招かれた客、招かれざる客
来客
王女と縁があるという人物と会いたい、と告げると、ヴォルフリート将軍は安堵したように笑った。顔を背けることも忘れたらしく、正面から笑顔を見ることができたのはエリーゼの密かな喜びになった。今では、この方の傷は全く怖くなくなっている。エリーゼの方も、俯くことなく彼に対することができるようになっている。
「決心してくれたか」
「はい。少なくとも、お話は聞いてみませんと」
「貴女はご実家の考えをあずかり知らないと、既に説明していたところだ。だから、不安になることはないだろう」
「ありがとうございます」
にこやかなやり取りを続けながら、エリーゼの心の片隅を後ろめたさが針のように突いていた。身の振り方を考え始めたのではなく、彼女が別の目的でその人物と会おうとしていると知ったら、将軍はどう思うだろう。驚くか――怒るかもしれない。間違えて娶ってしまっただけの女が、出過ぎた真似をしようとしているのだから。
(貴方はどうしてひどいことをしたのですか。誰が、そうさせたのですか)
考えた末に、エリーゼは根本の疑問に辿り着いたのだ。将軍が好き好んで非道を働くはずがないのなら、誰かがそれを命じたはず。そして、将軍はどうしてかその命令に従った。その理由を、王女の傍にいる人ならば知っているかもしれない。知ったところで、やはりエリーゼには何もできないのかもしれないけれど。ミアと話した時に考えたように、王女を操ろうという野心を持った人だとしたら、本当のことを教えてはくれないかもしれないけれど。
でも、何かをしなくては始まらない。実家で俯いてやり過ごした日々はもう終わりだ。エリーゼは、もう自分の力で考え、道を選ぶことができる。むしろ、そうしなければならないと心に決めたのだ。
「すぐに日取りを決めよう。あちらも待ち構えているだろう」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
将軍に恭しく頭を下げながら、エリーゼは内心で計画を練っていた。王女の知人が、彼女のために何もかもを親切に教えてくれるはずはない。便宜を図ってくれるというのも、エリーゼではなく王女の利益になるからこそだ。だから、無策で望んでもギルベルタにされたように言いくるめられるだけ。だから――今度こそ、エリーゼも立ち向かわなければならないのだ。
将軍の知人を招く日は、滑らかに決まったらしい。その日がやって来るまでの時の流れの速いこと、エリーゼに結婚が決められた時のことを思い出させる。でも、不安に震えるだけだったあの日々と違って、将軍の屋敷での日々は平穏なものだった。時に将軍と談笑し、ミアをはじめとする使用人たちを手伝い、手が空けば本を読んだり刺繍をしたりして時間を潰す。そんな穏やかな日々を――ある意味で――満喫しながら、エリーゼは鋭気を養っていた。
そして、来客の日の当日。その人物を迎えに、将軍は昼近くに屋敷を出た。午後の茶会という形で、エリーゼはその人と顔を合わせることになる。さすがに緊張する心を宥めようとエリーゼが自室で針を動かしていると、扉を控えめに叩く音がした。入るように声を掛けると、ミアがしきりに首を傾げながら入室してきた。
「お邪魔します、奥様。あの、奥様にお客様なんですけど――」
ミアのエリーゼに対する態度も言葉遣いも、最初とあまり変わらない。エリーゼにとってみれば、かなり砕けていて心配になるくらい、というものだ。でも、最初と違って刺すような目で睨まれることはなくなったと思う。ふたりで茶菓を囲んだあの一件以来、この少女はエリーゼに打ち解けてくれた。そう思っても、多分エリーゼの思い違いではないだろう。
「私に……今?」
今では、屋敷の中で最も構えずに話すことができる相手がミアだ。相手の方でも、エリーゼの臆病ぶりや口下手さにも慣れてくれたように見える。時に苛立ち、例によって唇を尖らせながらも、彼女の言いたいことを辛抱強く汲み取ってくれる。だから、だろうか、彼女には訪ねて来るような知己も友人もひとりとしていないのを、呟きひとつで気付いてくれたようだった。
「はい。今日は予定があるんですって言っても聞かなくて。奥様に、すぐ済むからって。だから一応……でも、お心当たりは、ないんですね?」
「ええ……」
鏡合わせのように、エリーゼとミアは全く同じ角度で首を傾げた。ヴォルフリート将軍の奥方という存在を見物したい人は多いのかもしれないけれど、将軍は頼まれても断っているらしい。エリーゼを見世物にするつもりはないということだ。それも、この屋敷が居心地良いと思うようになった理由のひとつ。でも、今はその将軍もいないのに。
(トラウシルト家の誰か、かしら……?)
あえて心当たりを捻り出すなら、エリーゼの実家くらいだろうか。けれど、ギルベルタ当人だろうとその遣いだろうと、さすがに報せもなくやって来ることはないだろう。エリーゼを侮りヴォルフリート将軍を見下しているとしても、名家の矜持が礼節を破ることを許さないはず。
「あの、お名前は仰らなかったの?」
それに、何よりトラウシルト家の名を名乗らないのはあり得ないだろう。一族の血を引く者はもちろん、仕える使用人だって由緒ある家の名を誇っているのだから。確かにその名を聞くことで従う者も多いのだろうし、ミアも聞いているなら真っ先に伝えてくれただろう。
案の定、ミアはエリーゼの問い掛けに首を振った。
「はい、名乗ってくださいませんでした。……やっぱり、お断りした方が良いですよね? 誰か、男の人に追い返してもらいますか?」
「そうね……いえ、それは良くないわ。煩わせてしまうもの」
ミアの提案に安堵しかけて、でも、エリーゼはすぐに首を振った。男性の使用人に頼れば安心だけど、それではいけない。彼女は間違ってこの屋敷にいるのだから、屋敷の者の庇護を当然のものと考えてはいけないだろう。エリーゼの客ならば、彼女自身が応対しなければならない。それくらいできなければ、これから会う本来の客と対峙することもできないだろう。
「私がお会いしてみるわ。今日はお招きする訳にはいかないし――用のない方なら、私から帰っていただくようにお伝えしなくては」
エリーゼは自身の衣装を見下ろし、髪に触れて、人前に出ても問題がない姿なのを確かめた。来客のために着替えるにはまだ早い時間だったけれど、着飾る必要はないはずだ。多分、あわよくば噂の将軍の奥方を目にしたいという人だろうから。
「えっと……でも、奥様が出られるのは良くないっていうか……男の人の方が良くありません?」
「でも……あの、貴女では帰ってくださらなかったんでしょうから……」
ミアを低く見るつもりはないけれど、多分、それなりの立場の者の言葉ではないと納得しないとか、そういう類のことを言う厄介な「客人」なのだろう。それなら、エリーゼ自身が出向いた方が早く済むはずだ。
「奥様、この後はお着替えもあるんですよ? 間に合わなくなってしまったら──」
「ええ……だから、手短に済ませたいと、思うのだけど」
ミアの目にはエリーゼはよほど頼りなく映るらしく、やけに心配してくれる。でも、だからこそエリーゼの心は固まった。屋敷の者に面倒をかけることなく、彼女の独力でどうにかしなくてはならない。
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