第37話 天魔乱


 山南敬助――と、天羽が呟く。


「ベタニア商会の天羽四郎衛門――否。教皇庁の特使キクノス・マス・ダ・シィロ殿とお呼びするべきか。貴方が然るべき立場として振る舞うのであればこの山南敬助、京都守護職預かり新撰組の副長として、喜んでお話を伺う所存でありますが――しかし、貴方が外法を使い世を乱すというのであれば、しかるべく対処せざるをえませんが」


 如何いかに――と、目元に涼やかな笑みを浮かべるが、その奥には、ぎらりと鋭い殺気が潜んでいる。


「遅ぇぞ、山南」


 かっこつけやがって――と、柔志狼が立ち上がる。


「君こそ。もう少しどうにかならなかったのですかまるで大根役者だ」


山南は皮肉気に口元を持ち上げた。


「天羽殿。私の方こそ、貴方に訊ねたいことが山の様に有ります。話は屯所でゆっくりと伺いますから、御同行願いたい」


 山南が腕を組んだまま、魔法円と天羽の中間で脚を止めた。


「私は幕府の認可を得て京に居るのですよ。それがどういう事か承知した上での言葉と、受け取って良いのですか」


 天羽が挑発するかのごとく口角を上げる。


「今宵この場に立つ者が、そのような戯言で揺らぐとでも」


 山南が眼元の皺を深める。


「ならば話は早い。マリアはどこです?」

「さて?」


 山南がわざとらしく小首を傾げた。


「やれやれ。貴方まで茶番劇をなさるつもりですか」


 天羽の言葉に、武蔵たけぞうが、蓮の眼尻に爪を立てる。



「従者の武蔵は主人思いでしてね。実に関心なのですが、それ故に察しが良すぎて、先走るコトが多いので困るのですよ」


 武蔵がもう一方の手で、蓮の咽喉元に爪を喰いこませる。

 白い咽喉が潰され、蓮の口から悲鳴ともつかぬ擦過音が漏れた。


「その娘さんは私とは関係ありません。私にとっては京の治安を乱す貴方を捕縛し詮議することが重要」


 まるで土方のような台詞を口にし、山南は腰の剣に手をかけた。


「おい山南っ、手前ぇ!」

「葛城君、君は黙っていてもらおう。これが新撰組の仕事です」


 山南の言葉が本意でないことは、柔志狼にも分かっている。

 それでも、柔志狼は歯を軋らせた。


「本気ですか」


 天羽が口角を吊り上げる。

 その時だった。


「――れん?」


 先程、山南が姿を現した楓の陰から、弓月が姿を覗かせていた。


「蓮、蓮なの。ねぇ――蓮!」


 仄かに紅く光る瞳を見開き、弓月が力なく進みでてくる。

 脚をもつれさせた拍子に、弓月が手にした楓の枝が、ぱきりと折れた。


「バカ山南! なんで連れてきた!」


 柔志狼が吠える。


「弓月さん――」


 すすすっ――と、蓮に走り寄ろうとする弓月の手首を、山南が掴む。


「蓮――――れん……蓮!」


 折れた枝を握りしめたまま、弓月が山南の手を振り解こうともがく。


「弓月さん、どうしたのだ。落ち着いて」


 なおも駆け寄ろうとする弓月を、山南が抑える。


「……ね――――ねぇや?……姉ぇ――?」


 弓月から漏れる悲痛な声に、武蔵に抱き抱えられた蓮が顔を上げた。


「――――里姉ゃ。ねぇゃ――――ねぇ……ぃやぁぁぁぁぁ!」


 嫌ぁぁぁぁ――


 意志を取り戻した薄紅の瞳が弓月を見つめ、姉妹の視線が絡みあった。


 村に天羽が現れ、全てを失ったあの日。

 永遠に続くと思われた生き地獄の日々の中、僅かな好機を見出し逃げだしてまで、探し求めた姉。

 自分がどんなに醜く惨めに薄汚れてしまっても、生きているならせめて一目だけでも会いたいと、夢にまで願った姉が眼の前にいた。


 だが――


「ぃぃぃぃぃぃぃゃややぃぃぃゃだ――――嫌。いや嫌いやぁぁ……嫌ゃ……」


 嫌嫌嫌嫌!いやぁぁぁ――――れんは叫んだ。


 自分のこんな姿を最も見せたくなかった姉がそこにいた。

 狂ったように身をよじり、暴れもがく。

 だが柱のような武蔵の怒張は、蓮の身体を刺し貫いたままである。加えて、万力のような膂力りょりょくは、それを許さない。

 死よりも深い羞恥と絶望に、蓮の心は血を流して叫んだ。


 いっそ狂ってしまえと思った。

 このまま血のような叫びを、声も出なくなるまで出し続ければ――或いは、魂も心も全てをすり減らし無くしてしまえば、楽になれるのだろうか。

 だがそのような事は適うはずもなく、蓮はただ絶叫し己の慟哭で姉の声から耳を塞ぐことしかできなかった。


「あぁ……れん、蓮。蓮、あの娘は……妹なんです。うちの――」


なんです――弓月は顔を覆い、崩れるように座り込んだ。


「なんだって!」


 山南は、武蔵たけぞうに抱えられた蓮と、傍らの弓月を交互に見つめた。

 蓮の纏う、年齢に不釣り合いな淫靡な艶気は弓月にはない。だが、美しく整った目鼻立ちや顎の線は、間違いなく姉妹であった。

 何より、涙で滲む瞳が――共に真紅に濡れていた。


「――そうだったのか!」


 柔志狼は己の迂闊さを悔いた。

 初めて弓月を見た時に感じた既視感は当然だ。

 弓月と蓮。二人は姉妹だったのだ。

 そうと気が付いていれば、もう少しやりようもあったかもしれない。


「クソっ!」


 苛立ちに拳を打ちつけるも、どうにもならない。


「待ちかねましたよ。その真紅の瞳……まさしくあの日、取り逃がした真のマグダラのマリア」


 おぉ、封印の巫女よ――と、大仰に両腕を広げ、天羽が天を仰ぐ。

 山南は咄嗟に、自らの背に弓月を庇った。


「……れ、蓮――」


 弓月は山南の背に顔を押し当て、唇を噛みしめ嗚咽した。


「神はかくも惨酷で、数奇な運命を人の身に与えたもうた――」


 ひどく芝居掛かった天羽の言葉に、その場にいた誰もが眼を惹かれた。

 まるで舞台上の役者の如く、その場に居る者の視線を集めずにはいられない。


「さぁ、役者は舞台に揃いました」


 天羽は大仰に頷いた。


「――武蔵。いや、呪われし獣の王ルプスよ。その罪深き身をもって、呪われし業を解き放つがよい」


 天羽の指先が宙に印を切ると、武蔵の体躯が引きつったように震えた。

 突然、蓮を捕えたまま、武蔵の身体がみちりと音をたて膨れ上がった。


 ぶちり――と、肉の内側から固い瘤のようなものが生じ、皮膚を押し上げた。

 まるで革袋が爆ぜるように、武蔵の身体が膨らんでいく。

 爪が鋭く伸び、れんの咽喉元の傷を広げる。

 注連縄しめなわのような筋肉の束が蠕動し、連鎖的に膨れ上がっていく。肉体の肥大と共に、全身の体毛が逆立ち、黒々とした獣毛が噴き出すように全身を覆っていく。


「こ、これは――」


 山南が驚愕に眼を見張った。


 顔骨は前に突出し、武蔵の薄い唇が、みちみちと音をたて耳まで裂けていく。

 急激な変形についていけなくなった皮膚が裂け、血が噴き出す。だが、傷は裂けると同時に猛烈な勢いで癒着をはじめ、たちまち黒い剛毛が覆っていく。

 血肉を絡めた尾骶骨が鎖のように伸び、鞭のように空気を打った。

 耳が角のように尖り、犬歯が槍の穂先のように鋭さを増す。

 ぞろりとした蛇のような舌が、口元の血を舐めあげた。


「Wuuuuuuoooooo――――」


 咽喉を立て、雄叫びを上げるその姿は、人でもあり獣でもあった。

 否、人でもなく獣でもない何か――そう、まさしく呪われし獣の王。


「あいつ、あの夜の――」


 柔志狼の言葉に、武蔵ルプスが嗤った。

 眼前のそれは『狐憑き』などの憑依現象などとは根本が違う。

 人の肉体そのものが、全く違う存在へと変貌する、まさしく変形へんぎょう

 獣身変化――それは遠く海の向こう、東欧では『人狼』の名で語り継がれていることを、山南たちは知る由もない。


「……蓮」


 弓月は山南の背に身を押し付け、息をすることすら忘れたように、身を固くするしかできなかった。

 まるで質の悪い夢を見ているような、鼻の奥を刺激するすえた空気が辺り包んだ。

 そんな中で唯一人、柔志狼だけが極めて静かに、冷めた眼で機を窺っていた。


 何気なく懐から苦無くないを取り出すと、一息に放つ。

 ルプス《武蔵》の両眼に向かい二本。

 天羽に向かい三本。


「むっ!」


 天羽は身を捻り、それを躱す。


「Gururururuaaaaaaa!」


 ルプス《武蔵》はそれを両手で掴んだ。

 だがそれは想定の内。


「山南ぃ!」


 叫んだときには既に、柔志狼は魔法円へ奔っていた。

 弓月をその場に残し、山南が呪符を取り出し印を組む。


「――救急如律令!」


 山南の手から放たれた呪符が雷のように奔った。


「――――naxa!」


 それに対し、天羽は杖で地面に呪を描く。

 雷が当たるかと見えた瞬間――天羽の足元から石の壁が出現した。

 山南の放った雷は、石の壁を伝わり地面に散らされていく。


「甘い――」


 天羽が呟く。

 だがその刹那だった。


「ちぃぃぁ!」


 石壁を蹴り上げ、剣を上段に振り被った山南が躍り出た。

 天羽は杖を振り上げると、それを寸前で受ける。

 そのまま鍔迫り合うように、ふたりの身体が魔法円から離れていく。


「天羽四郎衛門。貴様の目的はなんなのだ。この混沌の都に更なる禍を持ち込みなんとする!」


 山南が語気を荒げる。


「言ったはずです。聖杯を受け取りに来たと」

「何故に切支丹の至宝を欲する」


 教皇庁とやらに加担する必要はあるまい――と、山南が剣を振るう。


「おや、言っていませんでしたか」


 山南の剣を、ゆるりとした動きで受け切る天羽の腕前。尋常なものではない。


「そもそもあれは本来、私の受け取るべきものなのです。言うなれば、正統な継承者がそれを取り戻しに来ただけのこと」

「なに?」

「どうです。至極まっとうな話でしょう」


 再び、山南の剣と天羽の杖が競り合い膠着する。


「本来、聖月杯はこの私の手元へ届けられるべきだった代物。神の御子として私が受け継ぐべきはずだった神の叡智グノーシスなのです」

「――神の叡智?」


 自分で口にしておきながら、その言葉が、ひどく乾いて響いた。


「天羽四郎衛門。貴方は一体何者なのだ」

「天の子」


 ふふ――と、天羽が紅い唇を吊り上げた。


「今にして思えば、あの時も愚かな島原の民など煽動せずに、私独りがこのように上洛していれば、楽に事を進められたのでしょうね」


 天羽が肩を揺らし自嘲する。


「島原?」

「たとえ盲目の羊たちの群れが何万と集まったところで、所詮は愚かな罪人たちに過ぎぬもの。供物としておいてやれば、島原の民も救われたでしょうに」

「な、なにを――言っているのだ?」


 鼓動が激しく脈打つ。


「寛永年間でしたかね――」


 何かを思い出すように、天羽が虚空に視線を向ける。

「私の元に聖月杯が届けられていれば、徳川の治世も三代で潰えていたでしょうに」


 にぃ――と、紅い唇が嗤った。


「さすれば、黒船如きに揺れる必要もなく、今現在の混沌もなかったでしょうに」

「なにを馬鹿な事を!」


 有り得ぬ――山南が首を振る。


「原城の惨状……あれこそ、この世の地獄いんへるの

「そのような事――」


 否。そうではない。

 山南には、天羽が何を言おうとしているのか理解できた。だが、理解できてもそれを認めることが出来ない。自身の行き着いた答えを否定するように、山南は首を振る。


「何を恐れているのです」


 その一瞬の隙に、山南の腹に、天羽の杖の先端が突き込まれた。


「ぐっ」


 一瞬、山南の身体が崩れた。

 距離を取った天羽が、胸の前で十字を切る。

 山南と天羽の間の空間に、空気が渦を巻く。


「アレルヤ!」


 次の瞬間、渦が破裂した。

 山南の身体が吹き飛ばされ、五間ほど転がって止まった。


「いや――まさか? そんなことがあり得る筈が……だが、しかしまさか? いや……あり得ない――」


 身を起こしながらも、山南は未だ先ほどの言葉に翻弄されていた。


「たとえどんなに否定しようとも、真理とは神の導きによって必ず辿り着くもの。つまり絶対不変の真理とは常に一つなのです。さかしい貴方には分かるはずです」


 山南敬助――と、天羽が嗤った。



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