断しないんだから!

 ──貴族のお嬢様なら、少しきつく当たればすぐに逃げ帰るでしょ。


 だからミアは、まるで心から将軍の身を案じ、「奥様」やその実家に対して憤っているように振る舞ってみせた。多分、彼女自身もほとんど騙されかかっていただろう。本当にそうだったら良いと、思うようになっていたからだ。将軍を陥れる企みなんかに加わっていない。将軍はミアの恩人であって、その人の身が危険に晒される理不尽が腹立たしくて、我が身の非力が歯がゆくてならないのだと──その方が、現実よりもずっと楽な世界だったからだ。


 「奥様」が思っていたのとは違う人だということにはすぐに気付いた。雪のように白い肌なのに、指先は思いのほかに硬く、水仕事や力仕事をよくしていたことを窺わせた。厨房に入れば火や刃物の使い方も慣れたものだった。ミアの手を借りずに着替えも身支度もひとりでやろうとするのも、貴族の令嬢にはあり得ないことだろう。それに何より、あの常に何かに怯えているようなおどおどとした態度だ。この方何も知らないのだと、ミアが悟るには十分だった。


『奥様なら、もしかしたら……』


 いつか、茶菓を並べた席であの人に言ったのが演技だったのか本心だったのか──それもまた、ミアにはよく分からない。将軍を救える人が現れてくれたら、と思ったのは間違いない気もするし、どうせ誰だってダメだろう、と思い込んでいたかもしれない。優しいあの人は早くから将軍を案じていたようだけど、婚約者を死なせたという負い目がある以上、将軍の心の壁が崩れるとは思えなかったから。将軍は、遅かれ早かれ陥れられて破滅する。ミアの復讐は叶う──叶ってしまう。それは、決まった未来だと思っていたのに。


(でも、違った……!)


 いつの間にか、あの人とミアの立場は変わっていた。利用される駒なのは同じだったはずなのに。あの人は、ミア以上に将軍のことを何も知らないはずで、将軍の罪の意識をひたすら刺激する存在だったはずなのに。──いつの間にか、あの人の言葉と真心は将軍に届いていた。ミアの感謝は将軍を傷つけるだけだったのに、あの人は将軍を癒すことができた。たとえ寝室が別でも、抱き合ったこともなくても、あの人たちは夫婦になっていったのだ。


 将軍の寛いだ笑顔を見ることができるのは嬉しかった。ふたりが語らう姿は微笑ましいとも思った。でも、同時に怖くて悲しくて憤ろしかった。将軍が生きる希望を得たのは傍から見ても明らかだったから。将軍が幸せになった時にどうすれば良いか、ミアにはまったく分からなかったのだ。

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