第22話 怪老翁

 

 八坂神社の前を通り過ぎ、山南は足を止めた。


 人目を避けるように立つ女たちに眼が止まった。

 路地を背に、伏し目がちなのは弓月である。

 山南には気がついていない。

 もう一人。こちらに背を向け、弓月と話ているのは同じ年頃の町娘である。その後ろ姿にも、見覚えがある気がした。

 弓月に挨拶でもと思い足を向けるが、込み入った話をしているようである。


 やめておこう――と、苦笑を浮かべ立ち去ろうとしたその時だった。


「止めて!」


 思いもかけぬ強い声に、山南が振り向く。

 その瞬間、弓月と眼が合った。

 山南に気がついた弓月は、表情を強張らせた。だが、気がつかなかったように、路地の奥へ消えていった。

 気がつけば、いつの間にか相手の女も姿を消していた。

「悪いことをしてしまいましたかね」

 ため息をひとつ。

 気を取り直し、山南は目的の場所を探すことにした。


 おそらくこの近くのはずだった。

 辺りを見回すと、左にあるかんざし屋に眼が止まる。

 ここだ――と、山南の顔に安堵が浮かんだ。

 何かを確認するように指を泳がせると、簪屋の角を曲がる。


 その瞬間、空気が変わった。

 石畳を敷き詰めたその路地は薄暗く、人ひとりが通るのがやっとの狭さだった。

 表通りの賑わいと隔絶されたそこは、日常にぽっかりと開いた異界への入り口のようだった。

 しばらく進むと、童たちが遊んでいた。



 かごめかごめ。

 駕籠の中の鳥は、いついつ出会う――――



 膝を抱え、眼をふさぐ女童の周囲を、童唄を歌いながら、四人の童たちが回っている。



 夜明けの晩に、

 鶴と亀がつうべった。



 邪魔にならぬよう山南は脇を通り過ぎた。

 夏の名残なのだろうか。

 軒から吊るされたまま無残な姿を晒す、シノブの風鈴をよけ、石畳を進むと壁に突き当たる。



 後ろの正面だぁれぇ――――と、童の声が響く。



 思案気に左右を見回し、山南は頷くと右に折れた。ここまで来ると、童らの唄も聞こえない。

 さらに石畳を進んで路地を曲がり、また進んでは曲がり――細い路地を縫うように足を進めた。

 規則正しく、一定の調子で訪れる曲がり角。

 まるで術式を刻むかのように路地を進むと、突如それは現れた。


 薄暗い路地の突き当り。

 三方を土塀で囲まれた、何の変哲もない古ぼけた作りの店先。

 白く煤けた看板には「松恋堂」とある。

 軒に吊るされた板には『雨並具 商い』と書かれている。


「化かされずにたどり着いたようですね」


 山南は安堵の溜息をついた。


「失礼――」


 まだ藍の匂いの残る、松傘と椿の染め上げられた暖簾を上げると、ひんやりとした空気が山南の顔を撫でた。カビ臭い匂いが鼻腔を刺激する。

 ――と、暖簾を潜る瞬間、山南は確かに人の気配を感じた。


 先客か――


 山南は構わず店に足を踏み入れた。

 格子からは淡い光が入り、店内を照らすには充分だった。

 正面にある小上がりには、満月に蝙蝠の描かれた屏風が置かれ、その隣には帳場格子に囲われた机が置いてある。

 誰もいなかった。

 苦笑しつつ店内を見渡す。


 壁沿いには、大きな水瓶やら行李など、使い込まれた物が乱雑に置かれている。

 その様子はいかにも古道具屋のさまである。


 カビ臭い行李の奥、隙間に押し込めるようにして紅い着物が眼に入った。どうやら幼い童女を模した浄瑠璃人形のようだった。

 しっとりと濡れた髪は艶やかで、潤むような瞳で虚空を見つめている。

 思わず、生きているのではないかと錯覚するほどの出来栄えである。

 ――と、童女人形がなにかを訴えかけるように、こちらを見た――気がした。


「その人形は、寛政年間に作られた逸品でしてね。ある人形師が幼くして亡くした娘を想い、それこそ我が子のように丹精込めて作り上げたそうでございます」


 突然、背後で声がした。


「ですが……その余りの出来栄えに魂が宿ったのでしょうな。ついには自ら動き始めると、己が空の器に魂を求めるかのように人を喰らい襲うようになりまして」

「なに——」

「お気に入りの様でございますれば、お代の方は充分に勉強させていただきますが」


 気配を全く感じなかった。

 いつの間に姿を現したのか。振り返ると帳場格子の向こうに、背中を丸めた老翁が笑顔を浮かべ座っていた。


「これはこれは、とんだ失礼を。久々の来客につい喜び勇んでしまい、ご挨拶もせぬうちから、喋りすぎましたかな」


 と、老爺は破顔した。

 深い皺の中に、顔が全て埋もれてしまったようである。

 さて――と、老爺が向き直った。

 その顔はなんとも異相である。

 その中央に突き出た鼻は、鎌のように大きく湾曲している。俗に言う鷲鼻。

 笑みと皺で埋もれた眼は、外形こそは笑みの形を成しているが、その奥に光る瞳は油断なく獲物を狙う猛禽のそれに近い。

 皺の奥で、山南を値踏みするような瞳が異彩を放つ。


「いや、こちらこそ申し訳ない。返事がなかったので勝手にお邪魔してしまいました」


 その視線を正面から受け、山南は非礼を詫びた。


「構いません、商いですから。お客様に訪ねて頂いてこその御店おたなでございますれば。して、今日はどのような御用向きでございますかな。新撰組副長、山南敬助さま」


 そう言って、老爺は含むように嗤った。その、背を丸め小さくなった姿は、齢を重ねたミミズクを思わせた。


「どうして私の名を」

「今やこの京における最強の武闘集団とも噂される、壬生浪士組——否。新撰組でしたな。今や京に暮らすものでその名を知らぬものはおりません。その中でも、副長の山南敬助は冷静沈着にて聡明。いわば局長の知恵袋。そのようなお方を存じ上げぬようでは、とてもとても――」


 老爺がゆっくりと首を振る。

 それとも――と、老爺は言葉を切り、


真門まさかど敬助さまと、お呼びした方が宜しいでしょうか」


 老翁が刺すように視線を向けた。


「――どうしてその名を……」


 一瞬、山南の顔から笑みが消えた。


「私がそのような人間であるから、山南さまはここへいらした――違いますか?」


 老練なミミズクが嗤った。


「申し遅れました。手前がここの主人、松恋譲吉まつこいじょうきちでございます」


 松恋は帳場格子の脇に出ると、手をついて頭を下げた。


「して、今日はどのような御用件で手前の店に?」


 一転。松恋が商人の笑みを浮かべる。


「江戸の東辺あずまべ様を存じて居られるだろうか」

関東陰陽頭かんとうおんみょうのかみ東辺明晴あずまべあけはれ様でございますな。もちろん存じております」


 なんとも御懐かしい――と、松恋が頷いた。


「東辺様より、京において事の有った際には、こちらを訪ねるようにと言われました」


 そうですか、そうですか――と、懐かしむように、松恋は眼を細めた。


「今日は、是非お力添えをいただきたく参りました」

「東辺様の名を出されては、お断りするわけにもいきますまい。この松恋、微力ながらお力添えさせていただきたく存じます。ささ、何なりとお申し付けください」


 松恋はその笑みを皺の中に埋めた。


「洋の東西を問わず、異能妖異呪術に対し、一角ならぬ造詣の深い松恋殿にお訊ねしたきことが有ります」

「はて?それは黒塗りのマリア観音像のことですかな。それとも異国の呪ですかな」


 或いは――と、言葉を切り、


「聖杯のことですかな」


 山南は言葉を失った。


「このように人の世の闇で生業なりわいを致しておりますれば、御政道などよりも寧ろ、巷に溢れる怨み妬み怒り悲しみ嫉み――人の心の紡ぎだす、この世の業に敏感でおらねば――」


 おまんまの喰いあげでございます――と、顔をくしゃりと歪めた。


「ご慧眼、感服いたします」


 山南は素直に頭を下げた。


「先ずは順を追って、お話をお聞かせくださいますか」


 松恋に促され、山南は今までの経緯を語った。


「ふむ……御承知かと思いますが、マリア観音はその多くが、清などの白磁や青磁で作られた慈母観音を見立てたものでございます。黒塗りのマリア観音などと言うものは、憶えがございません」


 ですが――と、皺だらけの額を指で突いた。


「西洋においては、黒いマリア像が見られることがあるという話を聞いたことが有ります」

「そうなのですか」


 耶蘇の教えは、正邪黒白の二元的な考えが顕著である。それを知る山南にとって、松恋の言葉は意外だった。


「白きマリア像をして、生娘にてゼスを懐妊した『聖母・マリア』を表すものとし、黒きマリア像をゼスの妻である『マグダラのマリア』であるとするという一派があるそうです」

「マグダラのマリア……」


 子袋に入れられたのは妻――


「二人のマリアか――」

「なにか参考になりましたか」

「もう一つ伺いたいのですが」

「私で解るものであれば」

「松恋殿は『七つの大罪』なるものをご存知でしょうか」


 そうですな――と、松恋は眼を閉じた。


「耶蘇――切支丹たちの教えの中で、人を罪に駆り立てる根源罪。人の業ともいえる七つの欲望……確かそのようなものであったと」

「その中に『いんヴぃでいあ』というのがございますか」

「妬み。或いは嫉妬とでもいいましょうか」


 矢張り――と、山南が頷く。


「心の深淵にある、人を罪へと駆り立てるもの。決して消すことの出来ない根源的な欲望の種――原罪げんざい

「残りの六つも教えていただけますか」

「もちろんです」

 いつの間にか松恋の顔からは好々爺とした雰囲気は消えていた。



 第一の罪 傲慢ごうまん

 第二の罪 嫉妬しっと

 第三の罪 憤怒ふんぬ

 第四の罪 怠惰たいだ

 第五の罪 強欲ごうよく

 第六の罪 暴食ぼうしょく

 第七の罪 色欲しきよく



 淡々と、地を這うような松恋の語り口は、それ自体が一種の呪のようでもあった。

 その語りは、それ自体ただ潜めるような声音が、低く低く地を這うように響いている。


「もうひとつお伺いしたいのですが」


 じっと、考え込むように聞いていた山南が手を上げた。


「西洋には、この七つの大罪を使った呪法が有るのでしょうか?」

「基本的に伴天連たちは、呪法のような類は禁じておる筈です」

「邪法を禁じるということですか」

「というよりも、全ては彼らの神『デウス』の御力によりなされるもの。人智を超えた奇跡は、神のみが成する――といったところのようですな」


 もっとも――と松恋が、山南を見上げ、


「所詮は人の浮世でございますれば、裏も表もございますが」


 松恋は含むように嗤った。


「呪は形式かたしきに非ず。因果を組み上げて成すもの――因果と術式を結びつけさえすれば、自ずと呪は成されるもの」


 自分に言い聞かせるように、山南が頷いた。

 松恋は徐に筆を執ると、紙に次のような文字を書いた。


 superbia《すぺるビあ》

 invidia《いんヴぃでいあ》

 ira《いラ》

 acedia《あけデぃあ》

 avaritia《あわりテぃあ》

 gula《グら》

 luxuria《るくスりあ》


「これは一体……」

「西洋で古くに使われていた『ラテン語』と呼ばれるものです」


 怪訝そうに眉をしかめる山南に、松恋は言った。


「先ほど山南さまの仰った『いんヴぃでいあ』も、このラテン語で『嫉妬』をあらわす文字なのです」

「いんヴぃでいあ……七つの大罪か――」


 眉間に皺を刻んだ山南が、重々しく口を開いた。


「松恋殿。少しばかり用意して戴きたいものが有るのですが」

「それが私の商いでございます故。なんなりとお申し付けください」


 松恋が慇懃に応える。


「私は己の無力さゆえ、真門を捨て、全てを忘れる為にこの地へ参りました」


 ですが――――と、瞳を閉じた。


「此度の一件。剣の身で抗うには、あまりにも荷が勝ちすぎる」

将門流まさかどりゅう麒麟児きりんじ……」


 松恋の言葉に、山南の頬がぴくりと震えた。


「もし『陰陽の霊術で人の世が救えぬ』と道を捨てた男が現れたならば助力してやってくれ――東辺様が仰っておりましたのは……はて、いつのことでしたかな」


 山南を見つめるその瞳は、思いのほか柔らかであった。


「人の分を越えた力は、不幸しか生まない――その思いが私に過去将門流を捨てさせました」


 苦いものを絞り出すように山南は呟いた。


「――なにも山南さまが動かなくとも、ここは京の都。土御門家の御膝元にござりまするぞ。事あらば見過ごしは致さぬでしょう」


 土御門と言えば陰陽頭を務める陰陽道の宗家。だが、松恋の言葉に、山南は首を振った。


「それはどうでしょうか」


 今もって陰陽寮に動きが見られないのは、朝廷と幕府の関係による政治的判断か。或いは、動く必要が無いと踏んでいるのかだろうか。理由は分からないが、当てにするわけにはいかない。


「言われてみれば、御所において何やら不穏な氣の乱れあり――土御門様は御所に詰めておられ、お忙しいとの噂を聞いたような気がいたしますなぁ」


 ほっほっほ――と、ふくろうのように笑った。


「本来であれば、己が使う術具など、己が自身の霊氣を込めて用意せねばならぬは重々承知。ですが一度全てを捨てた身では。何より――――」


 刻が無い――と、山南が眉間に皺をよせる。


「何卒、お力添えを頂きたく、お願い致します」


 山南は頭を下げた。


「お顔をお上げくださいませ」


 その言葉にも、山南は頭を下げたまま動かなかった。


「東辺様からご紹介頂いた方に、無碍むげなことはできませんな」


 それに――と松恋が口角を上げ、


「東辺様の話を抜きにしても、手前は、あなた様を気に入ったようでございます」


 その言葉に山南が顔を上げる。


「『人斬り集団の副長』であれば、助力をする気はございませんでした。ですが今、私の眼の前に居るのは『将門流の真門敬助』。なれば断る理由などございません」

「松恋殿……」

「此度の一件、山南さまに出来うる限りの御助力をさせていただきたく心得ました。遠慮なさらずになんでも仰ってください。この松恋屋譲吉、微力ではございますが協力の程は惜しみません」


 何なりとお申し付けください――――と、松恋が頭を下げた。


「――忝い」


 山南は再び頭を下げた。


「そうと決まれば」


 そう言うと松恋は、水を得た魚の如く動き始めた。

 忙しなく帳面に書きつける松恋に、山南はただ頭を下げるばかりだった。

 だが、山南は己の懐具合が不安になった。

 給金が出たばかりではあるが、先日の蔵美屋での支払いが予想以上だった。


「あ、あのぉ、松恋どの……」


 山南が遠慮がちに声を掛ける。

 松恋が帳面から顔を上げる。


「実はですね――心苦しいのですが……お恥ずかしい話ですが、今ちょっと懐の具合の方がですね……」


 バツが悪そうに、山南が頭を掻く。

「皆まで仰らずとも。この、松恋承知しております」

「いや、そんな訳には――」

「山南さまとは今後とも長く、良いお付き合いをさせて頂きたいと思っております。これは手前からの――そう、ほんのお近づきの証と言いうことで。今回は勉強させていただきます」


 にやり――と、松恋が嗤った。


「松恋どの……」


 山南は眼を閉じ、唇を一文字に噛みしめた。


「商いでは『損して得をとれ』とも申します。ここは先行投資として、山南さまに恩を売っておきたいというのが正直なところ。ですが『無料より高いものなし』とも申しますれば、山南さまもお心苦しくありましょう」


 ご安心くださください――と松恋が手を揉む。


から、しっかりと頂戴いたします。どうぞご安心を」


 そう言って、懐から算盤を取り出すと、珠を鳴らした。

 かたじけない――と頭を下げると、山南は懐の財布を納めた。

 と、その指先が何か固いものに触れた。


「あっ――」


 思わず声を洩らすが、懐より落ちたそれが足元を転がった。

 それは破れ寺で拾った小瓶だった。

 おやおや――と、足先に触れた小瓶を松恋が拾い上げる。その手の中で、小瓶の中の液体が瑠璃色に煌めいた。

 だが、その瓶の中身を見た途端、松恋の表情が一変した。


「これは……」


 いかにも商人らしい笑みを蓄えていた松恋の眼が、鋭い猛禽のそれに変わる。


「それを御存じなのですか?」

「蓋をとらせていただいても宜しいですか?」


 山南が首を縦に振ると。

 失礼いたします――と、蓋を開いた。

 その瞬間、爽やかな香りが溢れた。


「はて?」


 どこかで嗅いだ覚えのある匂いである。

 だが山南はそれが思い出せない。

 松恋は己の鼻にあて匂いを嗅ぎ、小瓶を軽く揺すり、瓶を透かして見る。


「これをどちらで?」

「松恋殿に黙っている必要もないでしょう」


 そう言って、破れ寺で拾った経緯を話した。

 無論、名こそ出さぬが、沖田と葛城柔志狼の事も話した。

 松恋はその話を黙って聞いていたが、一瞬だけ小さく溜息を吐いたような気がした。


「拾った場所が場所だけに、気にはしていたのですが正直、すっかりと失念しておりました」


 恥ずかしそうに笑みを浮かべ、山南が首の後ろを掻いた。


「手前もはっきりとは確証は持てませぬが、これは恐らく本朝のモノではないかと」

「お心当たりがあるのですか」

「思い当たるのは西洋の霊薬の一種であろうかと。それも恐らくは『えりくしゃ』と呼ばれる秘薬ではないかと思われます」

?」

「はい。エリクサーとも発音するようですが。山南さまは『あるけみぃ』なるモノをご存知ですか?」


 聞き覚えのない言葉である。


「『あるけみぃ』とは西洋で遥か昔より行われてきた、秘術体系の一つでございます。あらゆるものを昇華還元いたし、神の真理に近づくことを至高の目的とした、術理教義の集大成とでも申しますか」

「神の真理――」

「無より有を生じるのが神の力であれば、人の手により無から有を生じさせることが出来れば、それはまた神の力を有したことと同義であろうといった考えでしょうか」


 山南の脳裏に、天羽の話が思い浮かんだ。


「神と等しき力を手にし、その真理を紐解いていけば、いずれ神と同一化出来る。そのように考えたのでしょう。ですが、無より有を生じさせるなど、まさしく神の御業。それが出来れば誰も苦労など致しませぬ。ですからまず『あるけみぃ』を成す者である『あるけみすと』たちは、まずはこの世に存在するモノの性質を変性させることから入るのです」

「作り変えるということですか」


 松恋が頷く。


「あらゆるものを、その根本の因果まで細分し、それを新たに組み替える。それは柔らかきものから硬いもの。或いは生き物の類いまで。具体的に申せば、鉛などを黄金に変性させようなどという試みもあったようですな」

「金にですか」

「それ故に、錬金術れんきんじゅつなどとも呼ばれております」

「それは清国の道士などが成す、錬丹術れんたんじゅつに似たようなものと考えても良いのでしょうか?」


 錬丹術――古代中国の神仙思想において、不老不死を探究し様々な方法が試みられてきた。その究極の到達点として、人が限りなく神に近づく法――仙人へ至るまでの方法を探究し、極めた術である。


「勿論、思想の違いなどはむろんありましょうが、根本大本の部分に大差はないのであろうと、手前は思っておりますが」 

「ではその小瓶の中身は錬丹術の『仙薬』と同じと言う事ですか?」

「製法や材料は違えども――」


 松恋がえらく神妙に答える。


「切支丹の七つの大罪に、西洋の霊薬……なんともこれは――」


 山南は己の口角が上がっていることに、気が付いていない。


「山南さま。事のついでに、もうひとつお耳に入れておきたいお話しがございます」

「なんでしょう?」

「既にお聞き及びの事とは思いますが、最近巷にて出回っております『伏見丹』なる妙薬をご存じでしょうか」

「どうしてそれを」


 土方が追っている件が、まさか松恋の口から出るとは思わなかった。


「あれは錬金の術により生み出された、外法の呪薬にございます」 

「なんだって」

「この『えりくしゃ』なるものは、その呪薬の材料の一つでありましょう」


 松恋の声が、静かに響いた。



          ※



 なかなか面白い男だろ――――と、店の奥から姿を現したのは葛城柔志狼だった。

 松恋に礼を言い、山南が店を出た直後である。


「ふん。お前さんなんぞに言われなくても『将門流の麒麟児(きりんじ)』のことは良く知っておるわい」


 山南に対しての丁寧な口調とは打って変わり、松恋の物言いが伝法なものに変わっていた。だがこちらが素の姿なのだろう。


「儂をダシに使いおって――全く少しは年寄りを敬うという気遣いをもたんか」


 そんな言葉とは裏腹に、松恋の眼には笑みがある。


「仕方ねぇだろ。まさか山南がここに来るなんて、夢にも思わねぇよ」


 それに――と、柔志狼の口角が上がる。


「奴を巻き込むには、それなりのエサを与えなきゃいけねぇだろ。因縁のある俺の言葉より、爺さんの言葉の方が言霊の力も強かろうぜ」


 柔志狼が嗤った。


「あの様子では、そんなことをせんでも自分で辿りついただろうに」


 松恋が呆れたように呟く。


「だろうな。だがそれじゃあ、ちと間に合わない」

「まさか『えりくしゃ』までとは思わなんだわい」


 松恋が溜息とともに首を振る。


「そんなに大層なものなのかい『えりくしゃ』ってのは」

「万物の生成に欠かせぬ、霊薬じゃよ」

「また随分と大きくでたな」


 柔志狼が馬鹿にしたようににやける。


「神の力の一部じゃぞ」

「神の力ねぇ――」


 はんっ――と、柔志狼は肩を竦める。


「今回の売掛。お前さんに回しておくからの」

「なんだと」


 柔志狼が眼を丸くする。


「必要経費として、仕事料に吹っ掛ければええじゃろ」


 松恋が算盤を鳴らした。

 げぇ――と、柔志狼が肩を落とした。


「成功報酬にしておいてやるわい」

「そいつはありがたくて涙がでるよ」


 ぴしゃり――と、柔志狼が首筋を叩く。


「あの野郎が、どうやって仕上げに持ち込むのか分からねぇが、残りあと《四つ》。それまでに追いつかねぇとな」


 ぎり――と、柔志狼が歯を軋らせる。


「まったく……この三百年近く、京の都は静かで良かったんじゃがの――」


 なんとも厄介な事じゃ――と、松恋が小さな背を丸め、わざとらしく溜息を吐く。


「攘夷だ天誅だ――に加えて、今度は伴天連の宝物に、七つの大罪。西洋伝来の呪薬で化物変化にございと」


 面倒臭ぇなぇ――と、呟く柔志狼の顔には獰猛な笑みが浮かぶ。


「やい柔志狼。とっとと、なんとかせんか。儂はな、安穏とした静かな日常が好きなんじゃ。さもなくば溜まっているツケ勘定、今すぐ耳を揃えて払わせるぞ」

「うへっ。そいつは鬼よりおっかねえ」


 おもむろに、懐から黒いまりあ観音を取り出すと、柔志狼は文机の上に乱暴に置き――


「どうか一つこれでご勘弁を」


 にやり――と、柔志狼が嗤った。

          


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