一縷の望み

 エリーゼなどにアポロニアが真摯な言葉をくれるのは、嬉しい。でも、何よりも恐怖が勝る。高貴な方が謝るような事態が起きていることなど、信じたくはなかった。


「……何があったのかを教えてくださいませ。ヴォルフは、私の夫は、どこにいるのですか……!?」


 夫の情報を求めて食い下がると、アポロニアの細い眉が寄せられた。それでも、躊躇いに時間を費やすことはなく、すぐに唇が言葉を紡ぎ始めた。


「曲が終わった後、アンドレアスが来てくれたの。お兄様が貴女を誘って広間から出たというから──」


 その時点では、アポロニアたちはもちろんマクシミリアン王子の企みを知らなかった。でも、ヴォルフリート将軍が王女と結んだのを目の当たりにして、王子が快く思わないことは想像に難くなかった。だからヴォルフは顔色を変えて、エリーゼを探しに広間を後にしたのだという。


「彼と踊ろうと、順番を待っていた方もいたのだけど、ね……」


 アポロニアの悔しげな呟きが、エリーゼの胸に刺さった。エリーゼの笑顔や王女との一曲が、貴族の令嬢の目を啓くことができていたかもしれないのだ。たとえ打算からであったとしても、遠巻きに眺めるだけでなく、歩み寄ろうとしてくれる人もいたのに。


「アポロニア様が襲撃されたのは聞いているのですね。それは、王子殿下から……?」


 ヴァイデンラント伯爵が、エリーゼに葡萄酒を満たした盃を渡しながら尋ねた。エリーゼの言動から、ある程度の事情を察したのだろう。疑問というよりは確かめる調子だった。


「はい。でも、ヴォルフはそのようなことは──」

「分かっているわ! 私に何かする気なら、屋敷を訪ねた時にやれば良いのよ。彼が私の傍を離れたのも、エリーゼ、貴女を探すため。その状況にしたのはお兄様じゃない!」


 憤りを込めて語気荒く語る王女に、兵たちの視線が注がれていた。装備からして身分も階級も様々な彼らが浮かべる表情は様々だ。気遣うようなもの、いたわるようなものは、奇禍に遭ったばかりの姫君には相応しい。けれど、中には睨むような、咎めるような気配を見せる者もいるのが不可解かつ不穏だった。


「よく、ご無事でいらっしゃいました……」


 何が起きていて、何が信じられているのか判じがたい。ここが無事なのかも分からないから、王女にかけるエリーゼの言葉は頼りなく細いものだった。アポロニアは、礼を言うように小さく笑ってくれたけど。その笑みも、すぐに悔しげに歪められてしまう。


「襲われたと思った時には、『助けられて』いたの。何が起きるか分かっていたみたいに、都合よく控えていた衛兵がいたから……! 尋問のために捕らえろと言うのも聞かないで!」


 アポロニアは眉を寄せると、騎士のように彼女の傍近くに控える伯爵を見上げた。


「アンドレアスが怪我をしたのも、むしろ『賊』を庇ってのことだったわ……」


 気付けのために、と自分に言い聞かせて飲み干した葡萄酒が、やけに苦くエリーゼの舌を刺した。全てマクシミリアン王子の思い通りに運んでいる。王女を襲った「賊」の口は封じられ、王子との関与を示す証拠は、きっと残されていない。険しい目の兵士たちは、王女の、兄君に対する非礼を咎めているのだと分かってしまった。王太子殿下の素早い手回しで助けられておいて、何が不満なのか、と。


「アポロニア様、ヴォルフを探してくださっています、よね……?」


 エリーゼだけでなく、アポロニアまでもマクシミリアン王子の手の内に囚われているかのよう。不安な状況に胸を締め付けられながら、エリーゼは恐る恐る、夫の名前を口にした。


「爆発は武器庫、なのですよね。王子殿下は、ヴォルフがやったことにするおつもりだと……! 彼はもう瓦礫の下だ、とも! ならば、彼はそこにいるのではないのですか!?」


 ほとんど詰問の勢いで問うエリーゼから、けれどアポロニアはそっと視線を逸らした。


「そう……その可能性は高いのは分かっているわ。貴女を囮におびき出して……お兄様は今夜、将軍を亡き者にするつもりだろう、と。でも……私が動く訳にはいかないの」

「アポロニア様……」


 恥じ入るように打ち明けた王女が言わんとするところを悟って、エリーゼは言葉を失った。彼女を探しに動いていたのがヴァイデンラント伯爵だけだったことで、察しておくべきだった。


 王宮の広間にまでも、マクシミリアン王子は刺客を送り込むことができた。爆発の混乱に誰もが浮足立つ今ならば、話はもっと簡単だろう。もしも王女の命が失われることになったら、王子はこれ幸いとヴォルフの罪を増やすに違いない。王女の軽挙を、期待してさえいるかもしれない。妹の仇を討った兄の美名を、きっとあの方は欲しがるだろう。

 だから、アポロニアは動けない。


「ごめんなさい、エリーゼ」


 ひと言呟くと、アポロニアは顔を俯かせた。


「貴女だけでも保護できて良かった。どうか私と一緒にいて。将軍のことは本当に、本当に申し訳ないと思うの。でも、せめて貴女を守り切ることが、彼への──」

「私の夫を死んだように言わないでくださいませ、アポロニア様」


 乞うように訴える王女を、エリーゼは無礼にも遮った。責められるべきはマクシミリアン王子であってこの方ではない。それに──諦めるのは、きっとまだ早いのだ。


「炎に焼かれても生き残った方ですもの。まだ……分かりません」

「エリーゼ、でも──」


 驚いたように目を上げる王女にかける言葉を、エリーゼは必死に考えた。ありもしない希望に縋っているだけだと思われないように、成算があると信じてもらえるようにすればどうすれば良いか。マクシミリアン王子に言われたこと、あの方が企みそうなこと──つまりは、世間に対してどう説明するつもりかということを。隙がないと思える謀に、綻びが見つけられないかどうか。


「王女様を狙った賊、その黒幕を取り逃がした、などということにはできないはず……だから、死体は確実に見つかるようにするはず。後から運び入れるのは……いえ、いけません。他から持ち込んだのと、瓦礫に圧し潰されたのでは、様子が、違うはずですもの」


 ヴォルフの死など、想像するだけでも息が詰まり、胸が締め付けられる恐ろしいことではあるけれど。爆発を起こした罪をなすり付けるためには、ヴォルフは武器庫から発見されなければならない、と王子たちは考えるはず。


「でも、一方で命を賭けてまで……その、『最後まで』見届けようという者がいるとも思えません。それなら──」

「縛り上げでもして武器庫に転がして──その上で、あの爆発か……?」


 伯爵が同じ答えに辿り着いてくれたことに力を得て、エリーゼはアポロニアの手を握り、訴えた。


「だから、今ならまだ間に合うかも……!」


 火薬の威力がいかなるものか、エリーゼは知らない。かつてヴォルフが生き残ったのも、とてつもない僥倖だったのかもしれない。もしもヴォルフが既に死んでいるなら、儚い希望を抱くだけ苦しむことになるのかもしれない。でも、もしもまだ生きていてくれるなら。助けがあれば、手当てがあれば、命を繋ぐことができるなら。ただ一筋でも望みがあるなら、それを捨てることなどできなかった。


「どうか行かせてくださいませ、アポロニア様。王子殿下は仰っていましたわ、私は取り乱していて、夫を助けようと悪あがきをしているのだと。だから、爆発するかもしれない場所にも飛び込んでしまうのです。王子殿下にとってもきっとそれは都合の良いこと──だから、私なら……!」

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