後日談・帰るまで

 嘘も繰り返せば自分自身をも騙すこともある。それを、ミアは身を持ってよく知っていた。


『あたしが生きているのは旦那様のお陰です。旦那様はあたしの恩人なんです』

『だから、誰に何を言われても気にしないでください。あたしは感謝してるんですから』


 最初は、はらわたが煮えくり返る思いで言っていたはずなのに、いつしか心の底から言っていた──そんなつもりになっていた。ヴォルフリート将軍を陥れるはかりごとに関わっているのを忘れた訳ではない癖に、そんなことを企む連中に本気で憤っていたのだ。人の心なんてその程度のもので、言葉や状況によっていくらでも変わってしまうのだ。


 だからミアには、マクシミリアン王子という人の気持ちが少し分かってしまうかもしれない。




 ミアを取り囲むのは大人の男ばかりで、彼女は壁に圧し潰されるような思いを味わった。


「あたしが『その方』に初めて会ったのは三年前のクレーエンアウゲです。『狼将軍』の傍に送り込むのに、身寄りのない女の子を探しているということでした」


 木のかせが手首に食い込む痛みを感じながら、ミアは彼らを睨め上げて、できるだけはっきりと、大きな声で語る。小娘だからといって威圧できると思われて堪るものか、という一念が彼女を支えていた。

 王女暗殺未遂と、武器庫の爆発──ミアは、あの夜の騒動の証人だということになっている。けれど、この場のほとんどの者にとっては彼女はなのだろう。平民風情が虚言を弄して、恐れ多くもこの国の王子を貶めようとしているのだろうと、疑ってかかっているのが見えていた。


(別に、みんな本当のことだもの……!)


 腕組みをしている者、ペンを手に記録を取っている者──ひとりひとりを睨むように見渡しながら、ミアは続けた。彼女がどうやってヴォルフリート将軍と出会ったか。つまりは、どうやってマクシミリアン王子の手先になったのかを。


「他の子にも声をかけていたようでしたけど、ほとんどの子は怖がって嫌がっていました。あたしが、故郷を燃やした人に仕えるなんて嫌だ、って言うと『その方』は興味を持たれたようでした」


 多分、あの人はそれくらいに気概のある子供を探していたんだろう。将軍に警戒されず、それどころか哀れまれて仕事を任せられるような年頃の、できれば女の子の方が都合が良い。狼将軍の噂に怯えるような臆病者ではなく、復讐心を抱いているくらいが扱いやすい。その上で、連絡用に最低限の読み書きはできるような──ミアはきっと、あの人にとってまたとない駒だったのだ。


「王家のオイレの紋章を見せられて──勝利のためにけだものに頼らなければならないのが情けない、いずれは将軍を止められるような手を打っておくのがせめてもの王族としての務めだ、って仰いました」


 多分、マクシミリアン王子は内心で快哉を叫んでいたのだ。あるいは、彼自身もすでに自分の嘘を信じ込んでいたのかもしれないけれど。とにかく、その時のミアは何も気付かなかった。綺麗な恰好の綺麗な人が哀れんでくれて、復讐の術と策を授けてくれたことに舞い上がってしまったのだ。それがとても愚かな思い違いだということは、彼女の証言を聞いた者たちの反応からも明らかだった。


「殿下は確かに三年前、クレーエンアウゲの戦場跡を慰問されているが──」

「その点の真偽はどうでも良かろう。『狼将軍』を見出したのはマクシミリアン殿下なのだから、飼い続けるも始末するも殿下の御心次第だろう」

「とはいえ、王家の名を騙る者がいたなら不敬には当たらぬか?」

「平民の小娘に対しての詐欺か? その程度で咎めていては切りがないぞ」

「例の獣の非道に心を痛めるのは人として当然のことではないか。特段、王家の評判を貶めることではないだろうさ」

「まあ、悪評を引き付けるためにわざわざ醜い傷の男を探したのだろうしな」


 こともなげに囁きかわされる言葉を聞いて、笑いのさざ波を頬に感じて、ミアは唇を強く噛み締めた。


(皆、知ってた……旦那様は操られてるだけだって……黒幕がいるって……!)


 ミアの家族や故郷を焼き滅ぼした策は、将軍が考えたものではなかった。名のある王侯貴族が実行するには憚られる残虐すぎる手段を、平民出身のあの人にやらせただけだったのだ。将軍がずっと黙っていたのは、軍の機密を漏らさないためか、言い訳を嫌ってのことか──あの人のことだから、後者のような気がしてならないけれど。とにかく、ミアが狼将軍の真実を知らされたのはあの夜になってやっと、将軍を追い詰めるための仕掛けが発動してからのことだった。

 死の罠が待つ闇の中へ消える、銀の髪の煌めきがミアの目蓋に蘇った。取り返しのつかないことをしてしまった、と。気付いた瞬間の心臓を貫かれるような痛みも蘇って、思わず俯く。ミアの旋毛つむじの上を、苛立たしげな声が通っていく。ヴァイデンラント伯爵の声だ。


「だが、仮にも将軍の地位を賜った者や、その奥方を狙う企みは明らかな罪だろう」


 ミアは、自分が今いる建物、今いる部屋が何と呼ばれているかを知らない。牢獄というほど冷たくも汚くもないけれど、それでも余所余所しい雰囲気の場所だ。法廷、は──裁判官もいないから違うのかもしれないけれど。とにかく、多分、何かしらの役所に属する建物で、記録や取り調べや尋問のためにミアのような証人を呼び出すための部屋なのだろう。口裏を合わせるのを防ぐためだろう、彼女はもう一ヶ月以上も外に出ていないし、将軍とその奥方がどう過ごしているかも知らされていない。奥方が目覚めるまで屋敷に留め置かれただけでも、格別の扱いだったらしい。

 知らない場所で知らない──それも、彼女に疑いの目を向けてくる──人たちと対峙するのは体力も気力も削られることだった。王女の代理ということで、彼女の肩を持ってくれる伯爵がいなかったら、疲れも枷の痛みも、きっともっと激しくミアを苛んでいただろう。


「このミアが指した者が王子殿下の従者だった件については、各々どうお考えか?」


 伯爵が身を乗り出して追及するのは、奥方を襲った男を手引きした者は誰か、という点だ。ヴォルフリート将軍を恨んだ者が彼の留守中に屋敷を訪ねただけだ、なんていうバカバカしい理屈は却下されている。ミアが、何日何時にこういう客があるから、将軍の奥方に接待させろ、という命令の手紙を保管していたからだ。


「ミアは、その者が髪型を変えて髭を剃っていたことまで言い当てたのをお忘れなく」


 ミアは、手紙の仲介者──屋敷に限らず、買い物や使いに出る機会をあらかじめ言い交して接触していた──の名前を知らなかった。平民の小娘にいちいち明かす名を、貴族の人たちは持たないのだ。ただ、何度も会った相手だから、多少の小細工をしたところで見間違えることなんてなかった。いったいどういう基準で集められたのか──何人かの身なりの良い男たちの中から、ミアが迷わずただひとりを指した時、伯爵以外の者はひどく苦々しい顔をしていたものだった。見て見ぬフリをしようとしていたことを指摘されて、彼らはまた酢を呑んだような顔になる。


「……王太子殿下に仕える者として、不心得な者がいたのは確かかもしれぬ。いや、それも将軍の非道に心を痛めたからなのだろうが……」

「ミアの手元の手紙には、王子殿下のものも含まれていた。従者が、恐れ多くも殿下にこの内容を書くように強いたとでも!?」


 伯爵が声を荒げると、部屋のどこかから舌打ちが聞こえた。ミアに対して余計なことを、と思っている者が、きっとこの場に混ざっているのだ。人目がなければ絞め殺してやりたいとでも思われていることだろう。

 だって、ミアは手紙はすぐに破棄するように命じられていたのだから。余計な証拠は残すな、と。それまでは素直に従っていたのにそうしなかったのは──あのころには、ミアだって薄々は気付いていたのだろう。彼女のの言うことはどこかうさん臭くて信用ならない。都合の良いことだけを聞かされ、利用されようとしているのではないか、と。


「筆跡を真似た可能性はある! 例えば……そう、王女殿下はもちろん兄君の筆跡をご存じだ」

「将軍を処罰しようというなら、殿下にはいつでも可能だったのだ。どうしてわざわざ策を弄する必要がある!?」


 この部屋には、思いのほかにマクシミリアン王子に者が多いらしい。それとも、王子が悪事に加担しているとバレると彼らも危険なのか。どちらにしても見苦しいから、ミアは思わず呟いた。


「人を思い通りに動かすのが楽しかったんでしょ」


 一斉に突き刺さる敵意の目を、ミアは胸を反らすようにして受け止めた。ヴァイデンラント伯爵の溜息が聞こえたのは、申し訳ないと思ったけれど。余計なことは言うなと言われていたのに、つい、我慢できなかった。


 将軍や伯爵、王女から聞いた話だと、マクシミリアン王子は直接命じるよりも周囲から絡め取るようなやり方で目的を達成するのが好みらしい。じわじわと、嬲るように──そんな厭らしい手管は、ミアにも心当たりがあってしまう。


『美味しいですか? ありがとうございます! 母がよく作ってくれた料理なんです』

『ひとりは寂しいから……お屋敷で、皆さんと一緒にいられて嬉しいです』


 ミアが何気なく──そう装って──言ったことのひとつひとつに、将軍は仮面の下で傷ついていた。彼自身を責めていた。かつてはいたミアの家族を、あの人が失わせてしまったのだと突き付けられて。あの人の罪悪感を百も承知で、ミアはあの人の心の傷を抉っていたのだ。これも復讐の一環だからと、彼女自身の後ろめたさには蓋をして。でも、残虐非道の魔将とも呼ばれる人が、小娘の言葉の刃にされるがままになっている状況を、ミアは確かに愉しんでいた。


 だから、ミアにはマクシミリアン王子の思いがある程度分かってしまうのだ。

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