第57話 邪天童子
最早それは、人智を超えたなにかであった。
赤黒く濁った翼をはためかせ、頭上に浮かぶ天羽の手には、屍人から抜き取った脊柱が大剣のようにあった。
それを鞭のように振るうと、雷鳴が轟き電光が地を奔る。
その衝撃で周囲の屍人たちが吹き飛ばされる。
「出鱈目にもほどがあるぜ」
ここねに無言で別れを告げ、柔志狼は走った。
天羽が石床を叩くと、その衝撃波が石床を引き裂き、柔志狼に襲い掛かる。
己を庇うなどせず、柔志狼はさらに踏み込んだ。
「吩っ!」
掌に氣を籠めると、柔志狼は真正面からそれ《衝撃波》を叩いた。
空気を震わせて、衝撃波が爆ぜる。
衝撃が周囲に弾け、爆煙が巻き上がると柔志狼の姿が煙に消えた。
爆煙を引き裂きながら、天羽の真正面に柔志狼が姿を現した。
「哈ぁぁ!」
柔志狼の左掌が、ゆるりと持ち上がる。
「かぁはぁ!」
天羽が左手を突き出して迎え撃つ。
刹那。両者の間で、氣がぶつかり、激しく火花を散らす。
「せぃ!」
柔志狼の丸太のような脚が跳ね上がり、天羽の脇腹を下から蹴り上げた。
「くぅうわっ!」
蹴りを受けた天羽の脇から肉を突き破り、折れた肋骨が飛び出す。
構わず、天羽が脊柱を振り降ろす。
「ちぇぇぇい!」
額の寸前で、それを柔志狼が合掌で挟み込んだ。
だが、凄まじい衝撃波が柔志狼を襲い、意識が遠のく。
薄れゆく意識の中、柔志狼が合掌を捻ると、挟み込んだ脊柱が砕けた。
躊躇なくそれを捨てると、天羽が掴みかかる。
それが柔志狼の意識を繋ぎとめた。
脚を踏ん張り天羽と殴り合う。
血と肉が弾け、互いの氣が火花を散らす。
柔志狼の間合いであるこの距離で、天羽が力押す。それは
どろりとした汗が柔志狼の全身を濡らすと、氣が揺らいでいく。ルプスと戦い、沖田に傷を負わされた柔志狼の身体は、既に限界を超えていた。
最後に残った力を振り絞る柔志狼に対し、無尽蔵に溢れる力を受ける天羽に疲れなどない。
それだけではない。取り込んだ瘴気が天羽の肉を押し上げ傷を即座に塞ぎ、その度に肉の両が増していく。今や天羽の体躯は、柔志狼のそれを凌駕していた。
禍々しい瘴気を纏う天羽の掌が、柔志狼の顔面を鷲掴みした。
咄嗟に、天羽の首筋に刺さったままの苦無を掴むと、一気に引き裂いた。
一瞬。緩んだ掌を柔志狼が弾き上げるのと、天羽の掌から高密度の瘴気が放たれたのは同時だった。
こんなものを喰らえばただでは済まない。天羽のどてっ腹を蹴り飛ばし、柔志狼が距離をとる。
が、大きく喘ぐ。限界が近い。
「まだだ!」
柔志狼が吼えた。倒れる天羽に向かい跳んだ。
拳を握りしめ、拳鎚を振り下ろす。
天羽の額を打つ拳が、岩を打ち付けたような鈍い音を響かせる。
もう一度――と、拳を振り上げた瞬間――天羽の両の爪が、柔志狼の腕をがっしりと掴んだ。
「ぐぅあぁぁ!」
柔志狼の腕から、肉の焦げた匂いと白煙が立ち上る。
天羽の両手が灼熱に赤化し、掴んだ柔志狼の腕の肉を焼き焦がす。
天羽が立ち上がる。
「ちぇぃ!」
気合一閃――――掴まれた腕を芯とし、柔志狼が転身する。
天羽の身体を床に叩きつけると、強引に腕を引き抜く。
傷からは燻ったような匂いが立ち上った。
「化物め」
ぴくり――と、右の指先は反応する。
だが、拳を握るほどの力は入らない。この場においては、右腕は死んだも同じだ。
己の脇から折れた肋骨を握ると、天羽は顔色一つ変えずそれを引き抜いた。そこに赤黒い靄が纏わりついていく。
「人の身に余る、禁断の果実――」
うんざり――とばかりに、柔志狼は頬を引きつらせた。
赤黒い瘴気の纏わりついた肋骨は、柔志狼の見ている前で長く鋭く姿を変えていく。
それはまるで歪な斬馬刀――天羽の肋骨は巨大な魔剣となり、禍々しい妖気を発する。
柔志狼は覚悟を決めた。
細く息を吐く。眼を薄く閉じ、肩を落とす。
だらりと、両の手を無造作に投げ出した。
その姿は、まるで諦め憔悴しきったかのようである。
だがそうではない。
丹田が落ち、どっしりと身体が緩む。
「来いよ――」
まるで大地に根を張る大樹のように、柔志狼はそこに在った。
天羽が魔剣を一振りすると、周囲にいる屍人たちが吹き飛ばされた。
くかか――と、笑むその顔は、すでに天羽のそれではない。
造作こそ、美麗であった天羽四郎衛門だが、金色に染まるその面相は、野卑で残忍な戦場で生きる戦人の顔だ。
切っ先で床石を削りながら、天羽が奔った。
次の瞬間、大上段に振りかぶった魔剣が唸りを上げる。
真っ向唐竹割りとばかりに、柔志狼の頭頂に振り下ろされた。
その刹那――
喝っ――と、柔志狼が眼を開いた。
柳の枝のようなしなやかさで、左の手刀が風を斬る。
電光の疾さで魔剣の鎬を弾き――柔志狼が沈み込むように踏み込んだ。
返す掌打が、天羽の顔面を打つ。
だが天羽の瞳が金色に輝き、不可視の衝撃波が放たれた。
膝をつく天羽。
耐える柔志狼。
再び対峙する二人。
先に動いたのは柔志狼だった。
無手と剣では、剣に打ち込ませての『後の先』からの返しが定石。
しかし『先の先』――柔志狼が先に動いた。
落葉――
枝に一枚残った葉が、枝から離れる刹那のような柔志狼の初動は、天羽の眼には神速の如く映ったことだろう。
ふわりと、懐に踏み込んだ柔志狼に対して、天羽は魔剣を上段に構えたまま、反応出来なかった。
そこへ全体重を乗せ鉄塊と化した柔志狼の肘が、天羽の鳩尾を打つ。
肋骨をへし折り、内臓を突き破る絶命の一撃だ。
刹那。
柔志狼の背筋を、冷たい殺気の刃が貫いた。
天羽が狒々のように顔を歪め、柔志狼を見降ろした。
全身が総毛立ち、柔志狼の全細胞が最大級の警鐘を打ち鳴らす。
天羽の魔剣が、奈落に吸い込まれるように振り下ろされた。
柔志狼は本能に抗い、さらに踏み込む。
間合いのずれた魔剣の柄が、柔志狼の肩を打つ。
杭を打ち込まれたかのような衝撃に息が詰り、柔志狼の膝が落ちる。
だが、天羽の胸倉を掴み、柔志狼が踏ん張る。
「Kうrrrrrわmmm!」
奇声を発した天羽の周囲の密度が増し――
直後――爆発的に膨れ上がった。
柔志狼の身体が宙に浮く。
足場を失い、なす術のない柔志狼の腹に、魔剣が突き込まれた。
「ぶぬっ」
天羽が剣先を捩じると、柔志狼の口から大量の血が噴き出した。
腐臭漂う瘴気が毒のように染みだし、柔志狼の身体を蝕む。
「……て、手前ぇ――」
抉るようにねじ込まれる刀身を、柔志狼が握り止める。
流れ出す血と共に柔志狼の氣が抜けていく。
天羽より噴き出す瘴気が、柔志狼の氣を蝕んでいく。
留めとばかりに、魔剣を押しこもうとしたその時だった。
両者の間に、透きとおった涼風が吹き抜けた。
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