第52話  黄金太閤


 草摩の胸から金色の腕が突き出している。


 その異様な光景に、刃を振り降ろしかけた山南が動きを止めた。


「よくも、騙してくれましたね」


 草摩の背後で、天羽が金色に染まる笑みを浮かべていた。


「た、太閤殿下――違う。四郎さ――まだそのような――い識を……」


 口から血を溢れさせ、草摩が眼を剥く。


「黙りなさい」


 金色の腕が、草摩の身体を引き裂いた。


「しろうさま――」


 草摩が口惜しそうに天羽を見つめた。


「天羽――」


 鱗粉でも塗したかのように、金色に染まる天羽。その黄金仏のような姿を見つめる山南の瞳には、なぜか憐憫の情が揺れていた。


 だが突如、

 ごがぁ――と、唸り、天羽が掻きむしるように宙に手を伸ばす。


 金色に染まる顔の右半分が、引きつれたように歪むと無数の皺を刻む。まるで天羽の顔に別人の顔が浮かんだかのようだった。


「悍ましい――」


 左手で、顔の右側に掴みかかるが、それを金色の右手が拒むように掴む。


「くっ」


 右腕が天羽の意志に逆らい、左手を止めたのだ。

 

 けく。

 

 けく――と、天羽の顔の右側だけが、口角を吊り上げ、喜悦に歪んだ。


「聖杯――賢者の石――全てが偽り」


 よろよろと、ふらつきながらも、天羽が右手を振り払う。


「こんな狒々爺のための戯言であったなど……私は――」


 認めん――と叫び、弓月に向かって奔った。


「よせ!」


 山南が追いかけようとするが、絶命したかに見えた草摩が山南の脚元にしがみ付く。


「――よもや我らが悲願が、このような……」

「離せ! 」


 草摩を蹴りはがし、山南が走る。

 一方、迫りくる天羽に対し、駆け寄る我が子を抱き締めんとばかりに、弓月が両手を広げる。

 だが、いつの間に手にしたのか。天羽の手には剣が握られていた。


「最早なにも望まぬ。だが――」


 好きにもさせません――と、弓月に向かい刃を突き出す。


「よせ! 止めるのだ」


 間に合わない――山南が歯を軋らせる。


 その時だった。

 床に倒れていた人影が、むくりと起き上がり、天羽と弓月の間に割って入った。

 人影は天羽に背を向け、突き放すように弓月の肩を掴む。

 そこへ天羽の凶刃が、無防備な背中を刺し貫いた。

 はらり――と、黒い頭巾が解け、長い髪が宙に広がった。

 その瞬間。


「……こ――こね」


 弓月の瞳に光が戻った。

 腹から突き出した切っ先と、ここねの顔を交互に見つめる。


「余計な邪魔を――」


 ここねから剣を引き抜き、天羽が振りかぶる。

 弓月が腕を突き出したのは無意識か。

 ぐぁ――と、天羽の身体が、くの字に折れ吹き飛ばされた。


 弓月の身体が高台院に支配されている時に、山南を吹き飛ばした衝撃波である。それを無意識に放ったのだ。

 山南がその隙に、弓月に駆け寄る。


「あ、あぁ……ここね。どうしてこんな――」


 自分にもたれ掛かる女を抱き締め、弓月が泣きじゃくる。


「弓月さん」


 その女は先程、山南に声を掛けた侵入者。そしてあの日、弓月と共にいた、であった。


「――弓月。い、いいえ、さと。あなたは、もう自由になって――」


 ひゅうひゅう――と、咽喉を鳴らしながら、弓月の耳元で言葉を洩らす。


「どうして、どうしてあなたが」


 弓月の声は震えていた。


「あ、あの男さえ来なければ――わたしは、ずっと只のここねでいられたのに」


 ここねが、引きつるように頬を緩めた。


「どういうことなのだ」


 傍らに寄り添い山南は、弓月と共にここねを支える。

 山南さん――と、顔を上げる弓月に、山南は無言で頷く。


「わたしは――草の者。戸浦村に根付き、役目を果たすための忍び

「あなたの役目は、封印の巫女を護る事ではないのか」


 山南の言葉に、ここねが頷く。


「あの男さえ現れなければ、それで一生が終わる筈だった。けれど――」


 豊臣の亡霊が甦ってしまった――と、ここねは言った。


「秀吉を復活させる者が現れた時、それを阻止するのがわたしの使命。それが代々に渡り引き継がれてきた、本当の御役目――」

「誰が一体そのような御役目を」


 ここねは答えず、咳き込むと喀血した。

 弓月さん――と、山南はここねを床に横たえた。


「ここね」


 すでに死蝋のように白くなっている頬を、弓月が懸命に擦る。

 だがもう長くはない――弓月の下半身までも真っ赤に染めるほどの出血量だ。

 ここねの身を温めようと、弓月が懸命に身体を擦るが、急激に体温が失われていく。


 その時だった。

 強烈な妖気に、山南が振り返る。

 その瞬間、山南の頬を掠めて金色の光が空気を引き裂いた。


 床石から祭壇までが、鋭利な刃物でなぞったように抉られていた。

 その先には、天羽が立っていた。そこには、あの美麗な佇まいは微塵もない。

 引きつった笑みを金色の右半面に貼りつけ、幽鬼のように立っている。


「天羽四郎衛門……」


 一瞬でも天羽の事を失念していたことを、山南は自戒した。

 いつの間にか、聖堂内に満ちていた霊気が、強烈な勢いで天羽に集まっていた。

 その強烈な力のせいで天羽の周囲が歪んで見える。


「この妄執――怨念の濃さ……」


 うっとりと、天井を仰ぎ――


「神の叡智にも比肩しうるやも」


 天羽が吐息のように呟いた。

 ごがぁ――と、仰け反った次の瞬間。

 天羽の背中が大きくたわんだ。

 肩甲骨の辺りが瘤のように膨れ上がり突如、音をたてて爆ぜた。


「ぐひぃいぃぃ――」


 爆ぜた瘤から、灰色に濁ったものが宙へ噴き出した。まるで血飛沫のように噴き出したそれは、巨大な翼だった。

 黒とも白ともつかぬ、五尺近い歪な形をした異形の翼。

 想像を絶する光景に、山南の本能が最大級の警鐘を鳴らした。


「いかん。逃げろ――」


 視線を戻し、山南は愕然とした。

 ここねの首を、弓月が締めていたのだ。


「弓月さん! 」


 慌てて弓月の身体を引きはがす。その途端、ここねが咳き込み大きく喘いだ。


「どうしたのだ」


 だが山南の声が耳に入らないのか、弓月は呆然と宙を見上げている。


「――弓月さん」


 白い肩に手を掛けた時、己の裡より湧き上がる凄まじい劣情に、山南は反射的に身を引いた。

 弓月から先程にも増した、糖蜜のような濃厚な色香が溢れ出していた。


「高台院……」


 にぃ――と、弓月高台院が嗤った。

 山南を見つめる弓月の瞳が、真紅に染まっていた。

 蛇のような舌先が、柘榴のように紅い唇を舐めあげる。


「そのひとから出て行け」


 指先を揃え、剣印で宙に五芒星を描くと、


砕霊切々サイリョウキリキリ ウン 発絶ハッタ! 」


 弓月に向かい呪を放つ。

 だが、山南の放つ氣を、弓月高台院は容易く弾く。

 疲弊しきった今の山南の氣では、高台院の妄執には遠く届かない。

 弓月高台院の鋭い爪が、山南の両の眼を狙う。


「くっ」


 防ごうとした掌の寸前で、弓月の爪が止まった。


 殺して……と、弓月の口から絞り出すような声が漏れた。


「早く! 私を殺してください!」


 刹那、弓月の瞳に理性の光が戻る。


「弓月さん」


 伸ばしかけた山南の腕を、弓月が拒否する。


「徳川の世が好きなわけではありません。だからと豊臣の世になることが良いとも思いません。せやけど――」


 辺りに倒れる多くの人達に視線を巡らせ、ここねを見つめる。


「こないに多くの人達を犠牲にして出来る世など、ええわけありまへん」


 弓月が叫ぶ。


「だから山南様。私を――」


 殺してください――と、弓月の瞳から大粒の涙が零れた。


「うぉぉぉぉ――」


 小太刀を引き抜くと、山南は弓月に向かい振り降ろす。

 だが、寸前で山南の腕が止まった。


「出来ない――」


 握りしめた腕が白く震えている。

 山南はん――と、震える剣の柄を、弓月の両掌が包み込み――


「よせ! 止めるのだ! 」


 意図を察した山南が慌てて腕を引く。

 おおきに――と、弓月が切っ先に向かって、倒れ込んだ。


 その時だった。

 

 ぎぃ。ぎぃ。ぎぃ。

 ぎぃ――と、怪鳥のような声が空気を震わせた。

 

 次の瞬間、強烈な風圧が山南と弓月を吹き飛ばした。

 咄嗟に小太刀を手離し弓月を抱えながら、山南は床を転がった。


「あれは――」


 五間ほどの高さに、灰色の翼をはためかせ天羽が浮かんでいた。

 天羽が金色の腕を振り降ろすと、あの光が空気を切裂いた。


「危ない」


 弓月を抱え、床を転がる山南の肩を、金色の光が掠める。

 二度、三度と振り降ろされる金色の刃をどうにか躱すも、山南の背が柱に当たり止まる。逃げ場がない。

 弓月を抱え、慌てて立ち上がろうとする。

 だが既に、天羽の腕が、山南たちに向け振り降ろされようとしていた。


 その時――


「――待ちやがれ!」


 地下聖堂を震わせるような怒声が響き渡った。

 その声に一瞬、天羽が気を取られた。

 強烈な殺気の塊が、天窓から飛び込んできた。

 殺気の人影は、空中にある天羽の背に飛びつくと、その首筋に苦無を突き立てた。


 両者はそのまま、もつれるように落下する。

 ぐちゃり――と、鈍い音をたてて動かぬ天羽を踏みつけて、男が立ち上がった。


「お、お前は――」


 山南の声が微かに震えた。


「待たせたな」


 葛城柔志狼が不敵に嗤った。

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