舞踏の披露

 予想通り、エリーゼとヴォルフの姿を見るなり華やかな装いの紳士淑女たちがふたりのもとに押し寄せて来た。


「ごきげんよう、将軍閣下」

「このような場にいらっしゃるとは珍しい」

「妻のたっての願いですので。華やかな場所というのに縁がなかったということで──」

「間近にお目に掛かるのは初めてですが、なんてお美しい」

「恐れ入ります」

「あら、でも、その髪飾りは見覚えがあるような……?」


 次々に寄せられる挨拶の言葉に目が回る思いをしているうちに、待ち望んでいた言葉がかけられる。王女の装いは、常に人々の注目を浴びるもの。だから、エリーゼが纏う衣装や宝石の、本当の持ち主に気付く者もいるだろう。


「ええ、実は──」


 王女との繋がりを仄めかそうと、エリーゼが呼吸を整えた時だった。よく通る高い声が、ざわめく人々の間に響いた。


「エリーゼ! よく似合っているわね!」

「アポロニア様。──はい。お陰様で、今日を迎えることができました」


 当の王女が早々に現れたことに驚きながら、エリーゼはそれでも安堵して微笑んだ。彼女が拙い言葉を費やすよりも、アポロニアの笑顔と親しげな言葉は何よりの説得力があるだろう。ヴォルフやエリーゼ、周囲の者たちが王女に礼を取ろうとして衣擦れの音がさざめくのに構わず、アポロニアは二人の間近に足を進めた。青空の色の目が、エリーゼの頭から爪先までを撫でる。


「今度は貴女自身のドレスを仕立てるのが良いでしょうね。髪や目や肌の色に会うように。でも、今日のところはそれで十分でしょう」


 たっぷり数秒を観察に費やしてから、アポロニアは満足そうにうなずいた。髪型も着こなしも、及第点の評価をいただくことができたらしい。

 アポロニアは、あの日の後もヴォルフの屋敷を訪れては、舞踏の特訓や衣装選びに尽力してくれたのだ。ヴォルフリート将軍を取り込むという目的のためだったとしても、エリーゼにこの場に立つ勇気を与えてくれたのはこの方の計らいだ。形ばかりしか教わってこなかった礼儀作法を叩き直し、堂々とした振舞いとはどのようなものかを身をもって示してくれた。今も、王女の太陽のような存在感を前に、ヴォルフとエリーゼに群がった人々は眩しげに目を細めている。


「まあ、王女様が将軍閣下の奥方と仲がよろしいとは存じませんでした」

「華やかな場が初めてだからと、相談に乗って差し上げていたの」

「さすがアポロニア様はお優しい」

「ふふ、とても綺麗な方だもの。衣装を選ぶのも楽しかったわ」


 楽しげに語るアポロニアを中心に、人の輪ができていた。その中心に、エリーゼと──ヴォルフの仮面の輝きがいるのを知って、驚く顔も見て取れる。王女とヴォルフリート将軍が手を結んだことへの驚きもあるだろうし、もっと純粋に、野獣と評判の将軍と王女が談笑する場面が意外なのかもしれない。


「王女殿下には、舞踏も教えていただいて──特訓の成果をお見せするのを、楽しみにしておりました。ねえ、ヴォルフ」


 ならば、もっと驚いてもらおう。エリーゼがヴォルフを見上げて微笑むと、小さなどよめきが湧いた。婚礼の時の、彼女の蒼白な顔を覚えている者も多いのだろう。生贄のはずの花嫁が、このように「夫」に気安く呼びかけるなど、誰も想像していなかったに違いないのだ。まして、「あの」ヴォルフリート将軍が踊るだなんて。周囲のざわめきが大きくなるのを無視して、ヴォルフはアポロニアの前に跪く。


「そうだな。──王女殿下を、驚かせて差し上げたいと存じます」

「ふたりでもさぞ練習したことでしょうね? ええ、お似合いのところを見せてちょうだい」


 折良く、楽団が新しい曲を奏で始めるところだった。ヴォルフに手を取られたエリーゼが広間の中央に進み出ると、それこそ狼が現われでもしたかのように人々が下がるのが少し面白かった。これなら、ぶつかってしまうことを恐れなくて良いかもしれない。


 踊り始めると、くるくると回る度に目に入る顔が変わる。驚き。好奇心。眉を顰める者もいるのは、ヴォルフリート将軍の評判に思うところがあるのだろうか。数は少ないけれど、うっとりと見つめてくれる令嬢もいる。王女の衣装を貸し出される名誉が、ヴォルフの印象を良くしてくれるのを願うばかりだ。


「衣装が重いだろう。大丈夫か」


 エリーゼの耳に唇を寄せ、ヴォルフが囁く。エリーゼも、ほんのわずか彼の方に顔を傾けて答える。


「ええ……調子が違うけれど。頑張ります」


 練習の時の普段着と違って、アポロニアのドレスはたっぷりとした生地が重く、回転する度に振り回される。でも、ヴォルフが支えてくれるからなんとか決まったステップをこなすことができる。舞踏に縁がなかったのは彼も同じだけど、鍛えた肉体のお陰でエリーゼの覚束なさを補う余裕があるというのが羨ましかった。


「エリーゼ……どうして……!?」


 回りながら広間を移動していくうちに、小さな叫びがエリーゼの耳に刺さった。トラウシルト家の令嬢の誰かだろうか。あの屋敷でエリーゼのことが語られることは、きっともうなかっただろう。生贄に差し出した娘のことなど、令嬢たちは綺麗さっぱり忘れていたはず。王女の衣装を貸していただいて、幸せそうに微笑むエリーゼの姿など、想像だにしなかっただろう。


(でも、私の方も同じだったわ)


 トラウシルト家にいる間は、ずっと一族の者たちの顔色を窺っていた。直接彼女に向けられたものでなくても、令嬢たちが囀るひと言ひと言にいちいちびくついて、怯えては傷ついていた。でも、ヴォルフと結婚してからというもの、あの屋敷のことはどこか遠い世界のことのようにおぼろになって、ほとんど頭を過ぎることもなかった。ヴォルフのこと、自分自身の将来のこと──考えることがあまりに多くて。トラウシルト家に庇護された、安全なはずの世界は、小さな檻でしかなかった。ヴォルフと会って初めて、エリーゼはちゃんと生き始めたのだ。


「あの『奥様』は、あんなに綺麗だったかな……?」


 彼女に本当の意味で命をあたえてくれたヴォルフのために、エリーゼは戦うと決めたのだ。だから、令嬢たちの驚きの表情に得意になることもないし、不躾な呟きを聞いて傷ついたり腹を立てたりすることもない。ただ、今のエリーゼがあるのはヴォルフのお陰だということを社交界に知らしめるのだ。そのために、エリーゼは踊り続け微笑み続けた。




 一曲が終わるまでに、エリーゼたちは広間を一周してアポロニアのもとに戻っていた。初めて盛装して踊ったにしては上出来だったのだろう、王女の満面の笑みに迎えられてエリーゼも安堵することができた。


「ふたりでも練習していたのでしょう。見違えるようだったわ」

「まあ、ありがとうございます」

「妻に──それに、王女殿下にも恥をかかせる訳には参りませんので」


 親しげに言葉を交わす三人に、周囲から矢のように視線が注がれていた。今後の立ち居振る舞いをどうすべきか、皆、懸命に考えていることだろう。今まで広く言われていたように、そして王子に倣って、「ヴォルフリート将軍」を残虐な獣と見下して良いのかどうか。王女と将軍が手を結ぶなら、歩み寄っておいた方が良いのだろうか。

 打算や好奇の目を寄せる人々を揶揄うように──あるいは、駄目押しのように。アポロニアはヴォルフに手を差し伸べた。


「そうね、あの調子なら私が踊っても不名誉にはならないでしょう。──踊ってくださるかしら、将軍」

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