第44話 天魔狂宴


 草摩に通されたのは、以前とは違う部屋であった。


 以前の時よりもさらに奥まった、屋敷の中央付近にあたる場所のようだった。中庭に対し、回廊状に配された廊下の北側である。


 三十畳を越す広間に、紅い絨毯が敷き詰められている。

 中央には一間ほどの大きさの、樫でできた重厚な机が置かれている。そこに椅子が二脚置かれていた。


 山南は、障子を背にした入り口側の椅子を勧められた。


「直ぐにお茶をお持ちいたします」


 草摩が慇懃に首を垂れる。


「弓月さんは何処です」


 部屋を出て行こうとする草摩に、山南が声を掛けた。


 一瞬、動きを止め、


「四郎様は直ぐに参りますので――」


 その問いには答えず、部屋を出て行った。


「くっ」


 苛立ちに、思わず樫の机を叩く。

 おそらくこの様子では蓮とは違い、弓月を傷つける気はないようだ。

 こうしている間に、儀式の準備を進めているのだろう。同時にそれは、まだ弓月が無事であるという何よりの証拠でもある。


 そしてもうひとつ、気がついたことがある。

 なぜか天羽はこの一件に「観客」を欲しているようである。理由は分からない。

 だがそこに付け入る隙が生じるかもしれない。


 だが、万が一の事を考えると、苛立ちを沈めることは難しかった。

 そもそも、独り敵陣に乗り込むような真似は、山南の本分ではないのだ。


 このような時、あの柔志狼であればどうするであろう。

 怒り心頭。力ずくで押して参るか。


 否――


 恐らくは、不敵な笑みを浮かべ、敵の出方を見るだろう。ああ見えて柔志狼は、駆け引き上手のしたたかな男である。

 不敵に嗤う男の顔を思い出し、山南は大きく息を吸った。


 ゆっくりと吐き出し、調息すると臍下丹田せいかたんでんに氣を落とす。

 それを何度か繰り返し、己の中に静かな水面を想う。そこに白く輝く月を浮かべると、山南の眼尻に、常の和らぎが戻った。


 幸いなことに、剣を取り上げられるようなこともなかった。ならば機を窺いその一瞬を待つしかあるまい。


 ふと、鼻腔を爽やかな香りがくすぐることに気がついた。

 以前もこの屋敷を満たしていた香り――おりーぶ油とかいう香油の香りだ。

 悪くない――と、頬を緩める山南に、欄間にあしらわれた装飾が眼に飛び込んだ。


「まさか……」


 緻密な細工で彫り込まれたそれは五七の桐紋。


「どういうことだ――」


 そもそも桐紋は帝の紋章である。

 五三の桐紋などは過去に足利尊氏などの有力な大名に下賜されたこともある。だがそんな中でも、五七の桐紋を使うのは、かの太閤・豊臣秀吉だけ。

 それがなぜこのような場所に。


 思わず、山南は立ち上がり拳を握りしめる。

 その時だった。


 失礼いたします――と、草摩が茶を持って入ってきた。


「説明していただきたい」


 山南が床の間を指さし、草摩を詰問する。


いささか無礼でありましょう」


 山南の前に、草摩が茶を置いた。


「我が主筋の家紋に指さすなど、客人で有れど無礼千万」


 殊の外、静かな口調で草摩が諭すように言う。


「御無礼仕った。五七の桐紋が豊臣家のものであることは承知。その上で、ここに何故それがあるのかと訊ねているのです」

「ですから、主筋と言ったではありませんか。そもそも我が豊壺屋一門は――」


 豊臣家の家臣の末にてございます――と、草摩が微かに口角を吊り上る。


「そういうことだったのか――」


 全て合点がいった。


 弓月の話を真実とするならば、聖月杯の封印は織田信長に始まり明智光秀を経て、最終的に全てを整えたのは豊臣秀吉である。

 ならば、秀吉と縁のあるものが聖月杯に関わっていたとしても何ら不思議はない。

 いや寧ろ、全く無関係である方が不自然だ。


「だが何故だ? 何故に豊臣の遺臣が、天羽四郎衛門――いや、益田四郎などに与するのだ」

「それには私が答えましょう」


 音もなく障子が開き、天羽四郎衛門が部屋に入ってきた。


「お待たせしました」


 後は私が――と、草摩を下がらせると、山南に茶を勧める。

 憮然とした表情で天羽を見つめるも、視線を外すことなく、山南は茶を口に含んだ。


「草摩殿を責めないでやってください。己の役割を全うしているだけなのですから」


 天羽は机に肘をつき、静かに指を組んだ。


 その様子は先ほどと少しも変わらない。

 ただ違うのは、フロックコートを脱いでいるのと、弓月に刺された右目を隠すように、前髪で顔の右半分を隠していることぐらいである。

 優雅に落ち着いた佇まいは、先ほどの凄惨な死闘など微塵も感じさせない。


「そんなに怖い顔をせずとも、マリアは無事です」

「弓月さんはどこだ」

「心配せずとも、直ぐに合わせて差し上げます」


 そんな事より――と、口角をあげ、


「他に聞きたいことが有るのではないですか」


 山南の腹の中を探るように、天羽が言った。

 天羽の魂胆は分かっている。儀式の準備の為に刻を稼ぎたいのだ。

 だが刻が有利に運ぶのは、なにも天羽だけとは限らない。


「天羽四郎衛門。貴方が、天草の乱より逃げ延び、この二五〇年近くを生きてきた益田四郎であるということは、まこと事実であるとしましょう」


 いかなる妖術秘術を用いているか想像もつかない。それは西洋の魔術・神秘学の叡智の賜物であるのか。或いはまた、仙人になり永遠の命を求めるとも言われる、隣国の錬丹術にも近しい錬金術とやらの奥義であるのか。


 少なくとも、眼前にいるこの男が益田四郎であることに、山南は微塵の疑いも持っていない。


「本来であれば聖月杯が貴方の手に渡る筈であったという話。それも恐らくは、真実であるのでしょう」


 ことの是非は別にしてですが――と、山南は釘を刺す。


「それで結構ですよ」

「それら全てを認めた上で、なぜ故に豊壺屋が貴方に協力するのだ? そして貴方を上座に仰ぐのは何故だ」

小西行長こにしゆきながという武将をご存知ですか」


 無論、知っている。

 秀吉の家臣であり、洗礼を受け切支丹となった大名である。関ヶ原の戦いにおいて奮迅したが捕縛。自ら命を絶つことを禁じられた切支丹であったために切腹を拒否。最後は斬首され果てた。


「私の父は若いときに、その小西行長に仕えていました」

「それと何の関係が」

「行長は生前、秀吉にを託されていたようです」

「あること?」

「関ヶ原の合戦の際、逃走する行長は伊吹山中にて、秀吉に託されていたを、我が父に預けたそうです」

「あるものとは一体なんです?」


 いつの間にか山南の中の好奇心が疼き、天羽の話に引き込まれている。


「――秀吉の子種」


 声を潜め、天羽が囁くように言った。


「そのような事……」


 あり得るのだろうか。そもそも子種と言うものが、本人の死後も、そのように保存が効くのだろうか。


「その当時、どのような方法を用いて、秀吉が子種を残したのかは知りません。ですが秀吉から託されたそれを行長は、益田好次という男に託した――これは事実なのです」


 淡々と機械的な語りで、天羽が続ける。


「私の生まれる前、にはの娘がいました」


 天羽は、父とは呼ばず好次と言った。


「好次は、十にも満たぬ己の娘に、秀吉の子種を仕込んだのです」


 凍てついた硝子のような瞳で、天羽は言った。


「その後、娘はうまやで一人の男の子を産み落とすと、その命と引き換える様に天に召されました。それ故に好次は、産まれた子を己の息子として育てました」


 それだけです――と、天羽は言った。


「貴方は――」

「主ゼス・キリヒトは、母マリアが処女懐妊の後、馬小屋で産み落とされたといいますから、好次にしてみれば観天喜地の至境だったことでしょう」


 その話が全て真実であるとするのならば、天羽が二百年以上を生きていること以上に衝撃的な話である。

 とうの昔に潰えた筈の豊臣の血が、今もこうして存在しているのである。


 それは今の幕府――いや、徳川家にとって看過できぬ由々しき事案である。

 幕府の屋台骨の揺らいでいる今この状態で、倒幕の意志のある者が知れば、どのような事になるか。


 そもそも長州毛利家は、豊臣と縁深き間柄である。豊臣の血筋が今尚残っているなどと知れれば、反幕府の旗印として天羽を担ぎ出すであろう。

 天羽にしてみても、豊臣家の滅亡の経緯や島原での遺恨を考えれば、断る道理もあるまい。


 そこへ、大義を得て勢いづく長州に天羽の仕入れる大量の武器が渡れば、国を割っての大戦になることは避けられまい。


「徳川を倒し、豊臣の血筋による政権を打ち立てることが望みですか」


 眼前に座る天羽四郎衛門――いや、益田四郎の存在そのものが、天下にとっての爆弾のようなものである。


「そうだ――と言えば、どうします?今ここで私を斬りますか」

 

 山南を試すように、天羽が嗤う。

 その反応に、山南の指先が、反射的に剣を求める。


「ですが、そうなるとマリアと二度と会えなくなりますが――」


 それで宜しければ――と、天羽が立ち上がった。


 五尺はある樫の机を挟んだこの状態で、斬ることは容易くない。だが山南の腕であれば可能である。しかしそれは相手が人間ならの話である。


 二百年以上を生きる妖人・天草四郎が相手では、容易ではないどころではない。

 何より、天羽の言葉が、山南に躊躇させた。


 その時だった。


「四郎様。お客人がいらっしゃいました」


 廊下で再び草摩の声がした。

 生きていたのか――山南の脳裏に、仁王ような不敵な笑みが浮かんだ。


「お通ししてください」


 天羽の言葉に、障子が開く。


「葛城よくぞ無事で――」


 むうっ――と、山南が言葉に詰まる。


 そこに現れたのは――


「――沖田……」


 山南から笑みが消えた。


 そこには、常の天真爛漫な表情とは程遠い、幽鬼のような顔をした沖田総司が立っていた。


「なぜ君がここに――」

「山南さん。いつも私を置いていくんだから。でも――」


 やっと追いつきましたよ――と、沖田の瞳が鬼火のような光を揺らした。


「天羽! 貴様、沖田に何をした!」


 樫の机を両手で叩き、山南が激昂する。椅子が倒れるのも構わず立ち上がると、天羽に向かい詰め寄る。

 だが、その前に沖田が立ち塞がった。


「どくのだ沖田君」


 横へ退けようとした山南の手を、沖田が掴んだ。


「沖田――」


 沖田の視線は、山南を見ず倒れた椅子を見つめている。


「私は何もしていませんよ。ただ、彼の悩みを聞いてあげただけです」


 紅い唇を綻ばせ、天羽は言った。


「悩み?」


 咎めるように見つめる山南に対し、沖田は視線を合わせない。


「はい。魑魅魍魎を始めとする、人のことわりに非ざる存在――妖異を目の当たりにして、沖田は己の剣に自信が持てなくなったようですよ」

「まさか――」


 自他ともに認める剣の申し子。子供のような天真爛漫さで無邪気に振るう剣は、まさに天賦の才の賜物である。

 一流の剣士として人の世で生きてもらいたいと、敢えてこちらの世界から遠ざけようとしたことが、裏目に出たのか。


「沖田――邪に魅入られたか」

 

 だが、遠くを見つめたまま沖田はなにも答えない。


「では、私は先に行きますので。どうぞ御ゆるりと語り合ってください」


 草摩の先導で、天羽が廊下に向かう。


「待て!」


 後を追おうとするが、沖田が手を離さなかった。


「出来るだけ早く行らしてください」


 待っておりますよ――と残し、天羽が部屋を出て行った。


「天羽!」


 沖田の腕を振り払い、山南が天羽を追う。

 だが、白刃の煌めきが、山南の足を止めさせた。


「酷いな山南さんは。また私を置いていくつもりですか」


 正眼に構えた沖田が、行く手を阻むように回り込む。


「沖田君――」


 炯――と、鬼火のように眼を光らせる沖田に対し、山南は間合いを測る。


「私はもう負けませんよ。強くなったんです」

「君はもう充分に強いじゃないか」


 無意識に、山南の手が腰の剣に掛かる。


「私が弱いから、いつも置いていくんですよね」

「違う。そうではない」

「私は強くなったんです。今日だけで浪士を何人斬ったか知ってます?」


 くか、くかか――と、沖田が引きつれた様に嗤う。


「それに、あの男――あの図体ばかりの団子屋も私が本気になれば――」

「団子屋?何をいっているのです」


 まさか――


「葛城か!」

「借りは返してきました。ですから山南さん――」


 本気の稽古をつけてくださいよ――と、沖田の身体から妖しい殺気が揺らめいた。



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