第7話 鉄面歓

 とっぷりと陽が暮れると、途端に冷気がしみ込んでくる。


 日中であれば、温かな日差しの温もりを感じられようものだが、夜はしんしんと冷えてくるのも無理はない。

 京の寒さは、武州多摩の寒さよりも身に染みる。

 土方歳三が筆をおき、己の手を擦るのは無意識だった。


「どうにもな……」


 艶気のある端正な顔を歪ませ、土方がらしからぬ溜息を吐いた。

 柳のような切れ長の瞳は、どこかの看板役者といっても疑われはすまい。密かに羨望の眼差しを送る町娘も少なくない。

 だが、巧みなノミ捌きで仏師が削り出したような、繊細な顔の造作の中に、抜身の刃のような怖さが滲んでいる。それが容易く人を寄せることを拒んでいる。 

 射抜くような瞳で机の上の短冊を眺めるも、湧き出るのは句でなく溜息ばかりであった。

 影で『鬼の副長』と呼ばれるこの男が他人の前で、このような姿を見せることなど、先ずない。


 そんな時――障子の向こうに人の気配があった。

 廊下を歩く足音も無く突然、障子の向こうに岩のような重い気配が出現した。

 土方に気配を覚らせず部屋の前まで現れる――そのような芸当の出来る者は、新撰組の中でも数えるほどしかいない。


「入るぞ」


 太く明瞭な声の主が、返事も待たず部屋に入ってきた。

 岩のような量感のおとこが部屋に入ると、十二畳ある部屋が途端に窮屈に感じられた。

 土方が筆を取ろうとした手を止め、机の上の短冊を裏返した。


「悪いな。邪魔するぞ」


 一瞬――机の上に視線をやり、土方の前に腰を降ろした。


「局長、ご苦労様でした」


 土方が慇懃に頭を下げた。

 近藤勇はとりたて身体が大きいわけでは無い。

 だが肩幅が広く胸板が厚い。首が太く腕が太く脚も太い。あえて言えば土方とは対照的に大味なのである。

 しかし、逞しくえらの張ったその顔には、土方とは対照的に、人を惹きつける滋味のようなものが自然と備わっている。


「おいおい歳よ、他人行儀なのは止めてくれ。ふたりっきりなんだ――」


 尻の座りが悪くて仕方がない――と、太い眉をしかめて近藤が苦笑する。


「いや、けじめはけじめだ。そうはいかねぇよ」


 土方は背筋を正した。


「いいかい近藤さん。前にも言ったがな、これからはあんたが局長として、この新撰組をまとめていかなきゃならねんだ。そこはきっちりと線を引かなきゃいかない」

「歳……」

「芹沢鴨って腐った瘤は削り落としたんだ。ようやく俺たちの時代が来たんだ。ここでしっかりと締めておかないと、新撰組がまとまらねぇ」


 ようやく一枚岩になったんだ――との言葉を、土方は言葉を飲み込んだ。


「歳よ、お前さんの言うことはもっともだ。だがな、そんなんだから、お前は『鬼の副長』だなど言われるんだぜ」


 近藤が困ったように太い顔をしかめる。


「鬼?良いじゃねぇか結構な事だ。近藤さん、あんたはこの新撰組の顔だ。大将として常に真ん中でどっしりと構えていなきゃいけねぇ」


 憎まれ役は俺の仕事だ――と、土方が嗤う。


「ふぅ……」


 近藤が溜めていた息を吐く。


「もうひとりの副長が『仏』なんだ。ちょうどいいじゃねぇか」


 土方が口の端を歪める。


「近藤さんは仁と義と徳で隊をまとめる。俺はその前で鬼の形相で睨みを利かせて隊を律する」

「山南さんは?」

やまなみは念仏でも唱えてりゃいいさ」


 皮肉気に嗤う。


「担いだ神輿は、誰もが仰ぎ見るようじゃなきゃいけねぇんだよ。近藤さんいい加減腹を据えてくれ」


 鋭い眼光が、近藤を射る。


「わかった、わかったよ。だがせめて二人の時はあまり畏まらんでくれ」


 溜息と共に苦笑を洩らす近藤に、土方は自嘲めいた笑みで応えた。


「――で、黒谷の方はどうだったんだい」


 近藤の言葉で気が緩んだのか、土方の口調が戻りつつある。


「ここのところ連日の呼び出しじゃねぇかい。いっそのこと、黒谷に俺らの屯所でも作ってくれればいいのにな」


 黒谷とは、京都守護職本陣のある金戒光明寺のことである。

 ここのところ近藤は、連日の呼び出しにより黒谷に日参している。


「皮肉を言うな歳よ」


 何故か困ったような顔をして、近藤が首を掻く。


「尊攘派は京より一掃されたとはいえ、それはあくまでも表向きの事。裏に潜ってしまったが故に、その行動が過激になることを、容保公は何よりも懸念しておられるのだ」


 黒船来航に端を発した国内情勢の乱れは、幕府の権威を失墜させた。それに代わり、朝廷の威光を頂こうと、諸国から憂国の志をもつ者たちが続々と京へと集い始めた。

 長州、薩摩などを始めとする雄藩たちが朝廷を抱きこみ、強烈に政治活動を続ける中、反対する勢力に対し『天誅』と称する粛清暗殺も頻発した。


 また同時に『尊皇』を大義名分にした、不逞浪士による商家への押し込みも横行。結果、京の都は血と怨嗟の渦巻く混沌とした様相を呈していた。最早その治安の乱れは、京都所司代や京都町奉行だけで治められるものではなかった。


 文久二年、悪化の一途をたどる京の治安に対し、江戸幕府により新たに設けられたのが『京都守護職』である。

 その京都守護職に就任したのが、会津藩主である松平容保である。

 現在、近藤たち新撰組は、京の治安維持に務め、日々奔走している。だがそれは京都守護職の配下というわけではない。新撰組の身分はあくまでも『京都守護職お預かり』言うなれば、容保お抱えの私兵と言った方が良いかもしれない。


「何が尊皇攘夷だ。口先だけのこそこそ地べた這いまわるドブ鼠め」


 土方が舌を鳴らす。

 夷狄を打ち払うべし――つまり諸外国を打ち払うべきと主張するのが、攘夷派である。諸外国に対して及び腰である幕府を見限り、天皇を尊べきという主張と結びついたのがいわゆる『尊皇攘夷派』である。


「地下に潜った長州もそうだが、土佐勤王党の残党。どうやらこちらに対しても、会津公は頭を痛めているご様子」


 尊皇攘夷の中心的存在であったのが長州藩。そして土佐藩の中で長州と歩調を合わせ、尊皇攘夷の最右翼として活動していたのが土佐勤王党である。だが、八月に起きた政変により長州藩は京を追われ、また土佐勤王党に至っては藩により粛清が進んでいた。


「奴らは国許から見捨てられた連中だ。長州と違い帰る場所の無い奴ら、何をしでかすか皆目見当がつかん」

「だがすでに、党首である武市は国許へ送還されている。主だった党員たちも腹を切らされたんだろ。正真用命の野良犬と化した連中に、今更なんの力があるってんだ」

「ならば歳よ。昨夜の件はどう見る?」


 近藤の言葉に、土方が舌を打つ。


「ありゃイタチの最後っ屁みたいなもんだろ。せめてもの見せしめにと、大仰に演出した意趣返しだろ」


 ふん――と、土方が鼻を鳴らす。


「誤魔化すな。分かっているくせに」

「何をだよ」


 思わず、土方が視線を逸らす。


「武市の代わりだよ」

「……サカモトか」

「あぁ」


 武市に代り、土佐勤王党をまとめていると言われている男である。


「だが何であれ、行き場の無い連中が身を寄せるところなど一つしかあるまい」

「――長藩長州


 その言葉に近藤が頷いた。


「だが長州とて、都を追われた今となっては、そう容易く連中を向かい入れるほど、甘くはあるまい」

「なら――」

「なにか手土産の一つでもなければ、長州とて受け入れてはくれぬだろう」

「それが昨夜の一件か?随分とお粗末なもんだな――」


 近藤の真っ直ぐな視線を、土方は嫌った。


「あれは違うな。歳よ――」


 お前もそう思っているんだろ――と、近藤が口角を持ち上げた。


「何を探らせている?」


 土方がなにやら探らせていることは知っている。


「近藤さん。あんたには適わねぇや」


 土方が嗤った。


「もう少し探らせてから話そうと思ってたんだが――」


 そう言って、懐から小さな紙包みを取り出した。


「伏見――丹?」


 それを手にした近藤が、首を傾げた。


「巷で流行ってる与太話、知らないかい」


 近藤が首を振る。


「滋養強壮に良し。万病に効し。子供の夜泣き疳の虫。夜の女房泣かすに尚好し。万病を退け、恐れを散じ心穏やか。山の大神の験力を巫女が捏ねし摩訶不思議なるこの一丸――」

「なんだそりゃ?石田散薬の売り口上か?」


 多摩にいるころ、生家の家伝薬である石田散薬の行商をしていた土方の口上は、流石だった。


「――時に獣の如く猛々しく、時に御仏の如く穏やに。老若男女問わず、極楽浄土の面持ちにて、心に御仏を宿せしば、死をも遠ざけし不死の妙薬。故にこれを不死身丹と称せし」

「不死身だと?」


 近藤が眉をしかめる。


「その伏見丹ふしみたんの売り口上だよ」

「それでこの伏見丹が、どうかしたのか?」

「その妙な丸薬が近頃、伏見辺りから出回っているらしい」

「こんなものが?」


 紙の包みを指でつまみ、近藤が首を傾げる。


「何に効くのか良く分からんが、少なくとも心を落ち着けるだの、滋養強壮だのといった話はあるらしい。ただ――」

「ただ、なんだ?」

「どうも、かなりの依存性があるらしい」


 土方の声が固くなる。


「阿片みたいなものか?」


 近藤の声にも怖いものが浮かぶ。

 隣国の清が、エゲレスより持ち込まれた阿片により傾いた事は、近藤たちとて耳にしている。


「詳しいことは今調べさせている最中だが……」


 珍しく土方が言い澱む。


「どうした。らしくないな」

「死んだ久慈の懐から出てきた」

「久慈の?」


 そうか――と、近藤が口を結んだ。


「こいつが、久慈の異常な行動と関係があるのかは分からねぇ。だがな、あの野郎が常用していたとなれば、こいつは由々しき問題だ」

「黒谷の言っていたのはこの事かも知れんな」

「なんだい?」


 今度は土方が聞き返す。


「最近、黒谷の本陣に日参している件だが」


 と、言葉を潜めた。


「土佐勤王党の残党に――なんというか、どうも妙な金の流れが有るらしい」


 近藤が言葉を選ぶ。


「見廻組がなにやら掴んだらしいのだが――」


 京都見廻組は、幕臣により結成された治安維持組織である。


「見回り組だと」


 土方のこめかみに、青筋が浮かぶ。

 新選組とは違い、見回り組はれっきとした京都守護職の配下である。


「地下に潜伏している不逞浪士たちに妙な金が流れているらしいのだ」

「伏見丹の出所が、土佐勤王党の残党だと?」

「分からんが、探ってみる必要があるかもしれんな」

「それならば尚更の事。新撰組の人間がそんなモノに手を出していたとすれば、余計に問題だ。いま一度、隊の規律を正す必要もあるかもしれねぇな」


 切れ長の眼尻が吊り上ると、土方の凄みがより一層増す。


「これでは容保公の心労も募るばかりだ……」


 近藤が深いため息を吐く。


「良くないのかい?」


 京都守護職の大任を受けた容保は、重責による疲労の性か、体調が芳しくない。そこに加えて多忙なる京での日々は、回復の余裕すら与えてはくれない。

 見兼ねた孝明天皇により、御所の西にある施楽院を仮の住居として与えられたが現在は黒谷に戻り、激務を続けている。

 だが心労が重なり再び病がちな容保に対し、再び施楽院へ戻るようにとの話が出ているのである。


「今の京の政情は、容保公の双肩に掛かっているのも同然。忠義に熱くどこまでも実直なあのお方のこと――おちおち気を休める間もないのであろう」


 じっ――と、眼を閉じ、近藤が頷いた。


「大恩ある容保公の御為にも、これ以上の混乱は未然に防がねばならん」

「そうだな」


 眼尻に、うっすらと涙を滲ませる近藤を、土方は誇らしく思った。


「伏見丹の一件と、残党の絡みは俺に任せてくれ」


 引き続き探らせるよ――と、土方が言った。


「頼む」


 そう言って、近藤が力強く頷いた。


「だが山南さんの意見も聞かねばならんな」


 呼んで来よう――と、近藤が腰を浮かしかけると、


「局長が軽々しく動くなよ」


 と、土方がぴしゃりと言い放つ。


「気にするな、歳よ」


 それを気にする風もなく、近藤が太い笑みを浮かべる。


「そう言う問題じゃねぇよ。それに、山南さんならいないぜ」


 呆れたように、土方が顔を背ける。


「総司の野郎と、祇園に行った」

「総司と?祇園?」


 そのあまりにも珍妙な取り合わせに、近藤が目を丸くする。


「そうか――総司が花街にねぇ――」


 先ほどまでの神妙な面持ちも忘れて、近藤は声を上げて笑いだした。


「笑い過ぎだぜ、近藤さん」


 そう言う土方の口元にも、はっきりと分かる笑みが浮かんでいる。

 あぁそうだ――と、ひとしきり笑った近藤が真顔になり、


「これはあまり公に出来ぬ件なのだが……」


 と、近藤が言い澱む。


「なんだい。らしくねぇな」


 土方が眉を上げる。


「……京に異国の人間が滞在しているらしい」

「なんだい、そんな事か。たかが異国の人間が――って、おい!」

「騒ぐな歳よ」

「って、たって近藤さん……」


 土方が騒ぐのも無理はない。

 諸外国との条約により、外国人が居留できるのは基本的に、開港した函館・横濱・長崎・神戸に限られている。さらに、自由に移動できるのも居留地より一〇里四方であり、それ以外は基本的に認められていなかった。

 まして京へ入洛するなど、有り得た話ではない。


「話は最後まで聞け――」


 土方を宥め、近藤が言うには――


「異国の人間と言っても、そもそもは日本人であるらしい」

「さっぱり意味が分からねぇ」

「十数年前に、鯨漁に出ていた時に遭難したところを、外国の船に救われ、そのまま異国で生活をしていたらしい」

「それなら対して問題はないだろう。幕府に召し抱えられた中濱某みてぇなもんだろ」


 中濱万次郎――土佐の漁師であり、鯨漁の最中に遭難し、アメリカの船に助けられ数年をアメリカで過ごす。十年ほど前に帰国し、現在は旗本の身分を与えられ、幕府に仕えている。


「向こうで商売が成功してな、凱旋帰国のつもりなんだろうよ」


 日本でも商売がしたいのだろ――と、近藤の言葉には珍しく険が有る。


「なるほど。そいつはドブ攘夷派たちを焚きつけるようなもんだな」


 なにより――と、近藤が顔をしかめ


「連れの者――従者が異国の人間だそうだ」


 苦いものを吐き出すように言った。


「――それを、お上は許したのかい?」

「この件に関しては、会津公も苦言を呈したようだが――」


 幕府にしてみれば、その男を懐柔しておけば役に立つと算盤を弾いたのであろう。

 溜息と混じりに近藤は首を振った。


「鉄火場を知らねぇ奴らがよ、熾火に油ぶっかけるみてぇな真似しやがって」


 ちっ――と、土方が舌を打つ。


「今は所司代の方々がついているらしいが、我らにも備えるようにとのことだ」


 近藤は諦めたように自嘲する。


「そうでもないぜ」


 真剣な眼差しで、土方が呟く。


「考えてもみろよ。潜伏中の馬鹿攘夷派が騒ぎを起こしゃ、俺たちの出番も増えるってもんだぜ」

「おい、歳――」

「そうすりゃ、手柄も立て放題。新撰組の名も大きく轟く――なぁ近藤さん、こいつは存外、悪い話じゃ無ぇぜ」


 端正な土方の口元に、下卑た笑みがこびり付いていた


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