第28話 迷閑定


 葉沼屋の事件から、既に三日が過ぎていた。


 出動した隊士のうち二名が死亡。九名が重軽傷を負った。

 結局、葉沼屋藤兵衛を始めとする家族三人及び、住込みの奉公人ら十五人全てが死亡。直後に起こった出火により、店を含む家屋が全焼した。

 それにより、肝心の伏見丹についての証拠は見つからず、事件は全て有耶無耶うやむやなままで幕を引かざるを得なかった。


 依然として、志村の行方はようとして知れず。不逞人柔志狼の行方や黒い化物のこと等、何一つ解決していない。

 その上、三十人から繰り出して、三分の一以上が死傷。何の成果も無かったでは会津に対して面子が丸つぶれである。


 土方・山南の両局長の報告を、近藤は眉間に深い皺を刻み黙って聞いていた。唇を噛みしめていた近藤が、口を開こうとした寸前、


「葉沼屋に出場など無かった」


 そうだよな局長――と、土方がいった。


「……うむ」


 鉛を呑んだような表情で、近藤は頷いた。


「局長。待ってください」


 あまりの暴論に、山南は腰を浮かせた。


「山南。局長の決定だぞ」


 土方が冷淡に言い放つ。


「土方君。君に言っているのではない。私は――」

「山南副長は、この新撰組を潰すおつもりか」

「なにっ!」

「今が我々にとって大事な時期であるということが、理解できないのかと言っている」


 芹沢ら水戸派を排除し、漸く会津藩からの信用も厚くなってきたところである。着実に実績を重ね、組織としても体勢が整ってきた昨今。このような件で汚点を残すべきでは無いという土方の考えは、組織をまとめるものとしては正しいのかもしれない。


「伏見丹の件は、なにも解決していないではないか。なにより、死傷した隊士たちに申し訳が立たぬではないか」

「葉沼屋が供給元だとすれば、屋敷は全焼。関係者は皆死んだ。これ以上、巷に出回ることは無いだろうよ」

「では隊士たちには――」

「死んだ二名の親元には、充分な見舞金を出す。負傷した奴らにもそれなりの報奨は与える。勿論、口が緩まぬよう充分に言い含めてな」

「そう言う問題では無い」

「そう言う問題なんだよ! 隊の基盤を盤石なものとし、圧倒的な力を見せつける事こそが、俺たちの務めには何より必要なんだよ。結果それが、阿呆な不逞の輩に睨みを利かせる。その為には、昨夜のような事は在ってはならねぇんだ」

「土方君……」


 それにな――と、土方は山南を睨むように見つめ、


「こんなちんけな件に、いつまでも関わっているわけにはいかねんだよ」


 なぁ局長――との土方の言葉に、近藤は眉間に深い皺を刻んだ。


「山南さん。実はな――」


 土方に促されるように、近藤は重い口を開いた。



「容保公が……」

「うむ」


 近藤が沈痛な面持ちで頷いた。

 兼ねてより懸案事項であった容保の、施楽院への静養転居の日取りが三日後と定められた。

 京都守護職である松平容保といえば、長州を始めとする尊皇攘夷派にとっては仇敵といっても過言では無い存在。何時いかなる場所で襲撃が有るかも知れぬ以上、会津にとってみれば猫の手でも借りたいというものである。当然、新撰組にもその警護の任が降りたのである。


 近藤にしてみれば、心情的には山南の意見は尤もだと思う。だが、会津からの命が下った以上、葉沼屋の件を引き摺るわけにはいかないというのも本心である。


「ですが局長――」


 山南にしてみても、近藤の気持ちは痛いほど良く分かる。新撰組が会津藩のお預かりである以上、下命は絶対である。そもそも武家社会の仕組み中で生きる以上、そこに拒否など存在しない。それにも増して、近藤にとってみれば、容保は新撰組を救い上げてくれた大恩人であり、まさに主君そのものと言っても良い存在である。その容保が病に伏して療養するというのであれば、何を差し置いても力添えしたいのであろう。


 だが伏見丹をこのまま有耶無耶にしてしまうわけにはいかない。

 松恋から聞いた話によれば伏見丹は、西洋の霊薬から作られたものということになる。だとすれば、その裏にいるのは天羽四郎衛門である可能性が大きい。

 もしも天羽が裏にいるのだとすれば一連の猟奇的な殺しも、伏見丹も全ては『聖杯』の復活に繋がることになる。そうであるならば、葉沼屋が亡くなったぐらいで伏見丹が根絶できたとも思えない。

 だからと言って近藤や、ましてや土方にそのことを伝えたとして、一笑に付されるのが関の山だろう。


「…………くっ」


 歯痒さに、山南が唇を噛みしめた。

 その時だった。


「なら、その件はあんたに任せる」


 なぁ、どうだろう局長――と、土方が言った。


「近藤さんと俺が居れば、会津公の警護の件は大丈夫だろう。他に人手は回せないが、山南副長なら問題ないだろう」


 と、突き放すように言うと、土方は含むように近藤を窺った。


「頼めるだろうか」


 と、辛そうに天井を仰ぐ近藤に言われれば、山南は頷くしかできなかっ

た。

 






 どうしたものか――と、山南は自室の天井を見つめ肩を落とした。

 山南にしては珍しく、部屋の真ん中に大の字になり寝ころんでいる。

 部屋の外は昼夜を問わず、慌ただしく人の行きかう気配が絶えない。だがこの三日あまり、山南だけは独り自室で思案に耽ることが多い。


 新選組の立場を考えれば、葉沼屋の件よりも、容保警護の件の方が重要であるという土方の言い分も理解はできる。

 だが――それでいいのだろうかと、山南は思う。

 そもそも山南たちは、江戸において縁あって「天然理心流 試衛館」の近藤勇の下に集った。

 沖田や土方など元々の門人もいるが、山南や左之助などは客分のようなものである。だが、動乱の世を憂う近藤の熱い思いに突き動かされるように、共に浪士組に参加しこの京までやって来たのだ。そして、暴挙に走る筆頭局長であった芹沢鴨ら水戸派を排除してまで、尽忠報国につくすべく新撰組の組織をまとめたのである。

 それなのに、大事の前に小事を捨てることを、山南は納得が出来なかった。


 しかし――

 一見、土方のあの言いようは、山南に対して体の良い厄介払いのようにとれる。だが、小事を切り捨てぬが故の、土方の判断であるとも取れよう。

 そのような判断を下せるからこそ山南は、同じ副長の立場でありながらも、土方に対して、絶大な信頼を置いているのである。

 ならば――『任せる』という言葉を、自由に動ける大義名分として、有難く受けるべきだろう。

 そう思ってもなお、山南の心中は晴れやらぬ。天井の板目を見つめ溜息を一つ吐いた。


 松恋の話によれば、西洋の『錬金術あるけみぃ』なる技術により作られた、外法の呪薬であるという。人を獣に変じさせるとも言っていた。葉沼屋に現れたあの黒い魔獣も、呪薬によって生み出されたものであろうか。


 聖杯。

 織田信長。

 ルイスフロイス。

 純白のマリア。

 伏見丹。

 黒い魔獣。

 七つの大罪。

 

 これらはどのような繋がりを持っているのか。

 そして、葛城柔志狼はどう絡むのだろうか。


 あの夜以降、柔志狼の居所は知れず。

 否。そもそも、あの男が何処にいるのかなど、山南に知る由もない。

 だが何であれこれ以上、人外の理で無辜むこの血を流させたくはない。それは山南の信念といってもよいものだった。


 よし――と、意を決したかのように頷くと、山南は剣を手に立ち上がった。

 もう一度、天羽に会う。

 天羽の居留する豊壺屋へ出掛けようと、山南は部屋を出た。

 そんな山南の眼に、忙しなく走り回る隊士たちの姿が映る。

 軽く頭を下げ、横を通り過ぎようとする若い隊士を、山南は呼び止めた。


「沖田君を見なかったか?」

「いえ。今日も姿を見かけませんが」


 気もそぞろに答えると、慌てたように走り去っていく。


「そうですか……」


 沖田が体調不良を訴え、部屋から顔を出さなくなったのはいつからだったろう。

 葉沼屋への出動の時は、近藤の供として黒谷に出向いていた。だが今思えば、あの時にはすでに体調を崩していたのであろう。いつもの沖田であれば、近藤や土方が何と言おうとも、葉沼屋への出動を訴えるだろう。

 しかし、あの日に限っては自ら近藤の供を買って出た。

 当然、一同は不審に思いはしたが「風邪気味なんですよ」と、背中を丸め湿っぽい咳をする沖田を見れば、疑う者などいない。

 それにだ。葉沼屋の一件、例え出動していなくとも、本来の沖田であれば、根掘り葉掘り仔細を聞きたくて、すっとんで来るはずである。

 だが、あれから三日も経つというのに、その様子もない。


 山南も、沖田の部屋を何度か訪ねてみたが「大丈夫です。少し寝かせておいてください」と障子の向こうから答えるのみで、顔すら見せない。

 近藤や土方を始め、皆が心配をしているのだが、容保警護に向けてそれどころではない。

 せめて自分くらい様子を窺おうと、出掛ける前に沖田の部屋へ向かう。


 閉めきられた障子の向こうに、確かに沖田の気配はある。

 だが――あまり具合が良くないのだろうか。沖田の〝氣〟が酷く心許ない。


「沖田君。入りますよ」


 返事はなかった。

 しかし、微かに気配が揺れた。

 構わず、障子に手を掛けた時、後ろの方で山南を呼ぶ声がした。

 原田左之助だった。

 どかどかと足音を立て、こちらに近づいてくる。

 寝ているのか――と、思い直し、左之助の方へと向かった。


「サンナンさんよ!あんた、えらいこっちゃで!」


 にやけた顔で近づく左之助を見れば、それが言うほど重大な事ではないということは、容易く想像ができた。


「どうしました?」

「この色男が!」


 なんとも要領を得ない台詞に、山南は溜息を吐いた。


「付け文が届いてるぜ」


 そんな山南に構わす、左之助は丁寧に折りたたまれた文を差し出した。


「色ごとに無縁な朴念仁かと心配してたけど、どうしてどうして、あんたも中々隅に置けないな」


 本人は声を潜めているつもりなのだろうが、左之助の声では隣近所まで筒抜けである。


「これは一体誰が?」


 思い当たる節は無い。


「ありゃ、どこかの置屋のだな」

「おちょぼ?」


 まだ見世出しにもならぬ、仕込み中の芸妓の卵である。

 左之助の言葉になぜか一瞬、弓月の顔が浮かんだが、山南は打ち消すように首を振る。


「いくらサンナンさんだけでもよ、土方の旦那に知れたら怒り心頭だぜぇ。おいおい」


 意味深に嗤う左之助に、愛想笑いを返しつつ、山南は文をあらためる。


「ところで。総司の奴、どうだい?」


 左之助が珍しく神妙な声を出した。


「――返事が無かった。眠っているのだろう」

「医者に診せなくていいのかな」

「それは私も思っているのだが、会津公の転居の件が終わるまでは、そういう訳にもいくまいよ」

「――それも、そうだよな……」


 沖田とは、悪童兄弟のような左之助である。沖田があの様子では心配で堪らぬのだろう。


「私はこれから出掛けてくるから、帰りになにか精のつくものでも買ってくるよ」


 読み終えた文を懐に入れると山南は、左之助の肩を叩いた。


「出掛けるのかい。なら、供が必要だろ。俺も付き合うぜ」


 待ってましたとばかりに、左之助が袖を捲り上げる。


「いや、私一人で大丈夫だ」

「おいおい、そんなこと言うなよ。一人だけ別任務座敷遊びなんてズルいぜぇ」


 でかい身体でしなを作り、左之助が媚を売る。


「そうでは無い。仕事ですよ。なにか情報が入ったようなので、話を聞いて来るだけです」


 山南が溜息交じりに苦笑する。


「いや、でもよぉぉ――――」


 それでも尚、左之助は食い下がる。


「土方君に怒られますよ」


 だがその言葉に、がっくりと肩を落とし、


「おちょぼが待ってるぜ……」


 と、玄関を指さし溜息交じりに背を向けた。


「ありがとう。行ってくる」


 項垂れる左之助の背を見送り、山南は外で待っている禿のもとへ向かった。

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