第15話 呪念寺


 三条大橋の中ほどで、山南は足を止めた。


 すでに雨はやみ、橋の上には大勢の人の姿があった。

 山南は欄干に手をかけると、大きな溜息を吐いた。

 先ほどの出来事が脳裏から離れない。


 天羽四郎衛門と武蔵……異国帰りの商人とその従者。

 北原の言葉に嘘があるとは思わない。だがそれを鵜呑みにするには、天羽たちの纏う雰囲気は、あまりにも常人離れしていた。

 人は想像を超えた恐怖に直面すると、一瞬で髪の色が抜けてしまうことが有るとは、どこかで聞いたこともある。幼き日の天羽の直面した恐怖を想えば、それも有りうるだろう。


 だがそれを持ってしても、天羽四郎衛門という存在があまりにも現実離れしているように見える。あの男の容姿から言動まで全てが、どこか芝居掛かっているように思えてならなかった。

 そう、まるで誰かが天羽四郎衛門という役を演じているかのような。先ほどの出来事は、天羽の立つ舞台に無理やり上げられてしまったように感じるのだ。


「式鬼……」


 懐から濡れた紙片をとり出すと、山南は視線をおとした。

 天羽は何故に、式鬼を持っていたのだろうか。

 あれは間違いなく、山南の放った式鬼の一つである。どこかで濡れて力を失っていたものを見つけたのだろうか。だが、駕籠の中にいた天羽がそれを手にする機会は、限りなく低いだろう。ならば何時、どこで手にしたのだろうか。

 何より、天羽は式鬼というものの存在を知っている。

 あれがなんであるのかを理解したうえで、山南に見せたのだ。いや、それどころか、式鬼を打ったのが山南であることを知っているかのようにすら思えた。

 どちらにしても、ただの洋行帰りの商人とは思えない。


 それともう一つ。弓月も式鬼を知っていた。

 一介の芸妓である弓月に、馴染みのあるような代物ではない。一目見ただけで『式鬼』と理解できるものなど、そうそういるものではない。


 だがそれよりも山南が気に掛かるのは、弓月から感じた感情の乱れ。

 怒り怨み悲しみ恐怖――様々な暗い感情が混ざり合ったようなあれは、天羽に向けられた殺意ともみえた。

 弓月は天羽を知っているのだろうか。仮にそうだとしても、複雑な事情があるのだろう。

 何にしても、弓月という芸妓も只者ではなさそうである。


「もう一度、会ってみる必要がありそうだ」


 ふと、山南の胸に、柔らかな温もりが甦った。

 己の口角が緩んでいることに、山南は気が付いていない。

 さて――と、山南は顔を上げると、昨夜の破れ寺へ急いだ。




 案の定、破れ寺に人の姿は無く、奉行所の検分はすでに終わっていた。

 奉行所には、験者崩れによる呪術のことは一切触れず、裸の娘の変死体の件として引き渡している。

 夏の政変の中心的役割を担い、薩摩と会津の同盟の立役者でもある高崎を狙ったと伝えれば、いたずらに騒ぎを大きくするだけだろうし。まして、得体の知れぬ験者崩れが呪殺を謀ったなど、信じるとも思えない。

 なにより、多分に政治的な問題が絡む以上、会津の意向を確認せぬわけにはいかない。今頃は近藤が、黒谷にその件を報告に行っているはずである。

 つまり奉行所にとってみれば、猟奇的な変死体ではあるが、単なる『殺し』である。

 先日の変死体と同様の手口から、同一犯による事件として調べはするだろう。だがそれでも奉行所の通常業務の範疇だ。いつまでもこの場所にこだわる事などないだろう。


 崩れかけた山門を潜ると、そこには昨夜のような不快感は無かった。

 まだ日暮れ前であるせいもあるのだろう。だが明らかに、昨夜とは空気が違う。

 山南は、町方によって踏み荒らされた境内を通り、本堂へ入った。

 立ち込めていた瘴気は、昨夜が嘘のように消えていた。


 おそらく験者は、この場に立ち込めていた瘴気を利用して、呪を仕掛けたのだろう。瘴気が消えたのは呪が破られたからなのか、或いは女の変死体が運び出されたからなのか。

 どちらにしろ今この場は単にカビ臭い、荒れた破れ寺である。


 薄暗い本堂を、山南は眼を凝らし調べていく。

 験者の仕立てた祭壇の周囲を調べるが、特に変わったものはない。

 女の遺体のあった、須弥壇へ向かう。床はまだ、血の跡がどす黒く湿っていた。

 その手前に腰を降ろすと、山南は両手の指を絡め、印を組む。

 瞼を半眼に閉じ調息すると、懐から符を取りだした。

 右手で剣印を組み、符をまだ湿る床におく。


「ちはしりて けがれよみ ときしらせ とくみせしらせ――」


 急々如律令――と、山南が唱えた。

 すると、文字の書かれた符が床より浮き上がり――ふらりと、揺れた。

 だがそれも一瞬の事。糸が切れたように床に落ちた。

 もしこの場に、なにか強い念や氣のようなものが残留していれば、符が反応したはずである。だがこの場には何もない。

 奇妙なことである。


 つい半日ほど前まで遺体があった場所であれば、それだけで濁った氣が残留しているものである。

 更に加えてここは、呪詛の行われていた場所である。なにかしら呪詛の痕跡のようなものが、濁った澱のように残っているのが普通である。

 だがここには何も残されていない。清浄というのとも違う。

 不自然なまでに、なにも無い。

 例えるならば、氣の真空状態――

 自然じねんの氣までもが、この場からかき消されていると言えばよいだろうか。


 ふむ――と、小首を傾げ山南は立ち上がった。


「これはなんとも――」


 面白い――とでも言いたそうに、山南の口角が微かに上がる。

 何度か頷くと、本堂を後にするべく振り返ろうとしたその時だった。

 須弥壇の下になにか光るものが眼にはいった。


「おや?」


 良く見れば、床に出来た隙間に小さな瓶が挟まっていた。

 拾い上げると、透明な硝子の瓶の中で、瑠璃色の液体が蠱惑的に揺らめいている。


「これは……」


 仄かに光を発しているような液体に、山南は訝しげに眉をひそめた。

 瓶には木で栓がされ、その上に油紙を被せてある。何か油のようでもあるが、蜜のようにどろりとして、粘度が高そうだった。

 蓋を開けようと油紙に指を掛けた時、山南はそれに気がついた。


 首の後ろを、蜘蛛の糸のようなものが、そろりと撫でたのだ。

 極細の蜘蛛の糸の先端が風に流され、一瞬だけ触れたような感触――隠していた気配がこの瓶に興味を持ち、思わず漏れ出してしまったのだろう。


「どなたです?」


 振り向かず、山南は声を掛けた。

 その声に気配が揺れた。

 本堂の入口――

 山南は傍らに転がる板の欠片を投げた。

 その時には、山南は動いていた。

 欠片が戸に当たるのと、山南が飛び出すのは、ほぼ同時だった。


「待ちなさい」


 荒れた草地を、風のように走り去る何者かの背が眼にはいった。

 女か――白いうなじが妙に艶めかしい。

 その背中を山南は追った。

 刹那――草むらに人影が沈み込んだ。

 

 次の瞬間。

 猫のように跳ねると、崩れかけた瓦に手を掛け、その身を塀の向こうへと躍らせた。

 山南は慌てて門を飛び出すが、そこに人の気配は無かった。

 あの身のこなしは、普通の女とは思えない。


「さて、何者なのでしょうかね」


 ひとつ息を吐くと、山南は夕闇に暮れる空を仰いだ。


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