第3話 贄犬

 鋼刃が煌めき、闇夜に火花が咲く。

 まるで彼岸花のように広がる火花は、とても美しかった。

 だがそれは、自分をあの世へ誘うかのようで、とても恐ろしくもあった。

 先ほどまで覗いていた月は、いつの間にか雲隠れし、辺りは漆黒に包まれている。

 それ故に、刃が打ち鳴らす火花は、堪らなく美しい。


 死にたくない――まだ、生きている。


 だから懸命に剣を振るった。

 耳のすぐ脇を通り過ぎる風切り音で、思わず褌を濡らした。


 構うものか――まだ、生きている。


「きえぇぇ――!」


 獣のような叫びを絞り出し、狂ったように剣を振る。

 型もクソも無い。

 あれ程までに修練した剣術など、どこかへ置いてきてしまったかのようだ。

 まるで餓鬼の喧嘩のように、出鱈目に剣を振り回すだけだ。


 がつん――と、剣先に手ごたえがあった。


 湿った布団を叩いたような感触と、固い石を叩いたような感触が同時に伝わる。


 ぎゃぁ!


 斬ったわけでは無い。

 相手の腕にでも刃が当たったのだろう。それくらいは分かる。


 大方、形ばかりの気楽な勤務さ――そう言って、俺をここに誘った奴は、半月前に死んだ。

 京の市中警備――京都守護職である会津藩の旗下といえば聞こえが良いが、要するに野良犬に毛の生えたようなもの。

 貧乏武士の次男坊が、老い先真っ暗な日々を送るよりもマシだろうと、軽い気持ちで参加したのが間違いだったのだ。

 ここは地獄だ。

 即日入隊。即日勤務。

 毎日毎日――不逞浪士との斬り合い。

 一歩間違っていたら、自分もあちら側へ転がっていたかもしれない連中を、追いかけ狩りたてる毎日――


 否。


 別に間違っちゃいない。

 どちらに転がったにせよ、野良犬には違いは無い。

 泥と血に塗れ、牙を噛み合うような斬り合いの日々。

 今日はこちらに運が転がったから生き残った。

 だが、あちらに運が転がれば、明日死ぬのはこちら。

 暗闇の中で剣を振るう丁半博打。

 死にたくない。

 死ぬために、京に来たんじゃない。

 

 恐い。

 死にたくない。

 怖い。

 生きたい。


 ここに居ても、いずれはあの世へ転がり落ちる。

 だが、逃げても追われて腹を斬らされる。

 どうにもならない。


 怖くて。

 恐くて。

 恐くて怖くて恐くて怖くて恐くて怖くて……


 だから、ほんの気を紛らわせる戯れ。

 それに手を出した。

 阿片とは違う。吸うわけじゃ無い。

 丸薬だ。

 それを口に含めば、たちまち血肉が沸き立つ。

 魔羅は硬く天を向き、全身に力が漲る。

 恐いものなどあるものか。

 臆病者とののしる奴を、動かなくなるまで叩きのめした。

 こんなに気分の良いのは、初めての事だった。

 それから、出動のたびに毎回飲んだ。

 己の剣が冴えわたり、敵の剣など地を這う虫にも及ばぬ。


 だからもちろん今夜も。

 だから、薬が効いて来れば――

 俺は天下無双にもなれる。


 あきゃあ!

 

 片手で振り回した剣が、敵を木偶のように斬り倒した。

 ほら――簡単だ。

 

 がぁ!


 猛る衝動を抑えきれず、奔った。


「出過ぎるな!」


 後ろで誰かが叫んでいるが、耳になど入らない。

 こんなにも気持ちが良いのに、邪魔をするな。

 敵は全部俺が斬り捨てるのだ。

 今なら、あの鬼の副長も子猫のように可愛いく思える。

 いっそ今から屯所に戻り、相手してやってもいい。

 あの鬼が泣きわめき、許しを請う姿が、ありありと眼に浮かぶ。

 それだけで股間を濡らしてしまいそうだ。

 そんな事を思った時だった。


 びゅっ――と、風が頬を薙ぎ、熱いものが頬を滴り落ちた。

 湯のように熱いそれが、首筋を伝わり胸を濡らす。

 その直後、思い出したように痛みが走る。


 あれ――?


 今度は、右の耳に熱が生じた。

 ぽとり――と、足元に何かが落ちる。

 それは、白く醜い塊――俺の耳だった。

 どろりと、温いものが首筋から襟元に流れ込む。


「ひぃ!」


 斬られた。

 斬られた!


「ひぃいいい!」


 先ほどまでの高揚感など微塵と消し飛び、堪らない恐怖が全身を縛り付ける。

 死ぬ!

 死ぬ!死ぬ!

 堪らない恐怖が、全身を重くする。


「ちぃぃゃ!」


 刃の煌めきが腕を掠める。

 熱と共に痛みが襲う。

 溜まらず地面を転がった。

 眼の前に泥に汚れた耳があった。

 拾わねば――と、手を伸ばす。


「――とどめじゃ!」


 何故?

 何故にこのようなこのような目に合うのか?

 恐い。

 怖い恐い恐いこわい死にたくない死にたくない怖い恐い死にたくない――

 先ほどまでの高揚感は嘘のように消し飛び、絶望だけしかない。

 自分が何故このような目に合わねばならないのか。


 自分が自分がじぶんがジブンガ――

 何故何故何故怒何怒故――怒……怒怒――


「幕府の犬めが!」


 振り降ろされる刃が眼前に迫る。

 その瞬間――地面が確かに光った。

 震える手を着く地が、淡い蛍火のように光を発した。

 土の上に、光る紋様のようなものが浮かび上がった。

 地が光を発した瞬間、全身を熱が駆け巡った。


「怒ぉぉぉ!」


 刃に向かい、頭から突っ込んだ。

 血糊で滑る刃は額を掠め、反対の耳を削ぎ落とし肩に喰いこんだ。

 構うものか。

 男の首筋に、噛り付いてやった。


「――ごぼぁぁ」


 男の口から溢れ出た血が、咽喉の奥に流れ込む。

 ごくり――と、咽喉を鳴らし一息に飲み込む。


 旨い!


 極上の甘露酒のような甘みが口いっぱいに広がると、力が迸った。

 否。それは力というよりは吹き上がる怒り。


 怒怒忿怒!


 恐怖への怒り。

 死への怒り。

 理不尽な境遇、ふがいなき己への怒り。

 全身を駆け巡ったのは激しいまでの忿怒。

 俺は怒りをぶちまけるように、男の肉を喰いちぎった。


「……やはり――壬生ろ……犬畜生…よ」


 男が倒れた。


「久慈、だいじょうぶか?」


 背後から声がした。

 だが、両耳を斬り落とされ不明瞭にしか聞こえない。


「よくやったぞ」


 大丈夫か?

 良くやった?


「てがらだな。ほうこくせねばな――」


 己が傷つかぬよう、逃げていた奴らが、仲間面して駆け寄る。


 ――ふざけるな。


「どうしたのだしんののすけ?」

「くじ、み直したぞ」


 ――ふざけるな!


「お、お主……その顔は……」


 振り向いた俺を見て、ふたりは絶句した。

 貴様らがふがいないから、死に損なったのだ!

 くちゃくちゃ――と、口の中に有った肉を吐き出した。


「新之助!そ、それは――」


 それは、敵の咽喉肉だった。

 新之助――そう呼んだ男――鶴巻の口に、脇差しを突っ込んだ。


「ふぃんのふ――けぇ――」


 ごぼごぼと、口から血を噴き出し、鶴巻が崩れた。


「く、久慈ぃ!乱心したか!」


 隣に居た男――兵藤が叫ぶ。

 そいつが剣を振り上げるよりも速く、首筋に齧りついてやった。

 



 久慈新之助は、怒りに任せ兵藤の咽喉を喰いちぎった。


「不味い――」


 久慈の身体は、怒りに震えた。


「美しい。実に美しい光景です」


 手を叩く乾いた音に、久慈は振り返った。


「これぞまさに人のもつ根源的な業欲」

 アレルヤ――と、闇の中に、ぼんやりと白い影が浮かび上がる。


「厳かなる儀式を前に、これこそ神に捧げし賛美の福音」


 白い幽鬼が、久慈を見て微笑んだ。

 冷たく魔性の笑みを浮かべる幽鬼の傍らには、虚ろな瞳をした若い娘が立っていた。

 その姿を見た途端、久慈は口の中の肉片を吐き出した。


 がぁ!


 久慈が跳ねた。

 こんな筋張った硬い肉では無く、白く柔らかな肉!

 獣の如く顎を広げ、跳びかかろうとしたその時――


「ルプス」


 白い幽鬼が、指を鳴らした。

 刹那。

 黒い巨大な影が、久慈の前に立ちはだかった。


「聖母を傷つけさせるわけにはいきませんからね」


 その声に、圧倒的な黒い暴力が、久慈を地に叩きつけた。


「さぁ、神聖なる儀式を始めましょう」


 白い幽鬼が詠うように声を上げた。


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