第20話 妖鬼嬌笑


 音も無く反対側の襖が開いた。


様」


 突如、湧いて出たかのように、肌の白い男が控えていた。或いは、最初からそこにいたのだろうか。だとすれば、山南にその気配も気づかせずにいたことになる。どちらにせよ只者ではあるまい。


「顔を憶えましたか」

「はい。憶えるも何も、新撰組の副長山南敬助。存じております」

「ならば問題はありませんね」


 口元を僅かに綻ばせながら、天羽が向き直った。


「あの男から眼を離さぬように。必ずもう一度、は接触するはずです」

「はい」

 見た目に似合わぬ落ち着いた声が慇懃に答える。


「――して、真の巫女が見つかった際には、如何様いかように」

「真のマリアと偽りのマリア……主がお喜びになるのはどちらだと思いますか」

「愚問でした」


 そう言うことです――と、天羽の唇が、僅かばかり吊り上った。


「血は濃い方が良いですからね、武蔵たけぞうにでもくれてやりましょう」

「武蔵……」


 草摩が声を曇らせる。


「気にいりませんか」

「四郎様の従者にございますれば、些かの不満もございません」


 草摩が首を振る。


「武蔵は、私が過去に一人だけ、心底恐ろしいと思った男を模した紛い物です」

「それはどのような意味なのですか」

「それより、私からも一つ聞きたいことがあるのです」


 試すような眼で、草摩を見つめる。


「なんなりと」


 草摩が慇懃に首を垂れる。


「私で本当に良いのですか」


 天羽が口にしたその瞬間。空気が張り詰めた。


「今更なにを仰います」


 草摩の顔に、含むようなものが凝った。


「三百年にも迫ろうかという悲願を、私のようなものに託して本当に良いのですか」

「私どもの使命は、聖月杯を然るべき方に託すことにございます」

「謀られているとは思わないのですか」

「四郎様の持っているそれ――」


 草摩の視線が、天羽の胸元を指し示す。


「それこそが、何よりの証拠でありましょう」


 その言葉に、天羽が胸元から鎖を引き抜く。


「これですか」


 それは掌ほどの銀製の十字架ロザリオであった。中心には親指ほどの大きさの紅玉石がはめられている。


「それこそが、四郎様が天草より託された存在であることの、何よりの証にございます」

「このようなもの、あちらで《西洋》は珍しくもありませんよ」


 もっとも――と、十字架を灯りに翳す。


「このような細工のなされたものなど、向こうにはありませんがね」


 紅玉石の奥に、五七桐紋が浮かび上がった。


「それこそが証にございます」


 それにもし――と、伏し目がちに天羽を見つめ、

「貴方様が本物であれ偽物であれ、血の証が立てられねば、どちらにしても全てがここで終わりにございます」

「それで良いのですか」

「私で数えまして十二代。もはやここで最後かと諦めておりました。それを思えば僥倖にございます」


 そう言って、草摩が深々と頭を下げた。


「分かりました。この話は終わりにしましょう」


 暫しその姿を見下ろし、天羽が唇を緩ませた。


「時に。伏見丹の方はどうですか?」


 先ほどまでの張り詰めた空気が緩んでいく。


「――葉沼屋が勝手に動いているようです」

「どういうことです?」

「エリクシャの量を減らし、水増しを謀っているようです」


 ほぉ――と、天羽の眼が嬉しそうに細められる。


「葉沼屋藤兵衛――喰えない男ですね」


 濡れたように紅い口角が吊り上る。


「如何致します?」

「頃合いかもしれませんね」

「はい」

に、そろそろ仕掛けようと思います。段取りの方は任せても良いですか」

「はい」


 草摩が慇懃に頷いた。

 もう一つ――と、草摩が言った。


「新撰組とは別に、この一件で探りを入れている者たちがいるようです」

新撰組野良犬でなく、どこぞの飼い犬ですか」

「おそらく」

「会津や所司代とは別口なのですな」

「そのようです」

「では、江戸徳川の手の者ということですか――」

「儀式を行った場所を嗅ぎ回っている者たちが、複数いるようです。そちらは徳川の隠密と見て間違いはないようです」

「他にもいるというのですね」

「連中とはまた異質の動きをしている男が」

「それはもしかして、こう――」


 天羽は左眼の端を縦になぞり、


「――刃傷のある仁王のような男ではありませんか」

「ご存知でしたか」

「先日、れんを捕まえてくれた親切な男ですよ」

「如何致しますか」

「そのまま放っておきましょうか」

「宜しいので」

「全ては神へ捧げる為の賛美歌ですから」

「はい」

「但し、土御門の動きだけは注意を怠らぬよう、よろしくお願いしますよ」


 はい――と、草摩が頷く。


「まぁ、なんにしろ奴らが動くことなどないでしょうが」

「はい」

「それと。頼んでおいた件はどうなりましたか」

「カド一族ですか」


 草摩が困ったように眉を寄せた。


「難航しているようですね」


 天羽が苦笑する。


「古代に、波陀はだ或いは加陀かだと呼ばれる一族がいたらしいということは調べがついたのですが。果たしてそれが四郎様のお探しの加百の一族と関係があるか否までは……」

「ハダとは?」

「どうやら『秦氏』に縁ある者たちであったようです」

「秦氏ですか――」


 秦の始皇帝の末裔とも言われ、五世紀初め、応神天皇の治世に百済より日本に渡来したといわれる氏族である。養蚕や機織、土木などの高度な技術力を持って朝廷に仕え、その当時の最先端ともいえる技術を持って、伊勢神宮の外宮や伏見稲荷を始め、多くの神社の建立に関わったという。


「秦氏との直接の血縁はなかったようですが」

「郎党であったということですか」

「いえ。そのようなことも」

「ではどのような関係だったのでしょう」

「秦氏が土木技能に対し、波陀の一族は石造りの技能に長けていたようです」


 ほう――と、天羽が眼を見開いた。


「波陀の党首は代々『石人いしんど』を称していたようです」

「石人ですか」

「もう一つ分かった事が」

「なんでしょう」

「太閤殿下がを建立させた際の職人頭の中に『加護』なる者がいたようでして」

「それがなにか」

「その者の名が『石人』であったと――」


 面白い――と、天羽が口角を上げた。


「一つ伺っても宜しいでしょうか」

「構いませんよ」

「カドの一族と言うのは、どのような者たちなのですか」

「分かりません」


 ただ――と、紅い唇を歪ませ、


「そのような一族が神を求め、遥か昔にこの地に渡ってきた。まぁ、ある種の渡来系氏族と考えても良いかもしれません」

「それはどのような――」


 草摩が口を開きかけたその時だった。


 障子の向こうに、今度は女の影が映った。


「天羽様。御客様をお通ししても宜しいでしょうか?」

「客?」

「若いお侍はんで――」


 天羽は思案気に宙を見やり、

 あぁ――と、得心した。


「来ましたか。御通ししてください」


 面白くなりそうですね――と、満足そうに頷いた。



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