第18話 権謀術数
お呼びですか――と、障子の向こうに人の気配があった。
用があるから呼んだ――とは口に出さず、土方は「入れ」と短く応えた。
音もなく障子が開くと、色黒の男が静かに入ってきた。
「急ぎとのことですが、なんでっしゃろ」
上方訛りの男は、いかにも一癖ありそうに微笑んだ。
「頼みたいことがある」
「頼みでっか。さて何でっしゃろ」
嬉々とした笑みを貼りつかせたまま、男――山崎烝がにじりよる。
山崎は大阪の薬種問屋の出身であるという。夏の初めごろ、ある事件が切っ掛けで土方と知りあった。京の暮らしが長く町衆の事情に詳しいことから、土方の情報屋のようなことをしていた。裏社会にまで精通した情報網の深さに加え、時にえげつないまで隙のない仕事ぶりを気にいり、芹沢一派の粛清後に、土方が新撰組に引き込んだのだ。
「大方、蔵の中の荷物をどうにかせぇ――ちゅうところですかな」
「相変わらず察しが良すぎるな」
その愛想の良い顔に、土方が薄く嗤う。
「そないに褒めんといてください」
山崎が嬉しそうに頭をかいた。
「せやけど、ええんですか。局長は兎も角、山南はんは納得せぇへんのとちゃいます?」
構わん――と、土方が言いはなつ。
「あんな奴、まともに取り調べる価値もない」
「ほなら、そのまま放免にしてやったほうが楽なんとちゃいます?」
「いいか山崎。この世にはな、神も仏もありゃしねぇのさ。まして
「そうでっしゃろか。土方はんら、お江戸の方はどうか知らんけど、京に住んでると結構身近に感じるもんでっせ。現に貴船はんの辺りに行けば、藁人形に五寸釘刺すような輩は仰山おりますで」
むう――と、腕を組み、山崎が首を傾げる。
「馬鹿か。呪いなんぞで人が殺せるなら、武士なんざ最初から商売上がったりだ」
吐き捨てると、土方が鼻を鳴らす。
「だがな、山南の野郎はそうじゃねぇ。奴はそういった情のようなものを殊の外に重んじる」
「確かに山南はんはそういうところ、ありまんな」
山崎が大きく頷いた。
「野郎は、どこか俺たちと違うのさ」
お前も含めてな――と、山崎を睨みつけた。
「違いまっか」
まぁ違いますな――と、山崎は噛みしめるように呟いた。
「あの方からは、錆び臭い血の匂いがしまへん」
「どういうことだ」
「なんでっしゃろな。あの方とて、斬った数は一人や二人やあらしまへんやろ。せやけど、土方はんや局長なんぞと違い、山南はんからはそれが感じられまへんのや」
「俺らは匂うか」
匂いますな――と、山崎がいった。
「わっちも含めて、酷くどぶ臭い」
くくくっ――と、肩を揺らして笑う。
「総司のやつはどうだ? 臭いのか」
「沖田はんでっか? あの方は――」
まだ乳臭い――と、山崎は苦笑した。
「そうか」
そうかもな――と、土方が口元を歪めた。
「まぁ良いさ。俺らと奴、たとえ済む世界が違おうとも呉越同舟、一蓮托生。この
だがな――と、言いかけて、土方は首を振った。このように言い澱む土方は珍しい。少なくとも、山崎は見たことがなかった。
「なんであれ奴は、近藤さんの片腕であることは間違いない」
「それはつまり、山南はんの顔を立てるために逃がせ言うんですな」
無言の一瞥が、土方の答えだった。
「けんど、泳がして後の
「本当にお前は察しが良すぎる」
おおきに――と、山崎が頭を下げた。
「だがな、その先はお前には関係ない」
突き放すような口ぶりに、山崎は口をつぐんだ。
「で、いつ仕掛ければええんで」
「山南は夕刻前に出かけるそうだ。ちょうど近藤さんも居ないことだ。そこで仕掛けろ」
「あと一刻程やないですか」
「出来ぬのか」
「いいえ」
山崎が嗤った。
「で、誰に被せますのや」
「住之江に被せろ」
「久慈はんと同室だった?」
「そうだ。ちょうど今、蔵の見張りを言い渡してある。久慈が伏見丹に手を出していたことを、奴は知っていたんだろ」
「怖いお人や」
承知しました――と、山崎が立ち上がった。
「おい。それもそうだが、その伏見丹の方はどうした」
部屋を出て行こうとする山崎を、土方が引きとめた。
「そちらの方やったら、もう暫しお持ちを。もしかしたら、根っこの方を掴めそうなんですわ」
振り向いた山崎の口元に、自信ありげな笑みが浮かんでいた。
「ぬかるなよ」
承知――と応じ、山崎は部屋を後にした。
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