第53話 将門流
「生きていたのか」
安堵の表情に山南が頬を緩めた。
「当たり前だ」
柔志狼が鼻を鳴らす。
だがその軽口に反して、その身体は満身創痍。
良く見積もっても、動けるのが不思議なぐらいな襤褸雑巾のようである。
「手前ぇも大概じゃねぇか」
太い笑みを浮かべるが柔志狼の腹から下は、血でずぶ濡れである。
「その腹の傷は――」
「掠り傷だよ」
唾つけときゃ治る――と、嗤った。
「それにしても、貪欲だな聖月杯とやらは……」
死屍累々と横たわる人の群れを見渡し、呆れたように肩を
――と、柔志狼の視線が止まった。
「おい。しっかりしろ」
柔志狼がここねに駆けより抱き起した。
微かだが、まだ息のある。安堵しつつも、その姿に気休めすら口にできない。
「どうなってんだよ」
「それは――」
口を開き替えた山南の背後に、音も無く弓月が立った。
その紅く染まる瞳に、山南が身を固くする。
「ちょっと見ねぇ間に、随分と色っぽくなったじゃねぇか」
柔志狼が眉間に皺をよせる。
だが、そんな二人に意を留める風もなく、弓月はまるで夢でも見ているかのように歩みを進める。
おいおい――と、困惑する柔志狼。
「駄目だ」
それに対し、弓月の意図を察した山南が立ちはだかる。
一瞬――そんな山南に、弓月が頬を緩めた。
だが次の刹那。
弓月から放たれた見えない力に、山南の身体が吹き飛ばされた。
駆け寄ろうとする柔志狼を、山南が制す。
弓月さんを――と、弓月の眼前に天羽の姿があった。
「任せろ」
ここねを静かに横たえ、柔志狼が奔る。
弓月は天羽を見下ろすように立つと、白い掌をかざす。
もう一方を天に向ける。
すると、周囲に漂っていた霊気が、天にかざした弓月の掌に吸い寄せられていく。
あふぅ――と、吐息を吐き身悶えすると、濃密な霊氣が弓月の身体を通し、天羽に向かって注ぎ込まれていく。
それを受け、天羽の身体がうねるように痙攣する。
「おいおい、嘘だろ」
その様子に戸惑いながらも柔志狼は、後ろから弓月を取り押さえようとする。しかし、信じられないような力で弓月がそれを振り払った。
「嘘だろ」
跳ね飛ばされた柔志狼は、直ぐに体勢を立て直す。遅れて駆け寄った山南が、先程までの事を説明した。
「秀吉に高台院ね――」
なんでも有りだな――と、柔志狼が溜息を吐く。
「――するってぇと、なにかい。あいつらの目的は、亡者の子作りってわけか」
気色悪ぃな――と、柔志狼が露骨に顔をしかめる。
「質は違うが両者とも、憑依と変わりない」
そうしている間にも、弓月から注がれる霊気により、天羽に気が満ちていく。最早、一刻の猶予もない。
「なら、先ずは姐ちゃんだな」
その意見に山南も同意する。
天羽は未だ、秀吉に対し抗っている様子も見える。だが、あの弓月は、高台院に完全に支配されている。
だがどうやる――と、柔志狼が視線で問いかけてくる。
柔志狼にも思いつく手段は幾つかはある。だがこの状況で、弓月を傷つけずに出来る術が、柔志狼にはない。
それは山南とて同様であった。それ故に、躊躇しているのだ。
「私を使ってください」
二人の背後に、蒼白なここねが立った。
「大丈夫なのですか」
山南の言葉に、ここねは静かに首を振った。
「ですから、私を使ってください……」
紙のように白い顔で無理に微笑んだ。
貴方ならできますよね――と、すがるような瞳で山南を見つめる。
「しかし……」
その瞳を直視できず、山南は視線を外した。
山南様――と、尚も詰め寄り、
「……お願いしま――」
山南に手を伸ばしかけた時、ここねの膝が崩れた。
寸前のところを柔志狼が支える。
「出来るだろ」
ここねを見つめたまま、柔志狼が言った。
「葛城……」
「手前ぇだって分かっているだろ」
ここねが既に助からぬ事は、山南にも分かっている。今こうして意識を保っていることすら奇跡のようなものだ。
「お、お願い致します。どうか私に、巫女を護る役目を――いえ、
「ここねさん――」
お願いします――と、ここねの唇が震える。
「おい、山南よ」
ここねを床に座らせると、柔志狼は山南を睨みつける。
「覚悟を決めやがれ。中途半端な優しさなんざ、馬の糞以下だぜ」
山南の胸倉を掴み、柔志狼が怒りを押し殺す。
「ここでアレを止めなきゃどうなるよ」
柔志狼の視線の先で、天羽が立ち上がる。
「命の重さに差があるとは思わん。だがな、時に選ばなきゃならなぇ時もあるんだよ。そんな事は――」
手前ぇがよく知ってんだろ――柔志狼の言葉が鉛のように重く、山南の胸に圧し掛かる。
「命を選ぶ……」
ここねを見つめ、変わり果てた弓月に眼を細めた。
「――くっ」
歯を軋らせ、山南は拳を握りしめた。
その姿に口元を綻ばせると、柔志狼はここねの前に膝を着いた。
「この間の礼をまだしてねぇ。これが終わったら、一杯奢らせてくれ」
「葛餅が食べたい」
いっぱい甘いの――と、ここねが引きつったように頬を緩ませる。
「――そうか」
柔志狼が太い笑みを浮かべた。
「旨い店知ってるぜ」
「約束――」
ここねが微笑もうとする。
柔志狼は、ここねの頬に着いた血を指で拭い、ぽん――と頭を叩いた。
山南よ――と、立ち上がり、
「流石に、長くは持たせる自信はねぇ」
だが振り返る口元には、いつもの不敵な笑みが浮かんでいる。
任せるぜ――と、柔志狼が風を巻き走った。
「承知」
力強く頷くと、左足を前に出し、山南が床を踏む。
だん――と、乾いた音が伝播するように、辺りに静かに響きわたる。
踏み鳴らした足を戻し、今度は右足を斜め後ろに下げ踏み鳴らす。
足を戻し、今度は最初の位置に左足を踏む。
そのまま戻さず、右足を大きく踏み込み床を鳴らす。
床を踏み鳴らした瞬間、右足は止まらず。更に右前方を踏み鳴らし、続けざま滑るように左足が大きく左前を踏み鳴らす。
一見、舞っているように見えるが違う。両の手は胸の前で剣のように構えられている。
更に右足を寄せると、次の瞬間、左の足が斜め後ろを強く踏み鳴らし、
「
――と、大きく
そして今度は、そっくり逆の順序で踏み戻していく。
そして最初の位置に戻ると、
「
――と柏手を打ち、今度は、先程よりも足早に、まるで駆けるかのような速度で、同じように床を踏んでいく。
その山南の動きを、上方より見るものがいれば、その動きが北斗七星を象っていることに気が付いたであろう。
そして先端にあたる場所を踏み鳴らしたとき、
「
拍手と共に山南の声が一際大きく鳴り響いた。
それは空気を震わし、地を震わせた。その響きは極々微かではあるが、豊壺屋の敷地全体に伝わった。
この時、豊壺屋の外に人がいれば見たであろう。周囲四方の塀に貼られた符が淡い光を放つのを。それは震えるように明滅しながら広がり、豊壺屋全体を淡い光の幕で包んだのだ。
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