第22話 怪老翁

 

 八坂神社の前を南に下り、喧騒の激しい中を山南は立ちとまった。


 町家の脇に立つ、ふたりの女に眼が止まった。

 路地を背にし、こちらに顔を向けているのは町娘姿の弓月である。

 こちらには気がついていない様だった。

 そしてもう一人。こちらも町娘である。その後ろ姿に、どことなく見覚えがあるような気がする。

 弓月に挨拶がてら、確認しようかと脚を向けた。

 だが見れば、何やら二人は込み入った話をしているようであった。


 後にするか――と、ひとり苦笑を浮かべ、山南が立ち去ろうとしたその時だった。


「止めて!」


 思いもかけぬ激しい言葉だった。

 弓月さん――思い直した山南が、人波をぬって近づいていく。

 その時、弓月と眼が合った。

 一瞬、山南に気がついた弓月は、表情を強張らせた。だが、直ぐに会釈を垂れると人の波に消えていった。

 そんな弓月に気を取られた隙に、もうひとりの女も姿を消していた。


「どういうことだ」


 二人を追うことも出来ず、山南はその場に立ち尽くした。

 仕方がない――と、ひとまずこの件は置いておくことにし、山南は目的の場所を探すことにした。


 おそらくこの近くのはずだった。

 辺りを見回すと、ふと左にあるかんざし屋に眼が止まる。

 ここだ――と、山南の顔に安堵が浮かんだ。

 何かを確認するように指を泳がせると、簪屋の角を曲がる。


 その瞬間、空気が変わった。

 石畳を敷き詰めたその路地は薄暗く、人ひとりが通るのがやっとの狭い道だった。

 表通りの賑わいと隔絶されたようなそこは、まるで日常にぽっかりと開いた異界への入り口のようだった。

 しばらく進むと、童たちが遊んでいた。



 かごめかごめ。

 駕籠の中の鳥は、いついつ出会う――――



 膝を抱え、眼をふさぐ女童の周囲を、童唄を歌いながら、四人の童たちが回っている。



 夜明けの晩に、

 鶴と亀がつうべった。




 童らの邪魔にならぬよう、笑みを湛えたまま山南が横を通る。

 昨夏の名残なのだろうか。

 軒から吊るされたまま放置され、無残な姿を晒す枯れたシノブの風鈴をよけ、石畳を進むと壁に突き当たる。



 後ろの正面だぁれぇ――――と、童の声が響く。



 思案気に左右を見回し、山南は頷くと右に折れた。

 ここまで来ると、童らの唄も聞こえなかった。

 さらに石畳を歩いては路地を曲がり、また歩いては曲がり――細い路地を縫うように足を進めた。

 規則正しく、一定の調子で訪れる曲がり角。

 まるで反閇へんばいのような――そう、なにかの術式を刻むかのように路地を進むと、突如それは現れた。


 薄暗い路地の突き当り。

 三方を土塀で囲まれた、何の変哲も無い古ぼけた作りの店先。

 白く煤けた看板には「松恋堂」とある。

 軒に吊るされた板には、不釣り合いなほどの達筆で『雨並具 商い』と書かれている。


「化かされずにたどり着いたようですね」


 山南は漸く、安堵の溜息をついた。


「失礼――」


 まだ藍の匂いの残る、松傘と椿の染め上げられた暖簾を潜ると、ひんやりとした空気が山南の顔を撫でた。

 同時に、カビ臭い匂いが山南の鼻腔を刺激する。

 ――と、暖簾を潜る瞬間、山南は確かに人の気配を感じた。


 先客か――


 山南は構わず店に足を踏み入れた。

 間取りが良いのだろうか。狭い路地の奥の奥。それも土塀の間にあるとは思えぬほど、店の中は明るかった。

 格子からは淡い光が入り、店内を照らすには充分だった。

 だが視線を走らせども、客はおろか店の人間の姿すらなかった。


 気のせいか――

 

 山南は自嘲気味に嗤った。


 正面にある小上がりには、満月に蝙蝠の描かれた屏風が置かれ、その隣には帳場格子に囲われた机が置いてあるだけだった。

 拍子抜けとばかりに肩を落とすと店内を見渡す。

 壁沿いには、大きな水瓶やら行李など、一見とても商品とは思えないほど使い込まれた物が乱雑に置かれている。

 その様子はどう見ても、古道具屋のさまである。


 カビ臭い行李の奥、隙間に押し込めるようにして紅い着物が眼に入った。どうやら幼い童女を模した浄瑠璃人形のようだった。

 しっとりと濡れた髪は艶やかで、潤むような瞳で山南をじっと見つめている。思わず、生きているのではないかと錯覚するほどの出来栄えである。

 ――と、童女人形がなにかを訴えかけるように、こちらを見た――気がした。


「その人形は、寛政年間に作られた逸品でしてね。ある人形師が幼くして亡くした娘を想い、それこそ我が子のように丹精込めて作り上げたそうでございます」


 突然、背後で声がした。


「ですが……その余りの出来栄えに魂が宿ったのでしょうな。ついには命を持ち、自ら動き始めると、空の器に魂を求める様に人を喰らい襲うようになりまして――」


 振り返るとそこに、小柄な老爺がいた。


「お気に入りの様でございますれば、お代の方は充分に勉強させていただきますが」


 気配を全く感じなかった。

 いつの間に姿を現したのか。帳場格子の向こうに、背中を丸めた老翁が笑顔を浮かべ座っていた。


「これはこれは、とんだ失礼を。久々の来客につい喜び勇んでしまい、ご挨拶もせぬうちから、喋りすぎましたかな」


 と、老爺は破顔した。

 深い皺の中に、顔が全て埋もれてしまったようである。

 さて――と、老爺が向き直った。

 その顔はなんとも異相である。

 その中央に突き出た鼻は、鎌のように大きく湾曲している。俗に言う鷲鼻。

 笑みと皺で埋もれた眼は、外形こそは笑みの形を成しているが、その奥に光る瞳は油断なく獲物を狙う猛禽のそれに近い。

 皺の奥で、山南を値踏みするような瞳が異彩を放つ。


「いや、こちらこそ申し訳ない。返事が無かったので勝手にお邪魔してしまいました」


 その視線を正面から受け、山南は非礼を詫びた。


「構いません、商いですから。お客様に訪ねて頂いてこその御店おたなでございますれば」


 そう言って、老爺は含むように嗤った。


「こちらは『松恋屋』さんで宜しいのですよね?」

「はい。さようでございます。新撰組副長・山南敬助様」


 ここではじめて、老爺の眼が緩んだ。その、背を丸め小さくなった姿は、齢を重ねたミミズクを思わせた。


「どうして私の名を――」

「今やこの京における最強の武闘集団とも噂される、壬生浪士組改め新撰組。京に暮らすものでその名を知らぬものはおりません。その中でも、副長の山南敬助は冷静沈着にて、聡明なる、局長・近藤勇の知恵袋。もう一人の副長の土方歳三と並んで、新撰組の両のかいな。そのようなお方を存じ上げぬようでは、とてもとても――」


 老爺がゆっくりと首を振る。

 それとも――と、老爺は言葉を切り、


真門まさかど様とお呼びした方が宜しいでしょうか」


 老翁が刺すように視線を向けた。


「――どうしてその名を……」


 一瞬、山南の顔から笑みが消えた。


「私がそのような人間であるから、山南様はここへいらした――違いますか?」


 老練なミミズクが嗤った。


「申し遅れました。手前がここの主人、松恋譲吉まつこいじょうきちでございます」


 松恋は帳場格子の脇に出ると、手をついて頭を下げた。


「で、山南様。今日はどのような御用件で手前の店に?」


 一転。松恋が商人の笑みを浮かべる。


「江戸の東辺あずまべ様を存じて居られるだろうか」

関東陰陽頭かんとうおんみょうのかみ東辺明晴あずまべはれあき様でございますな。もちろん存じております」


 なんとも御懐かしい――と、松恋が頷いた。


「東辺様より、京において事の有った際には、こちらを訪ねるようにと言われました」


 そうですか、そうですか――と、懐かしむように、松恋は眼を細めた。


「今日は、是非お力添えをいただきたく参りました」

「東辺様の名を出されては、お断りするわけにもいきますまい。この松恋、微力ながらお力添えさせていただきたく存じます。ささ、何なりとお申し付けください」


 松恋はその笑みを皺の中に埋めた。

 かたじけない――と、山南は咳払いをひとつすると、


「洋の東西を問わず、異能妖異呪術に対し、一角ならぬ造詣の深い松恋殿にお訊ねしたきことが有ります」

「はて?それは黒塗りのマリア観音像のことですかな。それとも異国の呪ですかな」


 或いは――と、言葉を切り、


「聖杯のことですかな」


 山南が驚いたように眼を見張る。


「このように人の世の闇で生業なりわいを致しておりますれば、御政道などよりも寧ろ、巷に溢れる怨み妬み怒り悲しみ嫉み――人の心の紡ぎだす、この世の業に敏感でおらねば――」


 おまんまの喰いあげでございます――と、顔をくしゃりと歪めた。


「ご慧眼、感服いたします」


 山南は素直に頭を下げた。


「先ずは順を追って、お話をお聞かせくださいますか」


 松恋に促され、山南は今までの経緯を語った。

 どう思われますか――山南は訊ねた。


「ふむ……御承知かと思いますが、マリア観音はその多くが、清などの白磁や青磁で作られた慈母観音を見立てたものでございます。ですが私の拙い記憶には黒塗りのマリア観音などと言うものは、憶えがございません」


 ですが――と、皺だらけの額を指で突いた。


「西洋においては、黒いマリア像が見られることがあるという話を聞いたことが有ります」

「そうなのですか」


 耶蘇の教えは、正邪黒白の二元的な考えが顕著である。それを知る山南にとって、松恋の言葉は意外だった。


「白きマリア像を、生娘にてゼスを懐妊した『聖母・マリア』を表すものとし、黒きマリア像をゼスの妻である『マグダラのマリア』であるとするという一派があるそうです」

「マグダラのマリア……」


 子袋に入れられたのは妻――


「二人のマリアか――」


 山南は眼を閉じ、天井を仰いだ。


「なにか参考になりましたか」


 御蔭様で――と、山南は礼を述べた。


「もう一つ伺いたいのですが」

「私で解るものであれば」

「松恋殿は『七つの大罪』なるものをご存知でしょうか」


 そうですな――と、松恋は眼を閉じた。


「耶蘇――切支丹たちの教えの中で、人を罪に駆り立てる根源罪。人の業ともいえる七つの欲望……確かそのようなものであったと、記憶しておりますが」

「その中に『いんヴぃでいあ』というのがございますか」

「妬み。或いは嫉妬とでもいいましょうか」


 矢張り――と、山南が頷く。


「心の深淵にある、人を罪へと駆り立てるもの。決して消すことの出来ない根源的な欲望の種――原罪げんざい

「原罪……残りの六つも教えていただけますか」


 いつの間にか松恋の顔からは好々爺とした雰囲気は消えていた。



 第一の罪 傲慢ごうまん

 第二の罪 嫉妬しっと

 第三の罪 憤怒ふんぬ

 第四の罪 怠惰たいだ

 第五の罪 強欲ごうよく

 第六の罪 暴食ぼうしょく

 第七の罪 色欲しきよく



 淡々と、地を這うような松恋の語り口は、それ自体が一種の呪のようでもあった。

 その語りは、それ自体ただ潜めるような声音が、低く低く地を這うように響いている。


「ひとつお伺いしたいのですが」


 じっと、考え込むように聞いていた山南が手を上げた。


「西洋の伴天連たちの間では、この七つの大罪を使った呪法が有るのでしょうか?」

「基本的に彼ら伴天連たちは、呪法のような類は禁じておる筈です」

「邪法を禁じるということですか」

「というよりも、全ては彼らの神『デウス』の御力によりなされるもの。人智を超えた奇跡は、神のみが成する――といったところのようですな」


 もっとも――と松恋が、山南を見上げ、


「所詮は人の浮世でございますれば、裏も表もございますが」


 そう言って、含むように嗤った。


「呪は形式かたしきに非ず。因果を組み上げて成すもの――因果と術式を結びつけさえすれば、自ずと呪は成されるもの」


 自分に言い聞かせるように、山南が頷いた。

 松恋は徐に筆を執ると、紙に次のような文字を書いた。


 superbia《すぺるビあ》

 invidia《いんヴぃでいあ》

 ira《いラ》

 acedia《あけデぃあ》

 avaritia《あわりテぃあ》

 gula《グら》

 luxuria《るくスりあ》


「これは一体……」

「西洋で古くに使われていた『ラテン語』と呼ばれるものです」


 怪訝そうに眉をしかめる山南に、松恋は言った。


「先ほど山南様の仰った『いんヴぃでいあ』も、このラテン語で『嫉妬』をあらわす文字なのです」


 そう説明すると、松恋は席を立った。


「いんヴぃでいあ……七つの大罪か――」


 山南がその紙を凝視していると、松恋が茶碗の乗った盆を手に戻ってきた。

 無調法にて申し訳ありません――――と、山南に茶を勧めた。


「松恋殿――」


 眉間に皺を刻んだ山南が、重々しく口を開いた。


「少しばかり用意して戴きたいものが有るのですが」


 意を決したように、山南が切りだす。


「それが私の商いでございます故。なんなりとお申し付けください」


 松恋が慇懃に応える。


「私は己の無力さゆえ、真門を捨て、全てを忘れる為にこの地へ参りました」


 ですが――――と、瞳を閉じた。


「此度の一件。剣の身で抗うには、あまりにも荷が勝ちすぎる」

将門流まさかどりゅう麒麟児きりんじ……」


 松恋の言葉に、山南の頬がぴくりと震えた。


「もしも『陰陽の霊術で人の世が救えぬ』と、道を捨てた男が現れたならば助力してやってくれ――東辺様が仰っておりましたのは……はて、いつのことでしたかな」


 山南を見つめるその瞳は、思いのほか柔らかであった。


「人の分を越えた力は、不幸しか生まない――その思いが私に過去将門流を捨てさせました」


 苦いものを千切るように、山南が言った。


「――なにも山南様が動かなくとも、ここは京の都。土御門家の御膝元にござりまするぞ。或いは、江戸の東辺家を通じれば見過ごしは致さぬでしょう」


 土御門と言えば陰陽頭を務める陰陽道の宗家。東辺にしてみても、土御門の分家筋に当たる存在である。

 だが、松恋の言葉に、山南は首を振った。


「私見ですが、土御門が動くことは無いでしょう」


 今もって陰陽寮に動きが見られないのは、朝廷と幕府の関係による政治的判断か。或いは、動く必要が無いと踏んでいるのかだろうか。理由は分からないが、当てにするわけにはいかない。


「江戸の東辺家では遠すぎて時間が掛かり過ぎる」


 それでは間に合わない――と、山南は呟いた。


「言われてみれば、御所において何やら不穏な氣の乱れあり――土御門様は御所に詰めておられ、お忙しいとの噂を聞いたような気がいたしますなぁ」


 ほっほっほ――と、ふくろうのように笑った。


「本来であれば、己が使う術具など、己が自身の霊氣を込めて用意せねばならぬは重々承知。ですが現状ではそれは難しい。何より――――」


 刻が無い――と、山南が眉間に皺をよせる。


「何卒、お力添えを頂きたく、お願い致します」


 山南は頭を下げた。


「お顔をお上げくださいませ」


 その言葉にも、山南は頭を下げたまま動かなかった。


「東辺様からご紹介頂いた方に、無碍むげなことはできませんな」


 それに――と松恋が口角を上げ、


「東辺様の話を抜きにしても、手前は、あなた様を気に入ったようでございます」


 はたと、その言葉に山南が顔を上げる。


「『人斬り集団の副長』であれば、助力をする気はございませんでした。ですが今、私の眼の前に居るのは『将門流の真門敬助』その人。なれば断る理由などございません」

「松恋殿……」

「此度の一件、山南様に対し出来うる限りの御助力をさせていただきたく心得ました。遠慮なさらずになんでも仰ってください。この松恋屋譲吉、微力ではございますが協力の程は惜しみません」


 何なりとお申し付けください――――と、松恋が頭を下げた。


「――忝い」


 山南が再び頭を下げる。


「そうと決まれば」


 そう言うと松恋は、水を得た魚の如く動き始めた。

 忙しなく帳面に書きつける松恋に、山南はただ頭を下げるばかりだった。

 だが、山南はふと、己の懐具合が不安になった。

 給金が出たばかりではあるが、先日の蔵美屋での支払いが予想以上だった。


「あ、あのぉ、松恋どの……」


 山南が遠慮がちに声を掛ける。

 松恋が帳面から顔を上げる。


「実はですね――心苦しいのですが……お恥ずかしい話ですが、今ちょっと懐の具合の方がですね……」


 バツが悪そうに、山南が頭を掻く。


「分かっております。今回はお気持ちを頂ければ充分でございます」

「いや、だがそんな訳には――」

「山南様とは今後とも長く、良いお付き合いをさせて頂きたいと思っております。これは手前からの――そう、ほんのお近づきの証と言いうことで。今回は勉強させていただきます」


 にやり――と、松恋が微笑んだ。


「松恋どの……」


 山南は眼を閉じ、唇を一文字に噛みしめた。


「商いでは『損して得をとれ』とも申します。ここは先行投資として、山南様に恩を売っておきたいというのが正直なところ。ですが『無料より高いものなし』とも申しますれば、山南様もお心苦しくありましょう」


 ご安心くださください――と松恋が手を揉む。


から、しっかりと頂戴いたします。どうぞご安心ください」


 そう言って、懐から算盤を取り出すと、珠を鳴らした。

 かたじけない――と頭を下げると、山南は懐の財布をまさぐる。

 と、その指先が何か固いものに触れた。


「あっ――」


 思わず声を洩らすが、懐より落ちたそれが足元を転がった。

 それは破れ寺で拾った小瓶だった。

 おやおや――と、足先に触れた小瓶を松恋が拾い上げる。その手の中で、小瓶の中の液体が瑠璃色に煌めいた。

 だが、その瓶の中身を見た途端、松恋の表情が一変した。


「これは……」


 いかにも商人らしい笑みを蓄えていた松恋の眼が、鋭い猛禽のそれに変わる。


「それを御存じなのですか?」

「蓋をとらせていただいても宜しいですか?」


 山南が首を縦に振ると。

 失礼いたします――と、蓋を開いた。

 その瞬間、爽やかな香りが溢れた。


「はて?」


 どこかで嗅いだ覚えのある匂いである。

 だが山南はそれが思い出せない。

 松恋は己の鼻にあて匂いを嗅ぎ、小瓶を軽く揺すり、瓶を透かして見る。

 もやもやした記憶をまさぐりながら、それを山南は黙って見つめていた。


「これをどちらで?」

「松恋殿に黙っている必要も無いでしょう」


 そう言って、破れ寺で拾った経緯を話した。

 無論、名こそ出さぬが、沖田と葛城柔志狼の事も話した。

 松恋はその話を黙って聞いていたが話の途中、一瞬だけ小さく溜息を吐いたような気がした。


「拾った場所が場所だけに、気にはしていたのですが正直、すっかりと失念しておりました」


 恥ずかしそうに笑みを浮かべ、山南が首の後ろを掻いた。


「手前もはっきりとは確証は持てませぬが、これは恐らく本朝のモノでは無いかと」

「お心当たりがあるのですか」

「思い当たるものは幾つかありますが、西洋の霊薬の一種であろうかと。それも恐らくは『えりくしゃ』と呼ばれる秘薬ではないかと思われます」

?」

「はい。エリクサーとも発音するようですが。山南様は『あるけみぃ』なるモノをご存知ですか?」


 聞き覚えの無い言葉である。


「『あるけみぃ』とは西洋で遥か昔より行われてきた、秘術体系の一つでございます。あらゆるものを昇華還元いたし、神の真理に近づくことを至高の目的とした、術理教義の集大成とでもお申しますか」

「神の真理――」

「無より有を生じるのが神の力であれば、人の手により無から有を生じさせることが出来れば、それはまた神の力を有したことと同義であろうと言った考えでしょうか」


 その言葉に、天羽の話が思い浮かんだ。


「神と等しき力を手にし、その真理を紐解いていけば、いずれ神と同一化出来る。そのように考えたのでしょう。ですが、無より有を生じさせるなど、まさしく神の御業。それが出来れば誰も苦労など致しませぬ。ですからまず『あるけみぃ』を成す者である『あるけみすと』たちは、まずはこの世に存在するモノの性質を変性させることから入るのです」

「作り変えるということですか」


 松恋が頷く。


「あらゆるものを、その根本の因果まで細分し、それを新たに組み替える。それは柔らかきものから硬いもの。或いは生き物の類いまで。具体的に申せば、鉛などを黄金に変性させようなどという試みもあったようですな」

「黄金にですか」

「それ故に、錬金術れんきんじゅつなどとも呼ばれております」

「錬金術ですか。それは清国の道士などが成す、錬丹術れんたんじゅつに似たようなものと考えても良いのでしょうか?」


 錬丹術――古代中国の神仙思想において、不老不死を探究し様々な方法が試みられてきた。その究極の到達点として、人が限りなく神に近づく法――仙人へ至るまでの方法を探究し、極めた術である。


「勿論、思想の違いなどはむろんありましょうが、根本大本の部分に大差はないのであろうと、手前は思っておりますが」 

「ではその小瓶の中身は錬丹術の『仙薬』と同じと言う事ですか?」

「製法や材料は違えども――」


 松恋がえらく神妙に答える。


「切支丹の七つの大罪に、西洋の霊薬……なんともこれは――」


 山南が溜息をついた。だがその口角が上がっていることに、気が付いていない。


「山南様。事のついでに、もうひとつお耳に入れておきたいお話しがございます」

「なんでしょう?」

「既にお聞き及びの事とは思いますが、最近巷にて出回っております『伏見丹』なる妙薬をご存じでしょうか」

「どうしてそれを」


 土方が追っている件が、まさか松恋の口から出るとは思わなかった。


「あれは錬金の術により生み出された、外法の呪薬にございます」 

「なんだって」

「この『えりくしゃ』なるものは、その呪薬の材料の一つでありましょう」


 松恋の声が、静かに響いた。



          ※



 なかなか面白い男だろ――――と、店の奥から姿を現したのは柔志狼だった。

 松恋に礼を言い、山南が店を出た直後である。


「ふん。お前さんなんぞに言われなくても『将門流の麒麟児(きりんじ)』のことは良く知っておるわい」


 山南に対しての丁寧な口調とは打って変わり、松恋の物言いが伝法なものに変わっていた。だがこちらが素の姿なのだろう。妙に馴染んでいる。


「儂をダシに使いおって――全く少しは年寄りを敬うという気遣いをもたんか」


 そんな言葉とは裏腹に、松恋の眼には笑みがある。


「仕方ねぇだろ。まさか山南がここに来るなんて、夢にも思わねぇよ」


 それに――と、柔志狼の口角が上がる。


「奴を巻き込むには、それなりの情報を与えなきゃいけねぇだろ。因縁のある俺の言葉よりは、爺さんの言葉の方が言霊の力も強かろうぜ」


 柔志狼が嗤った。


「あの様子では、そんなことをせんでも自分で辿りついただろうに」


 松恋が呆れたように呟く。


「あぁ、だろうな。だがそれじゃあ、ちと間に合わない」

「まさか『えりくしゃ』までとは思わなんだわい」


 松恋が溜息とともに首を振る。


「そんなに大層なものなのかい『えりくしゃ』ってのは」

「万物の生成に欠かせぬ、霊薬じゃよ」

「また随分と大きくでたな」


 柔志狼が馬鹿にしたようににやける。


「神の力の一部じゃぞ」

「神の力ねぇ――」


 はんっ――と、柔志狼は肩を竦める。


「そんな事より今回の売掛。お前さんに回しておくからの」

「なんだと」


 柔志狼が眼を丸くする。


「必要経費として、仕事料に吹っ掛ければええじゃろ」


 松恋が算盤を鳴らした。

 げぇ――と、柔志狼が肩を落とした。


「成功報酬にしておいてやるわい」

「そいつはありがたいね」


 ぴしゃり――と、柔志狼が首筋を叩く。


「あの野郎が、どうやって仕上げに持ち込むのか分からねぇが、残りあと《四つ》。それまでに追いつかねぇとな」


 ぎり――と、柔志狼が歯を軋らせる。


「まったく……この三百年近く、京の都は静かで良かったんじゃがの――」


 なんとも厄介な事じゃ――と、松恋が小さな背を丸め、わざとらしく溜息を吐く。


「攘夷だ天誅だ――に加えて、今度は伴天連の宝だの、七つの大罪。西洋伝来の呪薬で化物変化にございと」


 面倒臭ぇなぇ――と、呟く柔志狼の顔には獰猛な笑みが浮かぶ。


「やい柔志狼。とっとと、なんとかせんか。儂はな、安穏とした静かな日常が好きなんじゃ。さもなくば溜まっているツケ勘定、今すぐ耳を揃えて払わせるぞ」

「うへっ。そいつは鬼よりおっかねえ」


 おもむろに、懐から黒いまりあ観音を取り出すと、柔志狼は文机の上に乱暴に置き――


「どうか一つこれでご勘弁を」


 にやり――と、柔志狼が嗤った。

          


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る