第27話 餓狼乱


 山崎が戻ってから一昼夜が過ぎても、志村の行方はようとして知れなかった。

 無論、山崎の代わりに別の者を三人ほど葉沼屋に向かわせている。

 だが、代わりの応援が葉沼屋に着くと、そこに志村の姿はなかった。ただ、志村が張り込んでいた場所に、小さくくさびの印が残されていた。

 楔の先端は西を向いていた。これはつまり、対象に動きが有り、志村は西に向けて移動するという意味である。

 三人のうち一人がその場に残り、葉沼屋を監視。残る二人は西へ向かい、志村の痕跡を辿ることにした。

 しかし、六波羅蜜寺を越し鴨川を渡るまでは、志村が残したと思われる楔印を見つけることができた。だがそれ以降、志村の痕跡は掴めなかった。

 壬生村に近いところまで追ったところで、屯所へ報告に戻った。

 それを聞き、更に数人を向かわせるも、志村の足取りを見つけることはできなかった。

 葉沼屋の手の者に見つかって殺されたか。或いは、志村自身が任務からの逃亡を図ったのか。なんであれ、時間が有利に働くのはこちらではない。

 結局、夜が明け昼を過ぎても、志村は見つからなかった。

 出来る事であれば、坂本ら土佐勤王党の残党と、葉沼屋をもうすこし泳がせ探りをいれたいところではある。だがもし最悪、志村が捕まってでもいれば、証拠の隠滅を図られる可能性もある。

 出来ることならば、葉沼屋と結託しているはずの、土佐勤王党の残党まで一気に吊り上げたい。その為には葉沼屋をもう少し泳がせていたい。

 近藤は腕を組み、苦悶の表情を浮かべ動かなかった。

 なにより、今夜は近藤自身が隊を率いることが出来ない。それが近藤の判断を迷わせていた。


 会津中将・松平容保の施楽院しらくいんへの静養転居にともなう警備に関しての合議が、今夜おこなわれる。そのために、近藤はこれから黒谷へおもむかねばならなかった。

 大捕り物になる可能性の高いこの件に、自分が陣頭指揮が取れない事に対し、躊躇があった。

 そんな近藤の尻を叩いたのは、嬉々とした笑みを浮かべた土方だった。


『副長が二人出向きゃ、問題ないだろ』との言葉に、逃亡した修験者の確認より戻った山南も同意する。

 そうして漸く、近藤は『今宵、葉沼屋に踏み込む』――との断を下した。







 知り合いか――と、土方が視線を動かさず訊ねる。


「いや……」


 眉一つ動かさず、山南は静かに首をふった。

 その様子を横目で見つつ、土方は視線で周囲に合図をおくる。

 土方の指示を受け、新撰組は柔志狼を取り囲むように布陣をしく。


 隊士個人の力量に頼らない、多対一を基本とした集団戦法。

 常日頃は、武士以上に武士たることを強要する土方であるが、実戦においては常勝こそを至上とする徹底した合理主義をつらぬく。

 それはあたかも野生の狼の如く、獲物に対して複数をもって当たり、常に必殺の陣形にて戦うところにある。

 壬生狼みぶろとも呼ばれた新撰組の怖さは、まさにここにある。


 ギラリとした殺気を孕んだ牙ならぬ鋼鉄の刃が、この瞬間にも柔志狼に向かって一斉に跳びかからんと牙を剥く。


「なんじゃこりゃ…………」


 呆れたように溜息をつくも、静かに腰を落とし、全方位に臨戦態勢をとる柔志狼。

 その態度とは裏腹に、この状況下にあっても闘志を失わぬその姿は、孤狼の如く冷静であった。

 だがその様子を見た土方の指示も的確だった。

 鶴翼かくよくの如く柔志狼を囲む陣が、十重二重と変化していく。

 たとえ相手が一人であろうとも、微塵の油断もみせぬ必殺の陣形。

 殺気が膨れ上がり夜気が薄氷のように張り詰めていく。


「斬れっ!」


 夜気を割るように、土方の手が振り下ろされた。

 この後に訪れる光景から眼を逸らすかのように、山南が瞼を閉じた。

 隊士たちが奇声をあげ、一斉に刀を振り上げた瞬間――

 

 ぐるぉおおお――――

 

 柔志狼の背後。葉沼屋の木戸を突き破り、黒き魔獣が躍り出た。


 ぐりぃぃぃあぁぁる――――

 ぐるぅるるるるぅぅぅ――――

 

 七尺を越える獣人の出現に、さすがの壬生狼も動きが止まった。

 獣人は、柔志狼に倒された隊士を爪で引っ掛けると、紙屑のようにすくい投げる。

 胴当てごと腹を破られた男の身体が、はらわたをぶちまけながら、隊士らの頭上に降り注いだ。


「ひぁややややぁゃ――」


 最初に声を上げたのは誰だっただろうか。

 今宵の出動で一番若い隊士が、悲鳴を上げた。

 無理も無い。沖田よりも若く幼い。

 悲鳴を切っ掛けに、包囲陣が一瞬で崩壊した。

 見たことも聞いたことも無い人外魔獣の出現に、さしもの壬生狼も混乱の極みに陥った。


 槍を落とし小便を洩らす者。

 慌てて脚がもつれ、顔面から転ぶ者。

 その場に座り込む者。

 我先に逃げ惑う者――――


 隊士たちの間に動揺が伝播する。

 そんな中にあって、土方と山南だけが踏み留まっていた。


「な、なんだありゃ…………」


 だが、さしもの土方も言葉を失う。


「土方君」


 山南に肩を叩かれ、土方は我に返る。


「貴様ら何をしているか!」


 己を鼓舞するかのように、土方が檄を飛ばす。

 混乱の中に踏み込んでいくと、腰を抜かし逃げようとする隊士を、土方が蹴り飛ばした。


「取り囲めい!陣形を崩すな!」


 座り込んでいる隊士の首根っこを掴んで、無理やり引きずり立たせるが、袴を濡らしているのを認めると、無造作に投げ捨てた。

 そんな土方の姿を見て、山南は安堵の溜息を吐いた。


 さて――と、柔志狼を探す。

 すると、この混乱に乗じて柔志狼が走る姿が眼に入る。


「抜け目のない」


 山南がそれを追う。


「山南! 待て!」


 それに気が付いた土方も後を追いかける。

 だが――


「副長はこの場を」


 と、一人の隊士がそれを制した。






「待ってもえますか」


 包囲を抜けようとした柔志狼の前に、山南が立ち塞がった。


「よう久しぶり」


 まるで友と再会したかのように、柔志狼が手を上げた。


「悪ぃな。今取り込み中だ。再会を祝すのはまた今度にしてくれ」

「京の平穏を乱すような事あらば、私が斬ると言ったこと――憶えていますか?」


 柔志狼の言葉に応えず、山南がゆらりと剣を抜く。

 下段に構えた切っ先が、地を這うようにゆるりと動くと、正面で止まった。


「律儀な奴だな」


 柔志狼が苦笑する。


「で、沖田金魚の糞は置いてきぼりかい?」

「なんの話です?」


 山南の目元が、訝しげに細められる。


「まぁいいや。忘れてくれ」


 柔志狼が鼻を鳴らす。


「それより、俺はあんたに斬られるような悪さをした覚えは無ぇんだがな」


 軽口を叩くも、柔志狼の表情には思いの外余裕が無い。多勢に取り囲まれた先ほどよりも、山南一人と対峙する今のほうが神妙である。


「いまの私は新撰組副長としてここにいます。この前のように見逃すわけにはいきません」


 山南が滑るように前に出る。


「あんたが壬生浪の副長さんとはねぇ…………似合わねぇな」


 柔志狼が同じ分だけ後退る。

 山南の間合いが読めない。

 剣が観えないのだ。

 達人で有れば気配を殺し、太刀筋が見えないと言う事は在りえる。

 しかし、下段に構える山南の手の内には、鍔も柄もある。

 だが山南の刀身は、霞みにかかったようにその姿が見えない。

 文字通り、剣が観えないのだ。

 これでは間合いが全く掴めない。

 何より、どこから斬撃がくるか予想するのも難しい。


「やっぱり沖田なんて小僧より、あんたの方が格段に怖いな」


 柔志狼の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

 両腕をだらりと垂らし、肩を落として山南と対峙する。


「彼を舐めない方が良ですよ」

「分かってるよ。あと一つ二つ剥けりゃ、手が付けられなくなるかもな」

「そうですね」


 ――と、薄い笑みを浮かべたまま山南が動いた。

 水面を滑るかのような静かな動きだった。

 逆に、柔志狼は電光石火。疾風の如く後ろに跳び退いた。


「ほう……」


 感心したようにほくそ笑む山南。いつの間にか、下段から青眼に構えられていた剣には、刀身が姿を戻していた。


「ちっ」


 柔志狼の胸元に、一筋の血が滴る。

 いつ斬られたのか、襟元が一文字に切り裂かれていた。


「怖ぇな。おい」


 下段に構えたのであれば、どのような攻撃を加えるにしろ、剣先を上げねばならない。そこから最速の剣撃であれば、逆袈裟に切りあげるが定石。さらには切り返しての上段切り落としが普通であろう。しかし山南の斬撃は、柔志狼の胸元を横一文字に払った。

 途中、下段から水平に至るまでの剣の軌跡が全く存在しなかった。

 見えない剣から繰り出される、あり得ない角度からの斬撃――――

 山南敬助。その剣の腕前、尋常ではなかった。


 しかし、その初撃を凌いだ葛城柔志狼。こちらも並みでは無い。


「『空寂くうじゃく』をかわしますか」


 山南が感心したように呟く。


「こいつは天然理心流の技か。面白いことしやがる」

「天然理心流にこのような技はありません」

「なに?」

「私はいわば試衛館では客分の身。天然理心流の門下ではありません」

「なるほどね。ならば差し詰め、陰陽の太刀。の剣とでも言うべきかな?」


 その言葉に山南の瞳が反応した。

 それを見た柔志狼が口角を上げる。

 だが山南は否定もせず、眼尻に皺をよせた。


「行きなさい」

「あん?」


 一瞬、訳が分からず眉間に皺を寄せる柔志狼に、躊躇うことなく山南が斬りかかる。

 殺気こそ込められていないが、斬るつもりの攻撃だ。

 柔志狼がそれを躱す。


「肩書き分の仕事は果たしました」


 すれ違いざま山南が小声で囁いた。

 横に薙いだ山南の剣を、柔志狼が上から押さえる。


「後で話は聞かせてもらいます。行きなさい」

「気を使わせるな」


 にやり――と、柔志狼が嗤う。

 離れ際に、山南の腹に拳を突いた。


「うっ」


 山南が思わず膝を付く。


「遠慮なく借りとくぜ」


 柔志狼は振り返りもせず、風のように一気に奔りぬけた。


「貸しが過ぎましたかね…………」


 ――と、咳き込む山南の脇を、黒い影が奔りぬける。


「あれは?」


 山南の眼前を一人の隊士が駆けていく。

 走り出して直ぐ、柔志狼は背後に獣気を感じた。

 振り向くと、新撰組を蹂躙する獣人がほんの一瞬、柔志狼を睨んだ。


「はん。手前ぇもか……今夜は随分と、借りが出来ちまったな」


 ――と、鼻を鳴らした直後。

 強烈な殺気が柔志狼を襲った。

 理屈では無い。本能に従い、脊椎反射で身を捻る。

 紙一重、柔志狼の脇腹を白刃が抉った。


「ちぃ!」


 切っ先が肋骨に当たり、外に弾かれた。身を捻らなければ、下から突き込まれた剣が内臓まで達していただろう。

 柔志狼は地を転がると、片膝を着いて身を起こす。

 眼前に、虚空のような眼をした男が立ちはだかった。


「逃がさん」


 年頃は、沖田とそういくらも変わらないだろう。

 だが、童のように天真爛漫な沖田とは明らかに違う。血の海で研いだ刀剣のような双眸――斉藤一さいとうはじめは正眼に構えた剣先を、柔志狼にぴたりと合わせている。

 対する柔志狼は片膝を着き、両手右の脇腹を押さえている。その指の間からは血が溢れている。


 この状況は明らかに不利である。

 例え逃げるにしても仕掛けるにしても、柔志狼が動くには立ち上がらねばならない。

 だがそれに対して、斉藤はただ踏み込めばよいのである。

 二人の対峙する距離はおよそ二間。

 これは剣を手にする斉藤にとっては、一足の間合いである。

 圧倒的不利な状態の中、柔志狼は――


「吩っ!」


 無造作に垂らした左手から、二本の苦無が放たれた。

 膝立ちになった時、手に隠していたのだ。

 だが、剣を僅かに振るだけで、斉藤は冷静に打ち落とす。

 その隙に柔志狼は、後方へ跳ぶと間合いを取り立ち上がる。


「こんなもんでれるとは思っちゃいねぇけどな」


 そう笑って見せるも、その顔に余裕はない。

 思いのほか脇腹の傷が深い。血が袴を伝わり、地面にどす黒い染みをつくる。

 それを見てか、斉藤が弓を引くように、剣を顔の横で水平に構えた。

 腰が沈み、獲物を狙う獣のように力を溜める。


「こいつは――ちょいと、ヤバいか…………」


 斉藤の背後から、土方が走ってくるのが見える。その後ろからは眉間に皺を浮かべた山南が続く。

 仕方ねぇ――と、柔志狼が覚悟を決めた。

 膝を緩め腰を落とし、拳を軽く握る。


 その瞬間――発条が弾けるように斉藤が動いた。

 まるで自身が一本の豪槍と化したかのような、凄まじい突き。

 人剣一体となった斉藤が、柔志狼の咽喉元に牙を伸ばす。


 刹那。柔志狼が、ゆらり――と、倒れる様に崩れた。

 斉藤の剣先が空を斬り、その下を柔志狼の頭部が沈んでいく。

 それを見た斉藤の動きが、髪一本にも満たぬほど乱れた。


 地に倒れるかに見えた柔志狼が脚を踏み出した。

 爪先はしっかりと地面を掴み、柔志狼の身体が浮き上がる。


「ちぃぃ――」


 ぞくり――と、斉藤の背を冷たいものが奔る。

 その瞬間、伸びきって隙だらけの腹に、衝撃が走った。

 柔志狼の掌底が、斉藤の脇腹を下から突き上げていた。

 みしり――と、肋骨が折れたのが分かった。

 不敵に笑む柔志狼と視線が絡む。


 柔志狼はそのまま、斉藤の胴を抱え、自らの身体を被せる様にして投げ落とした。

 だが斉藤とて尋常では無い。

 地に叩きつけられる寸前、強引に引き戻した剣の柄を、柔志狼の肩口に叩きつけた。


「――ぐぶっ」


 もつれるように転がる、柔志狼と斉藤。

 柔志狼が、斉藤の親指を掴むと、躊躇なくへし折る。そのまま剣を奪うと投げ捨てる。

 次の瞬間、斉藤の膝が、柔志狼の脇腹の傷を蹴り上げた。


「ぐぁっ――」


 その勢いで、柔志狼の身体が離れた。


 そこへ――


「――逃がさねぇぜ」


 追いついた土方が剣を突き降ろす。

 間一髪――転がり身を躱すも、柔志狼の頬は裂けた。

 その柔志狼の顔面を、土方が蹴り上げた。

 弾かれたように、柔志狼の頭が浮き上がる。


 だが柔志狼は、土方の脛を両手で掴むと身体ごと捻り上げた。


「――がっ!」


 その勢いで、土方の身体が地面に叩きつけられた。

 その力を利用し、柔志狼が立ちあがる。

 しかし、その眼前に再び山南が立ち塞がった。

 下段に剣を構える山南の表情は、土方らに見えぬよう唇を噛みしめる。


「仕方ねぇよな――――」


 ぽつりと呟き、柔志狼が嗤う。

 葛城――と、山南の唇が動く。

 その傍らに、折れた指を庇いつつも、剣を拾った斉藤が立つ。 


「手前ぇ、何者だ!」


 怒りに歯を軋ませ、土方も並ぶ。


「蕎麦屋のどんぶり下げでござい」


 柔志狼が舌を出す。


「この後の及んで舐めた口を叩くんじゃねぇ!」


 土方が吐き捨てる。


「逃げられると思うなよ。手前ぇにはじっくりと話を聞かせてもらうからな」


 剣先を突きつけ土方が詰め寄ると、斉藤も間合いを詰める。

 それに合わせたように、山南も無言で間合いを詰める。

 獣人は姿を消したのだろう。葉沼屋の店の前からも、隊士たちがこちらに近づいてくる。


 下手こいたな――と、柔志狼が溜息を吐いた。

 その姿を諦めと捉えたか。

 口角を上げた土方が前に出る。

 その時だった。


 柔志狼と土方の間に、拳大ほどの黒い玉が転がった。

 反射的に、柔志狼は顔を背ける。


「ん?」


 土方の視線がそこに落ちた瞬間――閃光が上がった。

 突如、朝日が現れたかのような光に、土方の眼がくらんだ。

 次の瞬間、白煙が立ち昇ると、周囲の視界を遮っていく。


「こちらへ!」


 柔らかな指先が、柔志狼の手を引いた。

 一瞬、困惑を感じつつも、柔志狼はその柔らかな指先に従った。

 クソッタレがぁ――と叫ぶ土方の声を耳に、柔志狼は白い煙の中に消えて行った。


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