第32話 童呪謡

 川面をなぞる冷たい風が、弓月のほつれ毛を揺らした。


 一瞬、無意識に身をすくめた弓月を庇うように、山南がそっと風上に動いた。

 陽の沈みかけた鴨川沿いを、山南と弓月は並んで歩いていた。

 毬屋の近辺を当たってみたが結月の姿は無く、姿を見た者もいなかった。仕方なく二人は、鴨川の方まで足を延ばした。

 だが、家路を急ぐ人々や祇園に向かう酔客の中に結月の姿はなかった。

 賑わいから離れた場所に出ると、弓月が思いつめたように脚を止めた。肺に詰まった鉛を吐き出すように溜息を吐くと、項垂れるように肩を落とした。


 結月を探すために毬屋を出てから四半刻――二人は殆ど言葉を交わしていない。悲痛な面持ちで結月を捜し歩く弓月を、山南はただ見守り付き添うしかできなかった。

 天羽の狙いが弓月であるとするならば、結月を人質にとる可能性もある。そう考えると山南とて心中穏やかでは無い。


 すでに辺りは暗くなりつつある。これ以上闇雲に探しても、手がかりを見つける事すら難しい。屯所に戻り応援を呼ぶかとも考えたが、そのような事は土方に一笑に付されるだろう。ならば奉行所に申し出て人手を借りるというのはどうだろう。

 先日、験者の遺体現場にいた同心の名はなんと言っただろうか。それに、もしかしたら万に一つの可能性として、すでに毬屋に戻っているかもしれない。

 何にせよ一度毬屋に戻ったほうが良いかもしれないと、山南が思った時だった。


 橋の袂にある小さなお堂の前で、童らが遊んでいる姿が眼に入った。



 かごめかごめ かごのなかのさるは いついつおきる

 よあけのばんにん こがねのこうべは つるむける

 うまずのしょうねん だあれ――



 膝を抱え蹲る女童の周囲を、輪になった三・四人の童たちが歌いながら回っている。

 童たちには師走の寒空など関係無いのだろう。日が沈み、宵闇に包まれるまで遊び倒すのだろう。

 夕闇にぼんやりと浮かぶ童たちを、どこか遠くを見るような目つきで弓月が見つめている。


 否。そうでは無かった。

 遊んでいる童たちの向こう。古ぼけた御堂にお参りをしている、幼い姉妹を見つめているようだった。

 まだ十にも満たぬ姉と幼い妹。揃ってお参りを済ませると、姉と思われる少女が、妹の手を包み込むように握る。妹はそれを嬉しそうに握り返すと、遊んでいる童の横を足早に去っていく。


 その様子をじっと見つめていた弓月の眼に、寂しそうな微笑が浮かんでいた。

 弓月さん――と、山南が口を開きかけた時、


「うちには、四つ下の妹がいました」


 弓月は遠くを見つめたまま、独り言のように呟いた。

 山南は言葉を飲み込み、静かに耳を傾けることにした。


「何もない寒村でしたから、遊ぶといっても山に入ってアケビや茸を採ったり、時には男の子たちに混じって魚を獲ったり……山の中を駆け回るときも、いつも妹と二人手を握り合って――」


 幼き日を懐かしむその表情は、いつもの弓月より幼く見えた。


「毎朝、お堂にお祈りに行くんです。寒い日はあの姉妹みたいに手を繋ぎながら。でもね、妹はあかぎれた手が冷たくて『痛いよ痛いよ』って泣くんです。うちだって泣きたいほど冷たいのに。でもね、れんの手を包み込むようにしてやると『姉や、温かいよ』って笑うんですよ。大して温かいはずないんですよ。だって、うちの手だって冷たいんですから……」


 弓月は微かにため息を吐くと――静かに首を振った。


「辛いことを思い出させてしまったようだ。申し訳ない」


 山南は頭を下げた。


「そんな……山南はんは、なんも悪くあらしまへん。うちが勝手に話しただけ」


 気にせんといてください――と、弓月は微笑んだ。

 消え入りそうな笑みに、山南は掛ける言葉が見つからなかった。仕方がなく、困ったように視線を泳がせる。


「山南はん!」


 だが、弓月の硬い声が山南の意識を戻させた。

 見れば、遊んでいる子供らの向こうに、不穏な気配があった。

 いつの間に現れたのだろうか。

 明らかに不逞浪士と思わしき男らが全部で六人。

 山南の視線に気が付くと、先頭に立つ乱れた髷に無精ひげの男が、腰の剣に手を掛けた。


「逃げろ!」


 叫ぶと同時に、山南は走り出していた。

 だが、その声が聞こえないのか。童たちは遊びに興じ続けている。

 不逞浪士たちは、そんな童らを囲むように広がると、剣を抜いた。

 その途端。子供たちが一斉にうずくまった。身を寄せ合うように固まると、息を殺したように動かない。表情こそ窺えぬが、怯えて声も出せぬのであろう。


「何者だ」


 山南は腰の剣に手を掛けたまま、浪士たちと対峙する。


「話が有るのならば聞こう。まずは子供たちを離せ」


 浪士たちは抜き放った切っ先を子供らに向け、山南に殺気を向けている。


「貴様らが何者であれ、その子らに罪はあるまい」


 すぅ――と、誰にも分からぬほど僅かに、山南の腰が沈む。眼尻に笑みを浮かべてこそいるが、山南の眼は笑っていない。むしろ理不尽な行いに怒りすら覚えている。


「後ろの女」


 山南から視線を外さずに、最初に剣を抜いた無精ひげの男が言った。


「こちらに来い」


 弓月を見やり、顎をしゃくる。


「えっ――」


 弓月の視線が山南の背に止まる。

「……はい」


 だが直ぐに頷くと、弓月は足を踏み出した。


「弓月さん駄目だ!」

 間違いない。この男たちは、弓月の正体を知っているのだ。そうでなければ、一介の芸妓――しかも今は普通の町娘――を、このような形で攫うような真似をするわけがない。


「誰に頼まれた」


 男らは答えない。

 ならば、背後にいるのは天羽四郎衛門以外あり得ない。

 歩み出る弓月の前に、山南は立ち塞がった。


「山南はん――」

貴女あなたを行かせるわけにはいかない」


 ですが――と、山南の肩に触れる手が震える。


「貴様たちは天羽四郎衛門の手の者か」


 弓月を背に庇うように隠し、山南が問うた。

 だが、苛立ちに殺気が増すだけで、答えは返ってこない。


「早ぉ!早ぉせんか!」


 遂に、男の一人が声を荒げた。


「この人を渡せば、子供らを離すと言う保証はあるのか」

「ワシらも侍じゃ――」


 男が言葉短く応える。


「侍――はて、その言葉は信用できるものか?」


 鼻で嗤うと、山南の口角が皮肉気に吊り上る。

 なにっ――と、男らの間に殺気が濃くなる。


「山南はん……」


 弓月が心配そうに、山南の着物を引く。

 その手を離すようにして、


「そもそも武士だの侍だのという者は、幼き子供をタテにとるような卑しき真似をするような輩では無い。そのような手段を講じるような輩を相手に『侍でござい』などという言葉を担保にしろと言うのは、甚だ厚かましい物言いであるとは思わないか」


 挑発するように薄い笑みを浮かべると、山南は前に出た。


「お前んに選択の余地があると思うなや!」


 男が激昂した。

 剣を握る浪士たちの手に、力が籠るのが分かる。


「どうやら話の意味が飲み込めないようだ。この方を連れて行かれる。子供たちも傷つけられるでは、そちらの一方的な徳ばかりでこちらには何も残らない。それでは堪らないと言っているのだ」


 いつの間にか山南の手は剣から離れいた。剣から離れた手が、自然な様子で袖の中に吸い込まれていく。

 眼尻の皺を深くさせながら、悠々と近づいていくその姿は、まるで馴染みの顔見知りにでも近づくようである。

 その様子に、浪士たちの間にほんの僅かだが油断が生じた。


「最低でも、どちらか一方は残してもらわねば、私とて立つ瀬がない」


 山南が涼風のように微笑む。


「だ、だからだな、童らを離すと言っているではないか」

「なればまずは御一人、剣を引いてもらえないか。六人もいるのだ、良いだろう」


 浪士たちと弓月のちょうど中間に、山南は立ち止まった。ここからでは、浪士たちに斬りかかるにしても、弓月を守るにしても、どちらにも届かぬ位置である。

 それを見た浪士が一人、童らから離れた。


「まだ多い。まだ離れることが出来よう」


 袖から出した掌を男らに向けると、右から左に宙を泳がせた。

 その動きに釣られるように、浪士がさらに二人離れた。


「こいで良かろう。女を渡せ」


 男が言う。


「まだ多い。あと二人離れた方が良い」


 そう言うと、今度は左から右に掌を泳がせる。

 すると、またしても釣られるように、浪士たちが二人離れていく。


「今度こそ良かろう。女を渡せ」


 不思議な事に、童たちから離れた浪士たちは、いずれも虚ろな表情で立つ尽くしている。

 だがその様子に、先頭の男は気が付いていない。


「良いでしょう」


 その様子を見た山南は頷いた。


「弓月さん」


 その声を聞いた弓月が、走り寄ろうとしたときだった。

 山南が右の袖から、白い紙片を放った。

 白い紙片が、ひらひらと舞いながら風に流されていく。


「女、逃げるか」


 ――と、男がその紙片に向かい走り出す。

 その瞬間、山南が奔った。

 山南の手刀が男の首筋を叩く。

 ぐっ――と、声を上げ、崩れ落ちた男の足元に、人の形をした紙片が落ちていた。


「山南はん――」


 弓月が駆け寄り、


「あのお侍さんたちは?」


 まだ蹲る童らの周りで佇む浪士たちを示し、弓月が首を傾げる。


「向こうは、まだ暫くは呪から覚めないでしょう」


 山南が微笑んだ。


「こちらは流石に、一筋縄ではいかなかった」


 と言って、男の胸倉を掴んで引き起こした。


「誰に頼まれた。言え!」


 男の身体を揺すり、意識を戻させる。


「――――」


 うっすらと眼を開き、視線を泳がせる。だが、唇を噛みしめ、顔を背ける。


「言わねば斬る」


 静かに言い放ち、山南が鯉口を切る。

 それでも頑なに男は拒んだ。


 だが――


「わ、ワシらと来ておる方が幸せじゃったぞ。今頃、置屋は――」


 へへへ――と、下卑た笑みを浮かべた。


「毬屋がどうしたんです?」


 弓月が詰め寄る。


「ワシらと来れば、知らずに済んだもの――ぐっ!」


 最後まで言う前に、山南が男の鳩尾を突いた。


「山南はん――」


 今にも泣き出しそうな眼で、弓月が見上げる。


「急いで戻ろう」


 山南は弓月の手を引くと駆け出した。


「お前たちも早く家に帰りなさい」


 未だ蹲ったままの童らに声をかけ、山南と弓月が駆けていく。

 山南と弓月の姿が見えなくなると、童らが立ち上がった。

 だが、家に帰るそぶりは無く。

 童たちは、動かぬ男を取り囲むと、



 ――かごめ篭目。

 ――駕籠の中の鳥は。

 ――いついつであう。

 夜明けの晩に――。


 何事も無かったかのように、男の周囲を回り始めた。

 

 

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