第31話 童呪謡
川面をなぞる風が、弓月のほつれ毛を揺らした。
一瞬、身をすくめた弓月を庇うように、山南がそっと風上に動いた。
陽の沈みかけた鴨川沿いを、山南と弓月は並んで歩いていた。
毬屋の近辺を当たってみたが結月の姿はなく、また姿を見た者もいなかった。仕方なく二人は、鴨川の方まで足を延ばした。
だが、家路を急ぐ人々や祇園に向かう酔客の中に結月の姿はなかった。
賑わいから離れた場所に出ると、弓月が思いつめたように脚を止めた。肺に詰まった鉛を吐き出すように溜息を吐くと、項垂れるように肩を落とした。
結月を探すために毬屋を出てから四半刻――二人は殆ど言葉を交わしていない。悲痛な面持ちで結月を捜し歩く弓月を、山南はただ見守り付き添うしかできなかった。
天羽の狙いが弓月であるとするならば、結月を人質にとる可能性もある。そう考えると山南とて心中穏やかではない。
すでに夜の帳が下りるつつある。
これ以上闇雲に探しても、手がかりを見つける事すら難しい。屯所に戻り応援を呼ぶかとも考えたが、だが土方に一笑に付されるのが関の山だ。ならば奉行所に人手を借りるというのはどうだろう。
先日、験者の遺体現場にいた同心の名はなんと言っただろうか。いやいや。もしかしたら、すでに毬屋に戻っているかもしれない。
何にせよ一度、毬屋に戻るべきだろうかと、山南が思った時だった。
橋の袂にある小さなお堂の前で、童らが遊んでいる姿が眼に入った。
かごめかごめ かごのなかのさるは いついつおきる
よあけのばんにん こがねのこうべは つるむける
うまずのしょうねん だあれ――
膝を抱え蹲る女童の周囲を、輪になった三・四人の童たちが歌いながら回っている。
童たちには師走の寒空など関係ないのだろう。日が沈み、宵闇に包まれるまで遊び倒すのだろ。
夕闇にぼんやりと浮かぶ童たちを、どこか遠くを見るような目つきで弓月が見つめている。
否。そうでは無い。
遊んでいる童たちの向こう。古ぼけた御堂にお参りをしている、幼い姉妹を見つめているようだった。
まだ十にも満たぬ姉と幼い妹。揃ってお参りを済ませると、姉と思われる少女が、妹の手を包み込むように握る。妹はそれを嬉しそうに握り返すと、遊んでいる童の横を足早に去っていく。
その様子をじっと見つめていた弓月の眼に、寂しそうな微笑が浮かんでいた。
弓月さん――と、山南が口を開きかけた時、
「うちには、四つ下の妹がいました」
弓月は遠くを見つめたまま、独り言のように呟いた。
「何もない寒村でしたから、遊ぶといっても山に入ってアケビや茸を採ったり、時には男の子たちに混じって魚を獲ったり……山の中を駆け回るときも、いつも妹と二人手を握り合って――」
幼き日を懐かしむその表情は、いつもの弓月より幼く見えた。
「毎朝、お堂にお祈りに行くんです。寒い日はあの姉妹みたいに手を繋ぎながら。でもね、妹はあかぎれた手が冷たくて『痛いよ痛いよ』って泣くんです。うちだって泣きたいほど冷たいのに。でもね、
弓月は微かにため息を吐くと――静かに首を振った。
「辛いことを思い出させてしまったようだ。申し訳ない」
山南は頭を下げた。
「そんな……山南はんは、なんも悪くあらしまへん。うちが勝手に話しただけ」
気にせんといてください――と、弓月は微笑んだ。
消え入りそうな笑みに、山南は掛ける言葉が見つからなかった。ただ困ったように視線を暗い川面に向けた。
だが、刺すような気配に山南が視線を戻す。
見れば、遊んでいる子供らの向こうに、不穏な人影があった。
いつの間に現れたのだろうか。
不逞浪士と思わしき男らが全部で六人。
山南の視線に気が付くと、先頭に立つ乱れた髷に無精ひげの男が、腰の剣に手を掛けた。
「逃げろ!」
叫ぶと同時に、山南は走り出していた。
だが、その声が聞こえないのか。童たちは遊びに興じ続けている。
不逞浪士たちは、そんな童らを囲むように広がると、剣を抜いた。
その途端。子供たちが一斉に
「何者だ」
山南は腰の剣に手を掛けたまま、浪士たちと対峙する。
「話が有るのならば聞こう。まずは子供たちを離せ」
浪士たちは抜き放った切っ先を子供らに向け、山南に殺気を向けている。
「その子らに罪はあるまい」
すぅ――と、誰にも分からぬほど僅かに、山南の腰が沈む。眼尻に笑みを浮かべてこそいるが、そのの眼は笑っていない。むしろ理不尽な行いに怒りすら覚えている。
「後ろの女」
山南から視線を外さずに、最初に剣を抜いた無精ひげの男が言った。
「こちらに来い」
弓月を見やり、顎をしゃくる。
「えっ――」
弓月の視線が山南の背に止まる。
「……はい」
だが直ぐに頷くと、弓月は足を踏み出した。
「弓月さん駄目だ!」
間違いない。この男たちは、弓月の正体を知っている。そうでなければ、一介の芸妓――しかも今は普通の町娘――を、このような形で攫うような真似をするわけがない。
「誰に頼まれた」
ならば、背後にいるのは天羽四郎衛門以外あり得ない。
歩み出る弓月の前に、山南は立ち塞がった。
「山南はん――」
「
ですが――と、山南の肩に触れる手が震える。
「貴様たちは天羽四郎衛門の手の者か」
弓月を背に庇い、山南が問うた。
だが、苛立ちに殺気が増すだけで、答えは返ってこない。
「早ぉ! 早ぉせんか!」
遂に、男の一人が声を荒げた。
「この人を渡せば、子供らを離すと言う保証はあるのか」
「ワシらも侍じゃ――」
男が言葉短く応える。
「侍――はて、その言葉は信用できるものか?」
鼻で嗤うと、山南の口角が皮肉気に吊り上る。
なにっ――と、男らの間に殺気が濃くなる。
「山南はん……」
弓月が心配そうに、山南の着物を引く。
その手を離すようにして、
「そもそも武士だの侍だのという者は、幼き子供をタテにとるような卑しき真似をするような輩では断じてない。このような手段を講じるような輩を相手に『侍でござい』などという言葉を担保にしろと言うのは、甚だ厚かましい物言いであろう」
挑発するように薄い笑みを浮かべると、山南は前に出る。
「選択の余地があると思うなや!」
男が激昂した。
剣を握る浪士たちの手に、力が籠るのが分かる。
「どうやら話の意味が飲み込めないようだ。この方を連れて行かれる。子供たちも傷つけられるでは、そちらの一方的な徳ばかりでこちらには何も残らない。それでは堪らないと言っているのだ」
いつの間にか山南の手は剣から離れいた。剣から離れた手が、自然な様子で袖の中に吸い込まれていく。
眼尻の皺を深くさせながら、悠々と近づいていくその姿は、まるで馴染みにでも近づくようである。
その様子に、浪士たちの間にほんの僅かだが気が揺らいだ。
「最低でも、どちらか一方は残してもらわねば、私とて立つ瀬がない」
山南が涼風のように微笑む。
「だ、だからだな、童らを離すと言っているではないか」
「なればまずは御一人、剣を引いてもらえないか。六人もいるのだ、良いだろう」
浪士たちと弓月のちょうど中間に、山南は立ち止まった。ここからでは、浪士たちに斬りかかるにしても、弓月を守るにしても、どちらにも届かぬ位置である。
それを見た浪士が一人、童らから離れた。
「まだ多い。まだ離れることが出来よう」
袖から出した掌を男らに向けると、右から左に宙を泳がせた。
その動きに釣られるように、浪士がさらに二人離れた。
「こいで良かろう。女を渡せ」
男が言う。
「まだ多い。あと二人離れた方が良い」
そう言うと、今度は左から右に掌を泳がせる。
すると、またしても釣られるように、浪士たちが二人離れていく。
「今度こそ良かろう。女を渡せ」
不思議な事に、童たちから離れた浪士たちは、いずれも虚ろな表情で立つ尽くしている。
だが背後のその様子に、先頭の男は気が付いていない。
「良いでしょう」
その様子を見た山南は頷いた。
「弓月さん」
その声を聞いた弓月が、走り寄ろうとしたときだった。
山南が右の袖から、白い紙片を放った。
白い紙片が、ひらひらと舞いながら風に流されていく。
「女、逃げるか」
――と、男がその紙片に向かい走り出す。
その瞬間、山南が奔った。
山南の手刀が男の首筋を叩く。
ぐっ――と、声を上げ、崩れ落ちた男の足元に、人の形をした紙片が落ちていた。
「山南はん――」
弓月が駆け寄り、
「あのお侍さんたちは?」
まだ蹲る童らの周りで佇む浪士たちを示し、弓月が首を傾げる。
「まだ暫くは呪から覚めないでしょう」
山南が微笑んだ。
「こちらは流石に、一筋縄ではいかなかった」
と言って、男の胸倉を掴んで引き起こした。
「誰に頼まれた。言え!」
男の身体を揺すり、意識を戻させる。
「――――」
うっすらと眼を開き、視線を泳がせる。だが、唇を噛みしめ、顔を背ける。
「言わねば斬る」
静かに言い放ち、山南が鯉口を切る。
それでも頑なに男は拒んだ。
だが――
「わ、ワシらと来る方が幸せじゃったぞ。今頃、置屋は――」
へへへ――と、下卑た笑みを浮かべた。
「毬屋がどうしたんです?」
弓月が詰め寄る。
「ワシらと来れば、知らずに済んだもの――ぐっ!」
最後まで言う前に、山南が男の鳩尾を突いた。
「山南はん――」
今にも泣き出しそうな眼で、弓月が見上げる。
「急いで戻ろう」
山南は弓月の手を引くと駆け出した。
「お前たちも早く家に帰りなさい」
未だ蹲ったままの童らに声をかけ、山南と弓月が駆けていく。
山南と弓月の姿が見えなくなると、童らが立ち上がった。
童たちは、わらわらと動かぬ男を取り囲み、
――かごめ篭目。
――駕籠の中の鳥は。
――いついつであう。
夜明けの晩に――。
何事もなかったかのように、周囲を回り始めた。
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