後日談・最高の相手

 数か月ぶりに王宮の夜会に姿を見せたヴォルフリート将軍とその夫人は、たちまちのうちに人だかりに囲まれることになった。何しろふたりが社交の場に現れたのは以来のこと、前回は声を掛け損ねた者や、見舞いの言葉を贈る振りでアポロニア王女に擦り寄ろうという者──純粋に夫妻を案じている者も、いくらかはいると良いのだが。

 アンドレアスは、周囲の人垣がある程度解けたところでふたりに歩み寄った。彼は王女の供として私的に彼らを見舞ったことがあるから、初めて挨拶をしたいという者たちに譲った方が良いだろうと考えてのことだ。


「またお美しい姿を拝見することができて、大変嬉しく思いますよ。──治られて、本当に良かった」

「伯爵さま……お心遣い、誠にありがとうございます」


 銀の髪を結い上げた将軍夫人が美しいのは、お世辞ではなく単純な事実だった。先の夜会で王女が貸した衣装も豪奢なものだったが、最上の衣装というものは、やはり本来の持ち主をもっとも輝かせるように作られているものだ。趣味の良いアポロニア王女の助言のもと、夫人の髪や肌や目の色、月灯りの下の白薔薇のような繊細な美貌を惹き立てるように仕立てられた薄青のドレスは彼女によく似合っていた。

 今の流行とは違う襟の高さも長い袖も、消え切っていない火傷の痕を隠すためではあるのだろうが。生地で覆うことができない部分の傷痕については、目立たせないための化粧を王女と研究していたのを、アンドレアスも知ってはいるが。だからこそ、この女性が自信を持って大勢の前に立つためには、惜しみない称賛が必要だろう。


 言葉だけでなく行動でも示すため、アンドレアスは微笑むと将軍夫人に手を差し伸べた。


「先日は踊っていただけなかったので、一曲お相手をお願いできますか? 幸いに、今夜は王子殿下はおでではないことですし」

「まあ……」


 やや不遜な冗談を述べると、夫人は思わず、といった様子で頬を緩めた。余計な邪魔が入る恐れはないから、と仄めかしたのを汲み取ってくれたらしい。


 アンドレアスと将軍夫人の間に割って入ったマクシミリアン王子は、ここのところこういう場に姿を見せてはいない。ということだが、実際のところは誰もが承知しているだろう。実の妹の暗殺を目論み、その罪をヴォルフリート将軍に着せようとした黒幕があの方であり、世間の目を憚るがゆえに、王族でありながら公の場を避けているのだ、と。王子が占めていた役割は、次第にアポロニア王女に移っていっている。王女が次代の王冠をいただく者として認められる日も、きっとそう遠くないことだろう。


 アンドレアスの手を前に、夫人は首を傾げてヴォルフリート将軍を見上げた。誘いに乗って良いものか、夫の機嫌を窺うように。これもまた王女があつらえた新しい仮面を帯びた将軍は、そっと妻をアンドレアスの方へ押し出した。


「行ってくると良い。踊れるようになったと確かめられればアンドレアスも安心するだろう」

「ええ。──よろしくお願いいたします、伯爵さま」


 促されてやっと、夫人はこぼれるような笑顔でアンドレアスの手を取った。堂々とした振る舞いも優雅な所作も、最初に花嫁姿を遠目に見た時とはまるで違う。ほんの数か月の間に、この女性は見事な貴婦人に変身した。王女や彼のも多少は手伝ったが──何よりも夫のためにこそ、彼女は変わったのだろうと思えた。




 将軍夫人との一曲を踊り終えた後、アンドレアスは広間の端に下がった。美しく、かつ社交界には新参の夫人と知己を得ようと群がる男は多いから、順番を譲らなければならない。王女との交流が広く知れ渡っている今なら、マクシミリアン王子のような不心得者は現れないだろう。

 将軍──ヴォルフも誘いあまたなのは夫人と同様、とはいえ顔に傷のある長身の男に声を掛けるのをためらう令嬢も少なくないようで、曲の切れ目を見計らってアンドレアスの隣で休息を取ることにしたようだった。舞踏や恋の火遊びに興じるほど若く浮ついていない貴族たちも多いから、これはこれで社交の機会になるだろう。

 とはいえ、今のところ彼とヴォルフが酒杯を片手に視線を注ぐのは、どこかの貴公子と踊る将軍夫人だ。薄いドレスの裾を翻し、銀の髪を輝かせて踊る彼女は広間の中でもよく目立っている。彼女が踊るのを見ながら、アンドレアスとヴォルフの唇から呟きが漏れた。


「やはり、ぎこちないな」

「やはり、美しいな」


 ほぼ同時にまったく違うことを口にした彼らは、数秒見つめ合うことになった。ヴォルフの目に怪訝そうな色を読み取って、アンドレアスは説明が必要なことに気付く。彼の友人が舞踏を倣い始めてからまだ間もなく、他人が踊っているところを見る機会もこれまでは少なかったのだ。


「君以外が相手だと、奥方は全身に力が入ってしまうようだ。私の時もそうだったんだが、私だけでなくて安心したというか」


 踏み込んだことを聞く無作法を冒す気にはなれないが、将軍夫人は実家であるトラウシルト家でよほどひどい扱いを受けていたらしい。夫以外の男に触れられると身体を強張らせる気配があるところからして、年頃の令嬢が当然施されるべき教養を与えらえなかったばかりか──想像するのもおぞましいが──暴力を受けていた節さえ感じられる。アポロニア王女と「ヴォルフリート将軍」を結び付けたい一心で、彼女の生まれを揶揄したのは恥ずべきことだったと、今のアンドレアスは思い知っている。


 ヴォルフと奥方は心から愛し合い信頼し合う夫婦で、誰も割って入る余地などないのだ、と。暗に言ったつもりだというのに、ヴォルフはまだ納得していないようだった。


「そうなのか? 慣れている方とのほうが絵になると思っていたのだが」

「……まさか、血筋正しい貴公子のほうが彼女に相応しい、なんて思っていないよな?」


 もしや、彼の友人はとてつもない思い違いをしているのではないだろうか。そうと気付いてアンドレアスは思わず眉を上げた。

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