第14話 妖艶交錯


 さて――と、鍼のように細かな雨粒に目を凝らし、山南は溜息を吐いた。


 いくつか気になることがあった。

 蔵美屋で高崎を襲った魍鬼。あれだけの呪を、験者崩れが仕掛けたとは思えない。

 あそこにあった娘の遺体は、死後数日が経過している様子だった。事によれば、最初の遺体よりも前に殺されていたのかもしれない。

 だとするならば、あの娘の遺体と験者の仕掛けた呪は全くの別件の可能性も出てくる。本来であれば、山南自身が験者を取り調べたいところである。だが屯所での取り調べは土方の管轄である。少なくとも、土方の調べが済むまでは、その機会は廻ってはこないだろう。

 だとすれば、山南としては別の線を追ってみるしかない。


 矢張り――


「まりあ像か」


 山南の脳裏に、黒い観音像が浮かんだ。

 本来であれば白を基調とした聖像であるという。だが、なんとも禍々しい氣を放つあれは、黒く塗られていた。

 稚児の額に刻まれた異国の文字といい、なにか邪な目的の為に用意されたとしか思えなかった。


 昨夜――近藤の部屋から戻った後、誰にも気づかれぬよう母屋の裏手に出るた。そこで山南は数枚の紙片を夜空に放った。

 鳥形に切られたそれは、まるで本物の鳥ように羽ばたくと、暗闇の中を四方に散っていった。

 式神しきがみ――

 もしくは式鬼しき。あるいは単にしきとも呼ばれるそれは、陰陽道で言うところの使役神の一種である。


 蔵美屋から廃寺にかけて氣の乱れを探るべく、山南は式鬼を放った。

 だが町は、朝方から降り始めた細かな冷たい霧雨にしっとりと包まれていた。

 式鬼は霊力を込めた紙片に形を与え、文字で縛り使役する。だが素が紙きれである以上、当然のことながら雨などの水気には弱い。雨の中では紙片を使用した式鬼の術は、思うような効果を期待できない。

 たとえどのようや術を施したとしても、依代の持つ本来の性質を越えて抗う事は難しいのだ。

 案の定、昼近くになっても式鬼は一つも戻ってこなかった。

 山南は仕方なく、自らの足で調べることにした。


「とりあえず、昨夜の寺へ行ってみますか」


 奉行所の検分は、朝方には終わっているだろう。荒らされているだろうが、山南なればこそ気が付くものもあるだろう。

 ひとり呟いたとき、背後に視線を感じた。


「あのぉもし、山南はん……やありまへんか?」


 不覚にも、声を掛けられるまで気配に気がつかなかった。

 慌てて振り返ると、そこには紅い蛇の目を傘をさした、ひとりの町娘が立っていた。


「君は……」


 覚えがない――否、そうではない。

 化粧っ気はなく、どこからどう見ても普通の町娘である。だが、しっとりと落ち着いた佇まいに、どこか憂いのある瞳には見覚えがあった。


「もしかして、貴女は――」

「やっぱり山南はんやわぁ」


 娘は、口元に手を当て、微笑んだ。


「弓月さん――」


 昨夜の艶やかな装いとあまりにも違う姿に、山南は眼を丸くした。


「こないな処で会うなんて、奇遇やわ」


 弓月の頬から、柔らかな笑みがこぼれた。

 このような顔で笑うのか――眼の前で、思いのほか幼い表情を浮かべる町娘と、昨夜の艶やかな芸妓が結びつかず、なんだか座りが悪かった。

 だが、どこか儚さを感じさせる切れ長の瞳は、紛れもなく昨夜の芸妓のものだった。


「昨夜はあのような形で辞したこと、まことに申し訳ありませんでした」


 そんな己の心の裡を隠すように、山南は深々と頭を下げた。


「まぁ、堪忍しておくれやす。お武家さまに頭下げられるなんて――うちの方が困ってしまいます」


 弓月が慌てて手を差し出す。


「どうかお顔を上げくださいまし――」


 その拍子に、弓月の手から紅い傘がこぼれ落ちた。

 あっ――と、傘に気を取られた弓月が、後ろに体勢を崩す。

 咄嗟に、傘を投げ捨てると山南は、弓月の腰に手を回しその身を支えた。

 勢いあまり、思いがけず抱き寄せる形となり、弓月の頬が山南の胸に重さを預ける。

 甘い香りと柔らかな体温が、細かな雨に溶け山南の鼻腔をくすぐった。


「あっ……」

「――んっ」


 密を増した霧雨が、二人をしっとりと包み込む。

 胸元から広がる温もりが、身体の芯に深く溶け込んでいく。

 久しく忘れていた感覚に、山南の心の臓が高鳴った…が、


「――失礼」


 そっと、弓月の身体を離した。


「いえ……うちこそ助かりました。ほんにお恥ずかしい――」


 俯いた弓月の頬が、ほんのりと桜色に染まっていた。

 慌てて傘を拾い上げると弓月に渡す。

 伏し目がちな弓月が、それを受け取った。


 その時だった。


 ひらり――と、雨に濡れ羽ばたきの重くなった白い小鳥が、山南と弓月の間に舞い降りてきた。

 見ればそれは小鳥ではなく、昨夜山南が放った式鬼のひとつであった。

 所詮は紙に書かれた呪符である。この雨では戻ってはこないだろうと諦めていたのだが、嬉しい誤算だった。

 すっかりと雨に濡れ重くなった紙片が、山南の掌の上で力尽きた。


――」


 無意識に、弓月が口にする。


「いま、なんと?」


 山南は我が耳を疑った。


「弓月さん、いまなんと仰いました?」

「――――」


 唇を結び、弓月が雨溜まりに視線を落とした。


 山南が口を開こうとしたその時、


 道行く人たちが、にわかに慌て始めた。

 蜘蛛の子を散らしたように、道の左右に割れていく。

 荷を降ろすと、地面が濡れているにも構わず膝を着き、頭を垂れる。

 見ればこちらに向かって、往来の真ん中を無遠慮に歩いてくる一団がいた。


 山南は、弓月の肩を抱くようにして、すぐ脇の店の軒に身を避けた。

 陣笠に野袴を身に付けた与力が先頭を歩き、その後ろに五・六人ばかりの同心が駕籠を囲むようについている。

 駕籠は町駕籠では無く、豪華な作りの宿駕籠のようだ。

 先頭を歩く与力に憶えがあった。

 折敷に三文字の家紋の入った旗を見るまでもなく、彼らが京都所司代の人間であると知れた。

 だとすれば、駕籠に乗っているのは、前所司代の牧野忠恭まきのただゆきに代わり、六月より赴任した、稲葉正邦いなばまさくにであろうか。

 だが稲葉にしては供の数が少ない。

 それに一行には殺気にも似た、張り詰めた緊張感が漂っていた。

 その理由は直ぐに分かった。

 一行の最後尾に、頭二つ抜きんでた巨漢がついている。

 ノミで削ったような荒々しい顔立ち。

 無造作に垂らした蓬髪の間から覗く黒い瞳は、飢えた獣のような光を放つ。もみあげと繋がった顎髭は獅子のタテガミを思わせる。

 鶯色のニッカに、袖を引きちぎったブラウス姿は、まるで西洋人の装いである。

 だが山南が見る限り西洋人ではない。少なくとも東洋系の人間であろう。

 そんな巨漢の男から、何とも言えぬ威圧感を感じるのだ。

 

 葛城――?


 山南の脳裏に、昨夜出会った、葛城柔志狼と名乗る男の顔が浮かんだ。

 だがその巨漢の身の丈は七尺近く、前方を歩く侍たちを見下ろす巨体である。

 なにより、飄々と人を喰ったような柔志狼とは放つものが違いすぎる。

 このような男が殿で睨みを利かせているのだ。所司代の与力たちに、緊張が張り詰めるのも無理はあるまい。


 しかし、一体何者か――山南は内心首を傾げたその時。

 ちり――と、弓月の肩を抱く腕が焼けたように痛んだ。

 刃を飲んだような瞳で、弓月が一行を睨んでいた。


「弓月さん……」

「これはこれは、山南殿ではないですか」


 突然、先頭を歩いていた与力が声を上げた。

 後ろの男に指示を出すと、一行はその場で足を止める。

 陣笠を外し、山南に近づいたのは、京都所司代与力の北原晴近だった。

 身を固くする弓月を山南は背後にかばう。


「これは北原様。御役目ご苦労さまです」


 無視するわけにもいかず、山南は頭を下げた。


 京都所司代は京都守護職の配下である。それに対し新撰組は、会津藩御預かりの立場。いわば私兵で、ある。京都守護職の配下である見廻り組や、まして京都所司代などからしてみれば虫から扱いである。

 だがそんな中にあって北原という与力は、平らな人物であった。

 山南の言葉に、背後の一行に見えぬようおどけた様子で顔をしかめ、そっと山南に近づいてきた。


 苦労が多いのだろう。髷に白いものが目立ち始めている。確か山南と、歳はさほど変わらないはずだ。

 笠を外すと雨垂れを掃い、北原が軒に潜り込んできた。


「すでに近藤殿から聴いているかも知れんがな――」


 ――難儀なことこの上ないと、溜息を吐く。


「お察しくだされ」


 挨拶もそこそこに話を切り出してくるのも、いつものことだ。

 一瞬、北原が何を言っているのか分からなかった。

 だが、今朝の申し合わせの際の近藤の話を思い出した。

 特殊な客――異国帰りの商人。近藤はそう言っていた。


「あまり詳しくは――」

「おぉ、それはそれは――」


 お聞き及びでしたか――と、山南の話など聞かず肩に手を回した。

 一行に背を向け、顔を近づけると。


「……江戸よりの御下命でな、横濱より参った客人の御守をしておるのですよ」


 北原が声を潜める。


「どのような御方なのですか?」

「ほら、山南殿も存じておられよう。くだんの西洋帰りの商人ですよ」

「西洋帰りの商人?」

「ほれ、天羽あもう四郎衛門とか申す男なのだが――」

「あぁ、成程――」


 山南は適当な相槌をうった。話を合わせておいた方が、色々と話を聞かせてもらえる。


「どのような御方なのですか?」

「それがな、意外に若い優男なのだが……」


 と、北原は溜息を吐いた。


「なにしろ、このように微妙な時期であろう。如何いかに江戸より直々の御下命であろうとも、異国に染まった者を京の都に入れるなど……」


 信じられんと、ため息をついた。


「異国に染まったと言うのは?」

「ほれ。幼き頃より、ふらんすとか申す異国にて育ちおった挙げ句、向こうで財をなし商売を成功させたような男だぞ。見てくれは我らと同じく日ノ本の民であるが、腹のうちはなにを、どうで考えているか分からぬではないか」


 北原が言うには元々、天羽四郎衛門は肥後の油商の子であったと言う。

 幼少の頃、父親の商売に同行し海で嵐に巻き込まれた。父親は波にのまれ行方知れずとなったが、四郎衛門だけは近くを通りかかったオランダの船に助けられ、そのまま西洋へ渡ったという。


「ベタニア商会?」


 山南が小首を傾げた。


「なんでも、諸外国を相手に手広く貿易をしているらしい。黒船の一件で港が開かれた事を知り、いち早く横濱に店を持ったそうだ」

 助けられた船に同乗していたフランスの商人に気に入られ、養子となり商売を引き継いだということらしい。


「故郷に錦を飾る――といったところですかね」

「一度は京の都を観てみたいと、幕府のお偉方に頼みこんだらしくての」


 北原は困ったように苦笑いを浮かべた。

「成程」

 合点がいった。

 幕府にしてみれば、腹の読めぬ西洋の連中と商いをするよりも、天羽の方が良いと考えるのは至極当然である。

 異国暮らしが長いとはいえど、そもそもが日本人である。便宜を図り抱きこんでおけば、なにかと都合が良いのだろう。


「では、これから祇園でも行かれるのですか?」

「いや、その予定だったのだが……」


 北原が再び大きな溜息を吐く。


「朝起きたら、天羽殿の連れが居なくなりおってな」

「行方不明――ということですか?」


 うむ――と、眉間に皺をよせ北原が頷いた。


「天羽殿の御身内の方で?まさか勾引し《かどあかし》などと言うことは?」

「これ、滅多な事は申さんでくだされ」


 口元に指をたて、北原が慌てて周囲を見渡す。

 その時。ようやく山南の背後にいる弓月に気が付いた。

 山南と弓月を交互に見つめ、にやりと口元を綻ばせ、

 頼みますぞ――と、念を押しす。


「天羽殿の宿の周囲の警護は万全です。猫の子一匹入る隙間もござらん」


 気を取り直し、北原は胸を張った。


「ならば、まだ宿の中にいるという可能性は?」

「もちろん、くまなく探しました。だが、草履も無くなっていることから、外へ出たのだろうと――」


 猫の子一匹ね――と、山南は内心溜息を吐いた。


「自分で探すと言って聞かぬのだが、さすがにそうはいくまいよ」


 長州は都落ちしたが、むしろ強硬な攘夷派は地下に潜り、いっそう過激化している。

 天羽のような立場の人間こそ、奴らにとっては恰好の標的である。


「土佐勤王党の残党どもも何やら企んでいると噂もある。いつどこから凶刃が煌めくか分からんではないか」


 北原は、きょろきょろと周囲を見渡し、


「もしなにかあれば、腹を切るだけでは済まされん。故に厳重な警護であたっておるのだが……」


 疲れる――と、大きな溜息を吐いた。

 心中お察しいたします――と、山南が労をねぎらう。


 その時だ。


 ぞわり――と、頬の辺りになにかがそっと触れた。

 実際に、触ったわけではない。

 誰かの意識が山南に向けられ、それが微かな感触として感じられたのである。

 視線を巡らせると、駕籠からひとりの男が姿を現すところだった。

 陽のあたらぬ世界で暮らしているような、白い肌の美しい顔立ちだった。

 あまりに均整のとれた姿は、まるで白磁で作られた人形を思わせる。

 細っそりとした華奢な体つきは、柔らかで美麗な顔立ちと相まって女性を思わせるが、その筋骨は明らかに男のものだった。


 歳の頃は十代――沖田よりも若く見える。

 だがそうではないことは、その身に纏う雰囲気が如実に物語る。

 まるで菩薩のような静かな佇まいは、老練なしたたかさを滲ませる。

 雪のような色をしたシャツは、肌の色とどちらが白いだろう。光沢のある灰色のネクタイを締め、膝まである黒いフロックコートを纏っている。

 白魚のような指が、金の装飾の付いた黒い杖を持っていた。

 いずれも、山南が名称も知らぬ異国の装いである。

 肩まである白銀の髪を後ろにひと纏めにし、唇に菩薩のような笑みを浮かべ、優雅に近づいてくる。


 その時、山南の背を摘かむ弓月の指先に、力が籠った。

 心配になり、山南が振り返りかけたその時だった。


「天羽殿。濡れますぞ」


 北原の裏返った声が、山南を留めさせた。


「断りもなく立ち止まり、申し訳ございません。是非ともご紹介したい御仁がおりまして」


 米つきバッタのように、北原が恐縮する。

 これが天羽四郎衛門か――咄嗟に、弓月の姿を隠すように、山南が前に出る。


「こちらは?」


 穏やかな声だった。

 白い男は髪についた雫を掃うと、瞬きもせず山南を見つめた。

 一見すると、西洋人にしか見えない。

 だが良く見れば、瞳の色も黒く、顔立ちは日本人のそれである。

 白子。あるいは白変種なのかもしれない。身体を構成する色素が薄いのだろう。

 しかしこれでは、西洋人と間違えられても致し方あるまい。


「こちらは京都守護職御預かり、新撰組の副長――」

「山南敬助と申します」


 山南は目尻に笑みを浮かべ、会釈をした。


「こちらは今お話した『ベタニア商会』の――」

「キクノス・マス・ダシィロと申します」


 流暢な日本語だった。それが何より、西洋人でない証だった。


「きくのす?」


 山南が首を傾げる。


「キクノス!あわわ、こちらは天羽しろ――」


 北原が眼を剥き、慌てた。


「失礼しました。キクノスは、養子先で付けられた名前です」


 白い男は、北原を塵を掃うように脇に除けた。


「改めまして、天羽あもう四郎衛門しろうえもんです」


 天羽が微笑みながら手を差し出した。


「シェイクハンドといいます。友好の挨拶です」


 戸惑いながらも、山南はその手を握り返した。

 だがそんな山南を、天羽は見ていなかった。

 硝子のような瞳が、山南の背中に隠れる弓月を見つめている。


「まるで西洋人のようでしょう」


 誰にともなく天羽が言った。


「幼きころの出来事が、よほど恐ろしかったのでしょうね。命は拾いましたが、色を失ってしまったようです」


 そう言って、自らの髪の先を摘まむと、山南に向け自嘲気味に笑った。


「さぞやご苦労なさったのでしょうね」

「向こうの父母は、私に良くしてくれましたから」


 天羽が眼を伏せた。


「それに、そのおかげで京の都に上ることが出来ました。そうでなければ、一生なかったと思います」


 天羽は微笑んだ。


「京の都はいかがですか?」

「とても素晴らしい。美しく調和された悠久の歴史を感じます。非常に興味深い」


 天羽は空を見上げると、遠く視線を巡らせた。


「ずっと昔。そう、ずっと以前から、なんとしてもこの地を踏みたいと焦がれていましたから――」


 硝子のような瞳が微かに揺らめいたように見えた。


「もう少し季節が早ければ、燃えるように色づいた紅葉を見ることができたのでしょうが、すでに散ってしまった」


 それに――と、落ち着かぬ様子の北原を見つめ、


「残念ながら今の京は、天羽殿のような方にとっては、安全とは言い難い」


 探るように天羽を見つめた。


「いずれは北原様たち京都所司代の方々が、お護りくださいましょうが、御身くれぐれもお気を付けください」


 そして、先程より鋭い視線を向けている巨漢の男に、山南は視線を移した。


「あ、あちらはだな、天羽殿の従者で――」


 それに北原が気づいた。


武蔵たけぞうと申します」


 北原の言葉を遮り、天羽が答えた。


「従者の方ですか。頼もしい限りですね。なれば、北原様の気苦労も軽くなられるでしょう」


 山南が苦笑した。


「お連れの方が無事に見つかること、祈念いたしております」


 私はこれで――と、会釈をすると山南は背を向けた。


「弓月さ――」


 だがいつの間にか、そこに弓月の姿はなかった。


「お連れの方は、先に帰られたようですよ」


 くすり――と、天羽が微笑んだ。


「そうですか」


 構わず、山南が立ち去ろうとしたとき、


「そうだ。これは貴方のモノではありませんか?」


 脚を止め、小さく溜息を吐き振り返る。


「これなのですが」


 白い掌の上に、なにやら乗せられていた。

 そこには、濡れた紙片が乗っていた。

 鳥のような形切られた紙に、墨で文字が書かれている。

 雨に濡れたそれは墨が滲み、なにが書かれていたのか判別できない。

 だがそれは先程、山南のもとに戻った式鬼と同じものだった。


「さぁ、憶えがありませんが」


 山南は眼尻に皺を刻み、静かに首を振った。


「そうですか。なれば――」


 躊躇なく、天羽が紙片を握りつぶした。


「お連れの方が無事に見つかりますこと、願っております」


 では――と、眼尻に皺を貼りつかせたまま、山南は悠々とその場を後にした。


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