第13話 雨情相


 重く冷たい雨だった。


 暦は師走を過ぎている。雪に転じたとて不思議はない。

 静かな雨音が、町並みをしっとりと包んでいた。

 七刻ななつどき――陽の傾き始めるころである。

 雨のせいもあり、町はすでに、夜の帳が降りたような雰囲気すら漂っている。

 時折すれ違う人々は寒さに身を縮こまらせ、家路へと足を急がせている。

 そんな中ひとり、脚を止めたたずむ山南の姿は、京の都に馴染めぬ異物のようだった。



 昨夜――験者げんざ崩れの男をつれ壬生にある屯所に戻ったのは、四刻の少しすぎたころだった。

 本音をいえば、呪術絡みの件を新撰組に持ち込みたくはなかった。

 だが、事が薩摩藩の京都留守居役へ向けての呪殺とあれば、真偽の判断は別にしても、近藤に報告せぬわけにはいかない。

 まして、山南一人で対処したのならばまだしも、沖田が一緒であったのだ。

 山南の一存で無かったことにはできない。

 とは言えの類いを厭う土方に、事の経緯を離したところで、一笑に付されるだけであることは、火をみるより明らか。

 だが、山南からの報告を受け、半信半疑に話を聞く近藤に対し、土方は腕を組んだまま、終始無言で耳を傾けていた。

 一通りの話を聞き終えたあと、


「あとはこちらで取り調べよう」


 近藤が口を開くよりも先に、土方が立ち上がった。


「局長、宜しいですね」

「あ、あぁ」


 有無を言わさぬ口調に、近藤も頷くしかできなかった。

 土方にしてみれば、呪殺だろうが斬殺だろうがどうでも良いのかもしれない。

 会津と協力体制にある薩摩の人間に対して仕掛けたという、その事実のみこそが、重要なのだろう。

 切れるような瞳に冷徹な光を宿し、部屋を後にする土方の口元が、微かに持ち上がっていた。


「それと例の薬の件。それもこちらで進めさせていただきます」


 一線を引くように山南を見つめ、土方は部屋を出ていった。


「では、わたしも」


 山南の隣に黙って座っていた沖田が、土方を追うように部屋を出て行った。

 沖田――と、言葉を飲み込み、山南はその背を見送った。

 すでに事の顛末は話した。無論、若い娘の死体の件も話した。

 どこまで話すべきか迷ったが、己の使った術の事と、柔志狼の事以外は全て話したわけだ。だが、葛城柔志狼という男のことと、まりあ像の事だけは黙っておくことにした。

 山南の思いを知ってか知らずか、隣に座る沖田も相槌を入れこそすれ、異論をはさむことはなかった。

 別段、沖田と口裏を合わせるような事はしなかった。だが敢えて沖田は、なにも語らなかった。


「若い女の死体か」


 さして関心も示さず、話を聞き流した土方に遠慮していたのだろうか。漸く近藤がその事を口にした。


「なんとも気味の悪いものだ」


 近藤が悲痛な面持ちを浮かべた。

 遺体の件は奉行所に伝えてあり、今頃はそちらが現場を調べている頃だろう。


「正直なところ、山南さんはどう思う?」


 近藤が問うた。


「腹を裂かれた遺体の件ですか」

「高崎殿にまじないを掛けるのに、女の遺体を使ったのだろうか」

「地下に潜った尊攘派あたりが、わらにもすがる思いで験者崩れを雇った――そんなところだとは思いますが」


 そう言って、山南は首を傾げた。


「山南さんは、この手のまじないのようなものが、本当にあると思うかい?」

「さて、どうでしょうか」


 近藤の視線が、真っ直ぐに山南を見つめる。この照れも疑いもなく、一直線に心を射抜くような眼が頼もしくもあり、なによりも怖しい。

 一点の穢れも無い赤子のような眼差しでありながら、刺すような鋭さで人の心に入り込んでくる。そんな近藤の瞳に見つめられると、つい全てを離してしまいそうになるのだ。


「ある――」

「そうか、あるのか」

「――と言えばあるが、無いと言えばない」

「どっちなんだい」


 近藤が困ったように苦笑した。


「修験道と忍びの術は、根を同じくするとの話もあります。そのような中には秘薬を用いて、暗殺するようなものも在るのやも知れません」

「毒ということか」

「殺さぬまでも、薬と暗示により幻惑し、あたかも妖術であるかのように信じ込ませる手段もあるとか」

「呪いとはそのようなものなのか?」

「分かりません。だがどちらにしても、心の有り様であろうと考えますが」

「んっ?どういうことなんだ。もう少し分かりやすく話してもらえないか」

「そうですね――例えば……例えばの話です」


 と、充分に念を押し、


「私がある時、病に伏したとします。或いは、なにか不慮の件で怪我を負ったとしてもいい」

「そいつは困る」


 近藤が子供のように慌てた。


「ですから、例え話です」

「そうだったな」


 近藤が笑った。


「時を同じくして、何者かが私に対し呪を仕掛けたとします」

しゅ――」


 生々しい言葉に、近藤が唾を飲み込んだ。


「私がそのことを知らなければ、私にとって呪など無い事になる。だが、仕掛けた者が私の病なり怪我なりを知れば、これは自分の呪の力だと言うでしょう」

「尻馬に乗る――ということか」


 近藤は真剣な顔で頷く。


「この前後に、私の周囲で不幸な偶然が重なったり、なにか奇妙な出来事が起きたとします」

「奇妙な出来事?」

「たとえば、私の名の書かれた人形が屯所に投げ込まれ、その腕に針でも刺さっていた。そして偶然にも私の怪我をしたところが、同じ腕であった――」

「おおぉ」

「自分の怪我は、何者かの呪によって引きこされたものであると、認識してしまう。これで因果関係ができ、呪が成立したことになる」

「そうか」


 山南の説明に、近藤はいたく感心した。


「その状況を作り出すのに、薬を用いることもあるということか」

「呪とは概ねそのようなものでは無いかと」

「成程」

「心の弱っているところに付け込まれれば、つるべ落としのように呪に落ちる者もいるのだと思います」

「では女の遺体は?」

「関係あるとも無いとも」


 山南が首を振る。


「矢張り薬か――」


 むう――と、近藤が腕を組み、低く唸る。


「伏見丹ですか」


 会津がこの件を杞憂していることは、山南も知っている。

 そして久慈が伏見丹を所持していたことも。


「山南さんが捕らえた修験者も、もしかしたら伏見丹に絡んでいるのかも知れんな。だとすれば歳に任せて正解か」

「土方君が去り際に口にした件ですか?」

「まだ山南さんには話していなかったか」


 なにか思う所があるらしく、伏見丹の件は土方に任せることにしたと、近藤は言った。


「成程。薬ならば土方君の方が何かと造詣が深いでしょうから」

 武州にいるころ土方は、実家の家業である石田散薬の薬を売り歩いていたことがある。

 では――と、山南は腰を上げようとしたときだった。


「代わりと言っては何だが、山南さんにも調べて欲しいことが有るのだ」

「なんでしょうか」


 うむ――と口を結び、近藤が躊躇いをみせる。


「この若い娘の変死体の件、調べてはもらえないだろうか」


 暫し逡巡した後、近藤が口を開いた。


「歳の奴は気にも留めていないようだがな、昨夜の遺体の腹には、黒い菩薩像が突っ込まれていた。それも子袋の中に、まるで赤子だとでも言いたげに。そして今夜も似たような遺体だ」


 近藤が、ぎり――と歯を軋らせる。


「歳には笑われるかもしれんがな、俺には気になって仕方がないのだ」

「気になるとは?」

「山南さんが先ほど言ったように、これが人心を惑わせ暗示をかける為に行われた殺しなのだとしたら、あまりにも惨たらし過ぎるとは思わんか」

「同感です」

「これ以上何事も無く、俺の杞憂きゆうに終わればそれでよい。だがこれで済むとは思えぬのだ」


 近藤が改まり、


「この一件。裏が無いか探ってはくれまいか」


 深々と頭を下げた。


「そのような事おやめください」


 山南が慌ててそれを制す。


「このような事は、貴方にしか頼めぬ」 


 近藤さん――と、山南は頬を緩めた。近藤勇がこのような男であるからこそ、山南はついていくと決めたのだ。


「私も気にならぬと言えば嘘になります」


 ありがとう――そう言って、近藤は顔を上げた。


「――ですが、何故に私なのです」


 顔を上げた近藤に向かい、山南が言った。

「それは貴方が、だからですよ」


 真っ直ぐな瞳で近藤は答えた。


「出来る限りの事はやってみます」


 そう言って、山南は部屋を後にした。


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