第43話 牙狼剣


 ぶつん――と、剣が骨を断ち斬る。


 流石に腕が痺れてきた。

 いったい、このわずかな間に何度剣を振るったか。


 不逞浪士たち――恐らくは土佐勤王党の残党と思わしき連中は、文字通り人をやめていた。


 戦いの当初、見てくれは薄汚れてはいても、その姿は間違いなく人であった。

 だが一太刀、二太刀と斬り結ぶたびに奴らは人を捨てていった。

 確かに袈裟に斬り捨てたはずの浪士が、壮絶な笑みを浮かべて立ち上がった。


 そいつを殴り飛ばし、長身の会津藩士を襲っていた敵を斬り捨てた。

 その背後からまた、先ほどの男が襲い掛かってくる。


「なんだこいつは!」


 その姿は既に異形と化していた。

 背は曲がり、顎先は大きく突きだしている。蛇のように長い舌が、己の鼻面をベろりと舐めあげた。


 うきゃ!


 獣のように吠えると、這いずるような低い姿勢で剣を振る。

 土方はそれを宙に跳んで躱し、真上から頭蓋を突き刺した。

 びくり――と、身を震わせ動かなくなったが、死んだ男の体毛がぞろりと伸びた。

 黒々とした毛を生やしたその姿は、まさしく獣のように見える。


「……馬鹿な」


 額の汗を拭ったのは無意識だった。


 周りを見渡せば乱戦の中、全身を黒い毛で覆われた男を相手に左之助が槍を振るっている。

 苦戦しているが、後れを取るようなことはあるまい。

 列の後方に見える近藤にしても同様だった。

 近藤と共に本隊付の永倉や斉藤なども心配はないだろう。


 沖田は――と、心配から最も縁遠そうな男を探す。

 察しの通り、沖田は剣を振るいながら、敵の間を風の様に抜けていく。


 ならば――と、他の隊士たちの加勢にうごいたその時、土方の前に長身の男が立ち塞がった。


「手前は――」


 六尺近い長身に、なびくような蓬髪――


「サカモトか」


 土方が剣を構えた。


「ごあぁ!」


 サカモトは獣のように吠えると、力任せに剣を振り降ろした。

 まるで鉄の塊で殴られた様な衝撃を、土方は辛うじて受け流す。


 踏みこみつつ、返す刃でサカモトの逆胴を抜く。

 ぶつん――と、はらわたを断ち切る感触が確かに伝わる。

 とどめを刺さんと、振り返り剣を振り降ろした。


 だが、その剣をサカモトが掴んだ。


「馬鹿が!」


 構わず、土方が剣を引くが、びくとも動かない。


「なにぃ」

「この壬生狼如きが!」


 はらわたを巻き散しながら、獣の形相でサカモトが剣を振り降ろす。


「ちぃ!」


 それに対し土方は、手にした剣を躊躇なく離すと、低い姿勢で踏み込んだ。

 右手で小太刀を抜き、下から咽喉元を斬り裂く。

 

 ごぉぼお!


 咽喉から噴き出した血が、土方の顔面を朱に染める。

 だが、サカモトは止まらない。


 血走った眼は黄色く濁り、口吻からは牙が覗く。

 土方を殴り飛ばした腕は、黒々とした獣毛に覆われていく。


「化物かよ!」


 地に転がる土方に、サカモトが獣のように圧し掛かる。

 だらしなく伸びた口元からは、長い舌が覗く。


「おのれ、あもうめとよつぼやめ!謀りおったな――」


 長い舌がもつれ、不明瞭で聞き取れない。だがそれでも「謀った」とだけは聞きとれた。

 大きく顎を突出し、鋭い牙が土方を襲う。

 

 なんだか知らねぇがな――


「騙される手前が悪いんだよ」


 ガウゥン――と、

 空気を震わせる轟音に気がついた者がいたであろうか。


 サカモトの顎先から頭頂部を、火柱が貫いた。

 力なく崩れ落ちるサカモトを跳ね飛ばし、土方が立ち上がる。

 まるで何事もなかったかのように、まだ熱を持つ銃を懐にしまう。


 足元に転がる自分の剣を拾い上げると、


「おい土方の旦那、ありゃ――」


 なんぞね――と、敵を倒した左之助が近づいてきた。

 二人の視線の先には、無数の人影があった。

 それは伏見丹に侵された人の群れであった。


「左之、近藤さんを呼んで来い」


 体勢を整えねば全滅――土方の背を冷たいものが走る。


「総司! 総司どこだ!」


 左之助の背を見送り、沖田を探す。

 だが、沖田の姿はどこにもなかった。


「――馬鹿野郎が」


 土方が唾を吐き捨てた。



※ ※ ※


 ぐはっ――と、咽ると、血を吐いた。


 満身創痍であった。

 元々が黒装束なので目立たぬが、小袖も皮袴も血で重そうに濡れている。


 武蔵魔獣ルプスは恐るべき相手であった。

 柔志狼が勝ったのは、まさに紙一重の差であった。肋骨は折れ、腹と背の傷は内臓にまで達するものもある。勝利の代償はあまりにも大きかった。


 それでも、重い身体を引き摺るようにして、柔志狼は豊壺屋へ急いだ。

 だが遂に膝が崩れ、塀に背を預ける。


「かぁ……血が足りねぇ――」


 朦朧とする意識を鼓舞するように、己の頬を叩く。


「おっ」


 その時だった。通りの向こうから見知った顔が走ってくるのが眼に入った。

 ちょうど良いところに――と、柔志狼が手招きする。


「おい、ちょいと手を貸してくれ」


 すっ――と、柔志狼の前に、どこか幼さを残す青年が幽鬼のように立った。


「お前まさか……」


 柔志狼がそう呟くが早いか。

 ぐばっ――と、柔志狼の口から血が溢れる。


 柔志狼の腹を、妖気を纏わりつかせた剣が貫いていた。


 くひ――と、青年が引きつったように嗤った。


「勝った。勝ったぞ——私の勝ちだ!」


 そう叫ぶ青年の瞳から、鬼火のような光が零れる。


 くか――くかか――


 引きつれた笑い声を残し、無邪気に跳ねると、柔志狼に見向きもせず走り去っていく。


「……馬鹿た――れが――――やがっ――」


 塀に背を預けた柔志狼の身体が、ずるり――と、沈んでいく。


「あらぁ――こいつは……ちょいと……」


 ヤバいかも――と、指先が宙を掴み、柔志狼の腕が力なく落ちた。



 

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