客人の正体
エリーゼの衣装部屋を見たアレクシアは、難しい表情で首を横に振った。トラウシルト家が仕立てただけに質は良いのだけど、王宮で催される夜会を想定したようなドレスはないのだ、という。もちろん、装飾品の類も同様だ。
「でも、心配しないで。私のを貸してあげましょう。アンドレアスに言えばどうにでもなるわ」
「そんな……そこまでしていただく訳には」
「あら、ヴォルフリート将軍に恥をかかせるつもり? 一から仕立てたのでは間に合わないかもしれないわ」
「夫」のことを言われると、恐縮している余裕がないのはエリーゼにも分かる。でも、疑問は消えない。王宮にも着て行けるような品を、会ったばかりの女にあっさりと貸すなど、あり得ないことではないのだろうか。
「……どうして、そこまでしてくださるのですか……?」
「噂の将軍のことが気になるから、かしら。ひどい乱暴者だと思っていたら、アンドレアスは違うと言うし。奥様の意見を聞いた上で、ご本人にも会ってみたいの。そのためには、夜会に出てもらわないといけないでしょう」
「はあ……」
アレクシアは当然のように言い放ち、エリーゼの困惑を深めさせた。夜会に出席できると匂わせている以上、この令嬢は──お姫様、の方が相応しい気さえする──やはり高貴な家の方だ。でも、トラウシルト家の令嬢たちとはまるで違う。この行動力も、好奇心の強さも。それに、どうしてもこのやり方は周りくどい気がしてならない。
「あの、ヴォルフリート将軍でしたら、この後ご紹介できると思うのですけれど……」
まさか忘れているはずもないだろう、と思いながらも指摘してみる。舞踏は、男女ふたりで踊るもの。エリーゼとヴォルフがそれぞれのステップを教わったとして、合わせるところまで見てもらわなければどうにもならないと思うのだけど。それにも、アレクシアはあっさりと頷いた。
「そうね。でも、正式な場所でお会いするのとこういう場面は、また別よ。だってあの将軍、奥様を隠すばかりか、社交の場にも滅多に顔を出さないんだもの。だったら、押しかけてでも伝手を作らないと。そうでしょう?」
「そう……でしょうか……」
「ええ、そうよ」
またひとつ頷いてからやっと、アレクシアは首を傾げた。青空を宝石に閉じ込めたような目が、エリーゼの姿を頭のてっぺんから爪先まで吟味するかのようにくるくると動く。
「ヴォルフリート将軍を夜会に出席する気にさせたのは、貴女なのかしら。今までにはなかったことなのに」
「……分かりません。そうなのかも、しれませんが……」
「狼を
そうです、と頷けるほど、エリーゼはまだ自分に自信がない。それを見透かしたのか、何かを隠しているとでも思ったのか──アレクシアは華やかに微笑むと、舞踏を教えられるような広い場所を要求した。
応接室の椅子やテーブルを壁際に寄せれば、王宮の広間には遠く及ばないながら、かなりの広さを確保することができた。音楽を奏でる楽団まではいないから、響くのはアレクシアの手拍子と、よく通る声だけ。それも、「授業」を始めてみると、美しい少女はなかなかに厳しい教師だった。
「左足を下げて──右足を大きく──揃えたら、また右──下を向かない!」
ミアや、他の使用人たちが興味深げに覗き見するのを視界の端に捕らえながら、エリーゼはアレクシアに言われるままに足を踏み出している。進んだり、下がったり。同時に身体の向きを変えて、大きく円を描くように進む。理屈では分かっても、実際に身体が言うことを聞くかどうかは別だった。エリーゼのステップは、アレクシアの優雅な見本とは裏腹にぎこちなくて不器用で、焦りと情けなさが募る。
「本番は、殿方に任せておけばぶつかったりしないから大丈夫。とにかく、滑らかに足を動かせるようにしておきましょう」
「は、はい」
「──ねえエリーゼ、貴女はヴォルフリート将軍のことが好きなの?」
「はい!?」
「回り続けて。止まったら周りの迷惑になるでしょう」
足を絡ませないことだけで頭がいっぱいだったエリーゼには、アレクシアの不意の問いかけに応えるのは不可能だった。でも、足を止めることも振り向くことも、厳しい教師は許してくれない。だから、踊るのと答えるのを同時にするしかなくて──言葉を繕う余裕も、なくなってしまう。
「もしも裾を踏んだり靴が脱げたりしたら、すぐに壁際に寄るのよ。──好き、なのね?」
「優しい方です」
「世間の評判が『ああ』でも? ヒルシェンホルン夫人なんかも将軍を嫌っていたでしょ?」
「でも、誤りでしたから……!」
「彼が狙われてるのは知っていて? それでも一緒にいたいの?」
「……はい!」
ようやく手拍子が止んで、止まるのを許された時にはエリーゼの頬は真っ赤に染まっていただろう。運動によって上がった体温と、それに、羞恥によって。とても恥ずかしいことを大声で言わされたような気がしてならなかった。
「やっぱり裏はないようね。踊れないのも本当だったし、演技ならもう少し建前の答えを用意しておくものだもの」
「あの──」
ひとり、納得したような表情をしているアレクシアは、やはりおかしい。エリーゼに探りを入れたのは何となく分かるけれど、ただの好奇心にしては立ち入り過ぎている。エリーゼと──それに、ヴォルフリート将軍に対する強い関心。トラウシルト家にどこか隔意があって、そもそもヴァイデンラント伯爵と繋がりがある……高貴な、女性。
「貴女は……」
まさか、と思いながら。弾む息を抑えながら。恐る恐る口を開いたエリーゼに、アレクシアと名乗る少女は意味ありげに微笑んだ。彼女が問おうとしたことを察したのか、その上で、はぐらかそうとしているのかは分からないけれど。
「私、毛皮にはあまり興味がないの。でも、忠実な猟犬ならぜひとも欲しいわ」
その喩えは、エリーゼ自身が口にしたものだ。王女殿下はどちらを望むのか、と。それを知っているということは──
「奥様! 旦那様と伯爵様が戻られました。あの──もう、こちらにいらっしゃると、すごい勢いで……」
エリーゼが掴みかけた答えは、ミアの高い声によって霧消してしまった。それに、慌ただしい足音によって。複数の、男性の足音だ。それに、とても馴染んだ愛しい声もする。今日は仮面をつけているから、少しくぐもってしまっているけれど。ヴォルフが、なぜかとても焦ってこちらに来ている。
「アポロニア殿下! 一体、何を考えていらっしゃるのですか!?」
いや、なぜか、なんて考える必要はない。ヴォルフが血相を変える──顔は見えないから、声と態度で判断するだけだけど──理由は、明らかだ。王女殿下が身分を隠して、それも、主人が不在の間に屋敷に上がりこんでいたら、それは慌てるものだろう。ヴォルフの背後には、気まずそうな顔のヴァイデンラント伯爵も続いている。この方は全て知っていたはずで、それなら屋敷に着いたところでヴォルフに種明かしでもしたのだろうか。
エリーゼを追い越して詰め寄るヴォルフを前に、アレクシア──違う、アポロニア王女は軽やかな笑い声をあげた。
「やっと会えたわね、ヴォルフリート将軍。貴方が主を変えてくれるなら嬉しいけれど、目的が分からないと怖いでしょう? だから、
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