中
血と炎と爆発によって夜会が断ち切られてから十日ほど経って、アポロニアは兄を見舞いに訪ねた。傷を負うことこそなかったとはいえ、凶刃を向けられた彼女こそ、本来ならば見舞われてしかるべきなのだろうけど。そして、これまでの兄だったら、この
(でも、余裕がなくなっているのは事実でしょうね……!)
あの夜の血糊も疲れも綺麗さっぱり洗い落とし、もしかしたら夜会以上に華やかに着飾ったアポロニアの足取りは軽かった。
「お兄様、ごきげんよう! ヴォルフリート将軍の奥方が目覚められたのをお聞きになって?」
「……聞いた」
そして、にこやかな笑顔の彼女とは対照的に、出迎えた兄は珍しいほどはっきりと顔を顰めていた。妹に茶菓を出す礼儀さえ、できれば惜しみたかったとその表情が語るかのよう。エリーゼさえ目覚めなければ──死んでしまえば、兄に不利な証言をする者がひとり減ると期待していたのに、あてが外れたからだろう。
今回の件では、兄とアポロニアはお互いを出し抜き合っている。つまりは、相手が何をしようとしているかある程度把握しているということだ。だからこそあからさまに渋面を見せているのであって、臣下に対してはもっと取り繕うような態度になるのだろうけれど。でも、今、この瞬間はアポロニアの方が優位に立っている。滅多にない優越感に浸りながら、アポロニアはわざとらしく首を傾げた。
「
あの夜の間、王宮にいた者のほとんどが訳も分からず爆発や暗い空を焦がす炎にうろたえて右往左往していたものだ。そのどさくさに紛れて、兄はすべてはヴォルフリート将軍の陰謀だと主張していた。そして、将軍夫人であるエリーゼが、罪の意識に耐えかねて打ち明けてくれたからそれを把握して、妹を間一髪のところで救うことができたのだ、と。
少なくない者が兄の筋書きを真に受けていたとも思う。でも、太陽が昇り、被害の全容が明らかになり、そして証言と証拠が出そろい始めると、すべてがひっくり返ったのだ。
ヴォルフリート将軍は重傷を負いながらも生き延び、武器庫の爆発などあずかり知らぬことだと断言した。それどころか、夜会の席から拉致されて、気付いたら燃え盛る武器庫の中に縛られて放置されていたのだ、と。
それだけならば、罪を逃れるための虚言だと断じられて終わりだったかもしれない。でも、彼の証言は証人と証拠によって裏付けられることになった。将軍の屋敷の召使が、王太子マクシミリアンの命を受けて主人を陥れたと名乗り出たのだ。知る者も多い、王子そのひとの筆跡の手紙を携えて!
そこへ、夫と同じくひどい火傷で倒れていたエリーゼが目覚めたのだ。彼女が何を述べるか、オイレンヴァルトの社交界が注目していた。将軍の
『私から王子殿下に打ち明けることなど何もございませんでした。王子殿下がそのように仰っているというのは、そのように
エリーゼの証言は、いち早く兄のもとにも届いていたに違いない。
「夫を庇っているのだ。そうしなければ自身にも罪が及ぶと承知しているだろうしな。そう驚くようなことではない……!」
「あら、でも、エリーゼは結婚式の時は今にも倒れそうな顔色だったでしょう?
「暴力で脅されていたのだろう。気の毒なことだ」
いつもなら同情や哀れみを装った台詞になっていただろうに、兄の口調は吐き捨てるようで苛立ちを隠しきれていない。やはり余裕が失われているのを見て取って、アポロニアは笑みを深めながら身を乗り出した。
「それなら、将軍なんて放っておけば良かったのよ。そうすれば逃れられたでしょうに。……ねえお兄様、それよりももっと分かりやすく説明できるわ。エリーゼと将軍は愛し合っているの。将軍は命を懸けるのに相応しいくらいに素敵な人で、可哀想なエリーゼの心を融かすことができたのよ! きっとそうに違いないわ。私、お友達にも伝えてあげようと思っているの。みんな、こういうお話は大好きでしょうから」
わざとらしく胸の前で手を組んで、夢見る乙女のような格好をしてみせると、兄は音高く舌打ちをした。これも、とても珍しい無作法だった。
「推測で不確かなことを広めるなどと、そなたの立場には相応しくないな……!」
アポロニアにとって都合の良い筋書きを喧伝するつもりだ、と。妹が仄めかしたのを兄はちゃんと聞き取ってくれたらしい。さすが、こういうことは兄の方が得意なのだ。焦りもあるだろうに、お説教に持って行くのは兄の癖になっているのだろうか。
(止めてくれと懇願するなら、まだ可愛げがあるのにね!)
あくまでもお前のためを思って、という建前を崩さない兄への苛立ちを、アポロニアは優雅な微笑に変える。兄を脅かす手札を、彼女はまだまだ持っているのだ。
「あら、でも、本人からも聞きましたわ。エリーゼは、ヴォルフリート将軍を愛しているのですって。お見舞いにも行ったのですけど、ふたりとも傷だらけなのにお互いを思いやっていて、羨ましくなるほどでしたのよ?」
「そなた自身が将軍の屋敷を訪ねたのか? それも、軽々しい振る舞いだ。事件の
(だからお兄様のお耳に入る前に教えたのよ!)
言われかねない、ではなくて、兄が自身の支持者たちにそう言わせようとしているのだろうに。忠告めかして眉を寄せる兄に、熱い茶をかけてやりたいくらいだけど──行儀よく飲み干してあげよう。兄が何を言おうと、今は負け惜しみでしかないのだから。
「ふたりは
「だが──」
「もちろん、既に将軍の屋敷には調査の手が入っておりますし。私は、くれぐれも手を抜くことがないように、釘を刺しに行ったまでですわ」
それらしい証拠や証言が幾つか現れたからといって、誰もがすぐに納得する訳ではないのだ。兄の意を受けた者たちだって、
だって、王宮が炎と火薬で冒され、王族に刃が及びかけたのは大事件だ。有耶無耶に済ませて良い問題では絶対にない。ましてアポロニアは危うく殺されかけるところだったのだから、調査に決して手心を加えるなと命じるのは当然の権利というものだ。
そして、それはそれとして。アポロニアの言葉が兄を翻弄する様を見るのは大変愉快なことだった。兄との茶会を楽しんだことなど一度もないと思うけれど、今日に限っては茶はやけに香り高く、出された菓子はやけに甘い。
「お兄様だって、何が起きたか気になっていらっしゃるでしょう。──ねえ、あの夜のことで、隠していらっしゃることはないでしょうね?」
「そなたまで私を疑うのか。血を分けた兄を……!」
だって、
「いいえ。でも、エリーゼが気にしておりましたの」
アポロニアが兄の真似をしようとしても、きっと遠く及ばないのだろう。ここ数年というもの、兄に取って代わろうと根回しだの密会だのに励んで、彼女には
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