生贄の意味

 本来は、精悍な美丈夫とも呼べる青年だったのだろう。そう、将軍は思いのほかに若かった。多分、三十にも手が届いていないくらいかもしれない。浅黒い色の濃い肌に、黒い髪と目。美々しい軍服を纏って行進すれば、女たちは歓声で迎えたかもしれない。――顔の右半分を覆う、無惨な火傷の跡さえなければ。その部分は健康な肌の色よりも赤黒く、捻じれたまま固まった皮膚はそこを舐めた炎の熱と勢いを永久に留めているかのよう。整っていたはずの唇も眉も鼻筋も、引き攣れた火傷側の皮膚に引っ張られて歪んで、見るものに噛みつかんとする怪物のような表情になってしまっている。


「敵を焼き尽す魔将……とか。評判は色々聞いているだろうが。手元が狂うことも、まあ、あったということだな。恐ろしいなら、また隠しておくか?」


 将軍が嗤うのも、無事な左側の顔面を使ってのことだった。火傷のある方の頬は、とても笑顔を浮かべられるような柔らかさを残してはいない。恐ろしいだけでなく痛々しくて二度と見たくはないと思う、深い傷跡が刻まれた顔――けれど、正直にそれを口にすることなどできるはずもない。


「……いえ……」

「ふむ、それなら俺は楽で良いが」


 できるだけ顔の左側を見るようにしながら首を振ったエリーゼに、ヴォルフリート将軍は皮肉っぽく無事な方の頬を歪めた。彼女の怯えと絶望を、見透かしているのだろうか。将軍は、評判を否定しなかった。敵を焼こうとした炎で我が身さえも傷つけたと言ったのだ。それはつまり、エリーゼのわずかな希望が絶たれたということ。野獣のようだと恐れられ忌まれる将軍の噂は、真実なのだ。


「では、身軽になったところで本題に入るとしよう」


 ごと、と鈍い音をさせて、将軍は仮面を卓に置いた。虚ろに空いた狼の目が、エリーゼを睨む。戦場では防具にもなるのかもしれない重たげな狼の顔も、それが隠していた将軍の素顔も恐ろしかった。これから何を言われるか分からないからなおのことだ。


「――まず、貴女の実家の懸念は的外れだった、と言っておこう」

「え……?」

「俺は王女殿下との結婚など望んでいなかった。王家の庇護も権力も今さらいらない。他のどの名家の姫だろうと、押し付けられて恩を売られるのはご免だった」


 黒く鋭い目に、睨むように見据えられて。エリーゼは言葉を発することができなかった。だって、将軍はごく冷静にギルベルタたちの考えを指摘して見せたのだから。獣だの成り上がり者だの野蛮人だの。彼の皮肉っぽく歪められた唇は、蔑みに満ちた評の数々も良く知っていると暗に語っていた。怒っているのではない――とは信じられなかった。王女を望んでいなかったというのが本当だとしても、犬や馬に餌を投げ与えるようにエリーゼを宛がわれたのだと、この人は気付いているはずなのだから。


「あの。私……私は――」

「だが、候補に貴女がいると聞いて考えが変わったのだ。貴女なら、良いだろうと思った」


 何を言えば良いのか分からないまま、それでも何事か弁明しようとして――エリーゼは今度こそ言葉を失った。希望を持ちかけられて、突き落とされて。彼女の人生は、そんなことの繰り返しだった。コンラートに手を差し伸べられた幸福も幸運も、決して本物ではなかった。まして、恐ろしい姿と評判の人に選ばれたと聞かされても、喜べることはなかった。きっと、どこかに罠が潜んでいるのだろうと思えてしまうから。


 エリーゼが身構えても、将軍にはか弱い子兎の微かな抵抗でしかないのだろう。嘲るように哀れむように、彼の焼け爛れた頬が引き攣った。


「トラウシルト家のエリーゼ嬢。貴女を妻として受け入れたのは、トラウシルト少尉の婚約者だったからだ」

「……コンラート様……!?」


 エリーゼは、かつての婚約者の名を恐怖を込めて呟いた。そんな風に呼んでしまうことに、心を痛めながら。彼女の見開かれた目に映るヴォルフリート将軍は、満足そうに微笑んでいる。火傷を負った右半面は強張ったままだから、無事な方の左半面で、ということになるのだけど。

 将軍は、エリーゼを驚かせ怯えさせたことに喜んでいるようだった。


(大きな声を出しては駄目……礼儀正しく、慎ましく、控えめに振る舞わないと……)


 悲鳴のような声を上げてしまったことを心から悔いながら、エリーゼは必死に自分に言い聞かせ、ささやかな花束だけを見つめようとした。貧しい子供から渡された慎ましい花々を飾っておくような人。ヴォルフリート将軍の人柄について、優しさを感じられる唯一のしるべがそれだから。でも、椅子に掛けて、膝に手を置いてエリーゼを見据える将軍の眼差しは硬く鋭く、先ほど子供たちに向けた気さくさなど微塵も感じることはできなかった。


「貴女の婚約者を、俺は死なせた。遺体さえ帰すことができなかった。だから、彼の最期を知りたいと思ったのだろう」

「私……そのような……」


 夫以外の男性のことは見てはならないし語ってはならない、とは何となく知っていた。淑女はそのようなはしたない真似はしないのだ。元婚約者についても、きっと同じだろう。でも、エリーゼが目を伏せて言葉を濁していると、将軍の声がわずかながら苛立った。


「婚約者を亡くして気落ちしていると聞いた。放っておけば自ら命を絶ちかねない有様だと。だから俺のもとに送られたのではないのか? 貴女に生きるを与えるのが、ヒルシェンホルン侯爵夫人の意図ではなかったのか」


 ヒルシェンホルンは、ギルベルタが嫁いだ家の名だ。社交界では、あの老貴婦人は夫の家の名で呼ばれるのだ。将軍が言ったようなことを根回しして、ギルベルタはエリーゼをこの人の妻に送り込んだのだと、初めて分かった。同時に、何となく悟ってしまう。


(ああ、私は死ななければいけなかったのね……)


 ギルベルタが吹聴したのは、つまり彼女がそうあるべきだと考えたことなのだろう。一族の若者の中でも、特に可愛がっていた青年の死を悼むのに、修道院に入るくらいでは到底足りないのだ。絶望して後を追うくらいしなくては、ギルベルタは満足しなかった。だから――ヴォルフリート将軍の生贄になれ、獣に嬲られて食い殺されろと、そういうことだったのだ。

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