それぞれの罪

狼将軍の真実

 ヴァイデンラント伯爵が屋敷を去った後、エリーゼはヴォルフリート将軍によって寝室に閉じ込められた。


「あんなことがあったのだから、休んでいた方が良い」

「ですが、伯爵様がまたいらっしゃる前に、お話をしておいた方が良いのではないでしょうか」


 安静にすることだけならエリーゼにも異存はない。種類の異なる緊張を立て続けに味わった身体は疲弊して、確かに休息を求めて熱っぽくなっている。寝台の柔らかさと温かさはこの上なく心地よく魅力的だ。でも、将軍に置き去りにされるのは嫌だった。今日の勢いを借りなくては、この方から全てを聞き出すことはできそうにない。


「私はどうすれば良いのか。――旦那様はどうなさるおつもりなのか。あの、最初に話しておかなければならなかったのでしょうけれど」


 寝台に収まりながら、それでも半身を起こして食い下がるエリーゼに、将軍は苦笑した。


「貴女は意外と策略家だった。ヒルシェンホルン夫人の血を確かに引いているのかもしれないな」

「……申し訳ございませんでした」

「いいや。……先ほどのことがなければ、確かに俺は誤魔化そうとし続けただろう。貴女はよく俺を追い込んだと思う」


 褒められたのか皮肉られたのか判じかねて、エリーゼは目を伏せる。彼女自身とギルベルタに似たところがあるなどとは、考えたこともなかった。エリーゼの考えなどないようなものと、ずっと聞かされてきたというのに。


「休んだ後……明日でも、話すつもりはあるのだが。今でなければ、大人しく寝てくれなさそうだ」

「では……!?」

「ああ」


 望みを持っても良いのか、と。期待と不安を込めて見上げると、将軍は小さく、けれどしっかりと頷いた。そして、手近な椅子を引き寄せるとエリーゼの枕元に腰掛ける。


「身体が辛くなったらいつ眠っても構わない」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 エリーゼの強情を面白がるように、将軍の苦笑が少し表情を変えた。火傷によって歪みや引き攣りがあるとしても、この方は表情豊かで優しいのだ。ちゃんと、そう見ようとする心さえあれば。


「なるべく手短になるようには務める」


 あくまでも夫婦の語らいらしくはなく、礼儀正しく部屋の扉は隙間を残して開けたまま、将軍は語り始めた。




「先ほどの男が言っていただろう。奴の弟と同じ、使い捨てられる立場だった癖に、と」

「はい。でも、旦那様の出自は誰もが知っていることでは……?」

「平民上がりで華々しい功績を上げたと、胸を張ることができたら良いのだがな」


 自嘲するような将軍に、そうすれば良いと告げることはできなかった。この方について、エリーゼにはまだ知らないことが多すぎる。だから、将軍が言葉を探す風でしばらく沈黙するのを、彼女は辛抱強く待った。


「……この、火傷について。最初の夜に手元が狂ったと言っただろう」

「はい」

「それは、嘘ではないが、完全な真実でもなかった。手元を狂わせたのは俺ではなく、俺たち──かき集めた平民の兵ごと、敵軍を燃やそうとした貴族の将だった」

「貴族の……?」


 今回の戦いで、ヴォルフリート将軍ほどに名を馳せた人がいただろうか。そのような方がいたなら、ギルベルタたちはもっと声高に褒め称えていそうなものだけど。首を傾げて訝しむエリーゼに、将軍は苦い微笑を向けた。


「その御方は、自身が放った火に巻かれて亡くなったのだ。フォアブリュッケという地での戦いでのことだ。敵味方の乱戦になったところに、見境なく砲弾を放って火の海を生んで……一応はオイレンヴァルトの国境の内でのことだったために、敵が撤退したことで勝利ということになったのは良かったのかな」


 その地名は、男と対峙した将軍も挙げていた、と思う。将軍が語った惨状も、エリーゼがこれまでさんざん聞かされてきたことと合致する。でも、それを為したのは──将軍では、ないというのだろうか。エリーゼの凝然と見つめる前で、ヴォルフリート将軍はそっと右半面の火傷に触れる。


「俺は、その時は焼かれる側だった。訳も分からず、熱くて痛くて苦しくて……死んだ方がマシだと、うなされながら思っていた」

「そんな……」


 将軍の火傷に手を延べようとして、でも、エリーゼには掛ける言葉が見つからない。これほどに深い痕を残す炎、それがもたらす苦痛のほどなど、彼女には想像もできないから。それに、将軍の話はまだ始まったばかりなのだ。


「俺が寝込んでいる間、お偉い人たちは大分困ったらしい。味方ごと敵を焼き殺すのは、さすがに外聞が悪い。けれど一方で、外聞を気にしなければ何でもできるとも気付いた。名のある貴族はもちろんそんな非道な真似をするはずがないが、卑しい者なら分からない。そして有事の際に、貴族以外の者を登用するのはよくあることだ、と――」


 ここまで聞けば、察しの悪いエリーゼにもさすがに分かる。


「だから――貴方がやったことになった、のですか……?」

「そうだ。その時も、その後も。今日まで、ずっと」

「そんな、何のために?」

「国のためと、勝利のために。『ヴォルフリート将軍』に続けと、立ち上がった民も多いとは聞いていないか?」

「……はい。トラウシルト家でも、そのようなことは伺いました」


 エリーゼの問いのひとつひとつに、将軍は滑らかに答えてくれる。けれど、将軍の答えは明快でも、分からないことだらけだった。エリーゼの胸に渦巻く疑問が、唇から次々と零れる。


「どうして、貴方だったのですか?」

「分からない。醜い傷跡がある方がそれらしいと思われたのかもしれないし、顔を隠す理由があるのが都合が良かったのかもしれない」

「どうして、誰もそのことを知らないのですか?」

「例えば貴女のご実家はご存じだろう。知っている者は知っている、程度のことだ。ただ──国の名誉に関わる秘密だ、声高に喧伝することでもないのだろう。成り上がり者がなりふり構わず手段を選ばず非道を行ったということにするのが都合が良いのだ」

「そんな……」


 ひどい、と思った。それでは、国の偉い人たちが揃って残酷な策を考えて、全てをこの方に押し付けているのだから。称号や名誉を与えるから良い、というものではないだろう。この方は不当に貶められ嘲られ、殺意さえ向けられているのに。


「お陰で、分不相応な身分も屋敷も賜った。平民の生まれで貴族の上に立てる者などそうはいない。俺は、十分に役得を味わわせていただいている」


 なのに、将軍はごく穏やかに笑うのだ。その程度、としかエリーゼには思えない恩恵に満足していると。汚名を着せられ後ろ指を指されても、何も感じはしない、と。でも、強がっているとしか思えない。


「でも、嫌だったのではないですか!? 貴方は、心を痛めていらっしゃるのでしょう!?」


 思わず叫ぶと、将軍は少しだけ眉を寄せた。エリーゼの言葉が、僅かでも心に響いたのなら嬉しいのに。火傷の痕が刻まれた頬が浮かべるのは、せいぜいが困惑交じりの苦笑に過ぎない。エリーゼが咄嗟に思いつく言葉など、きっと、ミアやヴァイデンラント伯爵が、何度も言ったようなことでしかないのだ。

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