第48話 正邪言霊
静まり返った地下聖堂に、天羽の澄んだ声が響く。
「――神は自らの御姿に似せ、人を創造された。なぜだと思います?」
酷く優しい声で、天羽が問うた。
「神自身の身の内に溜まった、膿の如き負の想念――これを下請けする、いわば肥溜めの如き存在であるには、自らの御姿に酷似させて作るのが良かったのでしょう」
それは山南に答えを求めての言葉ではない。
「自らの醜い部分を切り捨て、神自身が完璧で清廉潔白な存在である為に作り出された存在――それこそが人間」
諭すように語りかける天羽の声は、まさに時の幕府を震撼させた『天草の乱』の主謀たる神の子といえよう。
「人は神を求める。ですが、神もまた人を求めているということです」
「神が人を求めている?」
その語り口に、思わず山南も引き込まれていく。
「そう、神もまた人を欲する。それ故に、この世に使わすのですよ『神の子』なる存在を」
「神の――子」
「かつて、
含むように天羽が嗤う。
「ただ、真偽はどうであれ確かな事は、
己に酔いしれるように、天羽は続ける。
「――ある者は宗教者として理念を追求し、ある者は主の言葉を広め強固な組織と教義を生み出した。そしてまたある者は、ただ純粋に奇跡を追い求めた――」
「貴方もその一人というわけですか」
「
錬丹法――古代中国において、人が仙人になり、永遠を生きる術を模索した技術体系である。
「非金属を黄金に錬成するなどと俗物は言いますがね、そのようなものは過程で生じる副産物。錬金術の真の目的は――」
「――不老不死といいたいのですか」
「不老不死? 確かにそのような一面も含むのでしょう。ですが錬金術の徒が目指したのはその更に先――」
「その先?」
「錬金の徒の究極の目的――それは神の力を我が手にし、世界そのものを織り直すこと」
「世界を――織り直す」
そうです――と、天羽が頷いた。
「この世界を創造したのが神であるならば、黄金も生命も全ては神が与えた
神の御力なり――と、両手を広げ、芝居掛かったように天羽が頭を垂れた。
「そのような事――」
出来るわけがない――そう思いながらも、山南の中に拭いきれない疑念が浮かぶ。
「可能なのですよ。『
「らぴすさぴえんす?」
「
賢者の石――と、紅い唇が嗤った。
「この世で唯一、神の御力の全てを授かりこの世に産まれた唯一の存在。その尊き方が自らの死に際に、力の全てを注ぎ込んだ聖なる器――」
静まり返る地下聖堂に、天羽の声だけが澄んだ水のごとく響く。
「我らが神の御子ゼス・キリヒトの授かった神の力を、余すことなく蓄えた神の器。それこそが真理の塊たる賢者の石」
そうだったのか――山南の全身の皮膚が粟立った。
「ようやく理解できましたか」
「聖月杯とは、主であるゼスの――」
その時だった。
枯れ井戸に繋がる全ての天窓に、にわかに異変が生じた。
白々と淡い光の射しこんでいたそこから、猛烈な瘴気が湧き始めたのだ。
そのあまりの凄まじさに、ぬるりとした汗が山南の背筋を流れる。
「喋りはここまでのようですね」
酷く冷静な天羽の声に、山南は我に返った。
「最後の儀式が始まります」
紅い唇が、つい――と、吊り上る。
「間もなく、この聖堂は人の
神の聖誕です――と、天羽が天を仰いだ。
眼前で、天窓より振りそそぐそれは、『荼毘手の六芒星』により集められた人々の妄執。人の持つ原罪により生じた、濁り穢れし霊気。
それが汚濁のように凝り、聖堂の中に降り注いでくる。
「刻は満ちました。これより聖誕祭を執り行います!」
天羽が高らかに叫んだ。
草摩殿――その声に、入り口に控えていた草摩が壁の一部を押すと、地下聖堂が鳴動を始めた。
その振動に、弓月が苦しそうに身をよじらせる。同時に、足元にある祭壇の一部が動き、奥から装飾の施された金色の
「弓月さん! 」
すると今度は、弓月の寝かされている祭壇がおもむろに起き上がりはじめた。
弓月は項垂れ、瞼を閉じたままだ。
だが――
「……あっふ――」
苦しそうに眉根を寄せ、白い裸体を悶えさせる。
その度に、首から掛けられた銀色の
「天羽! 貴様、弓月さんに何をした! 」
未だ自由にならぬ我が身の歯痒さゆえか、山南が激昂する。
「今宵、主は再び『マグダラのマリア』の御身より、この世に産まれ出ずる」
静かな声で、天羽が言った。
「山南啓助。ゼスの教えも知らぬ異教徒の貴方が、新たな神の御子の誕生の瞬間に立ち会うことが出来るのです。光栄に思いなさい」
山南に視線をやり、続けて天羽は、弓月の身体に視線を這わせた。
髷が解かれた乱れた髪が、一糸まとわぬ白い身体に絡みつく。双丘の蕾は固く尖り、白い太股は切なそうに擦り合わされる。
はふっ――と、血塗られた様な唇から吐息が漏れた。
背徳的な淫靡さと妖絶さを漂わせ、意識の無い弓月が空中で身悶える。
その姿は、山南の血の温度を上げさせた。
「――益田四郎ぉぉ!」
ぎりと奥歯を軋らせ、山南が感情を露わにする。
「貴方でも、そのような顔をするのですね」
山南の放つ殺気を涼風のように受け、天羽が唇を吊り上げる。
「その
「この京の都は遥か千年の昔から、血と怨嗟を奏でながら呪術によって構築された、世界でも稀有な呪術王城。そこへ天誅などと称して、新たな血と怨嗟をぶちまけたのです。罪と欲望の坩堝と化したこの
「やめろと言っているんだ!」
山南の言葉になど耳を傾けず、天羽は続ける。
「侍どもが好き勝手に殺し合うことなど、
「くっ……」
山南の眉間に皺が浮かぶ。
「恐れ
救い――と、天羽は呟いた。
「不安に押し潰されそうになり千々に乱れる心に、一服の安らぎをもたらしてくれる存在への渇望。弱き心に彷徨う盲目の子羊たちの、救われんと欲する願いこそが、主の復活への祝福の鐘」
「そのような戯言で、貴様の所業が正当化できるとでも思っているのか」
「見解の相違です。たとえ幕府であろうが、長州、土佐、薩摩――佐幕勤王などとそれぞれが勝手な大義を掲げ、それを
山南敬助――と、天羽の声が酷く優しく響いた。
「組織の実権を握り、己らの
「ぐっ」
まるで古傷を抉られたように、山南の顔が歪んだ。
「神の復活に見合う代償とすれば、これしきの些末な生贄など――」
天羽がほくそ笑む。
「――黙れ!」
苦々しい記憶を揺さぶられ、山南は声を荒げた。
「貴様に何が分かるのだ!」
激しい怒りに、山南が全身を震わせる。だがそれでも、山南の四肢には自由が戻らない。
「いくら吠えてみたところで、貴方にはなす術がない。そこで大人しく見ていてもらいましょうか」
突如。まるで天羽の言葉を合図としたかのように、天窓に影が生じた。
ぼとり――と、泥をひりだすように、一抱えもある黒い瘴気の塊が零れた。
床に叩きつけられたそれは湿った音をたてると、もぞりと動いた。
それは一つではなかった。
十ある天窓から次々に、黒い塊が落ちてくる。
「こ、これは……」
黒い塊は、石床に落ちると、
うるぅぅぁぁぁ――
きひゅゃぁ――
くひひゅ――
身をよじらせながら、
「――ひ、人ではないか」
声が震えた。
天窓から次々と落下してくるそれは、紛れもなく人間。老若男女問わず狂ったような雄叫びを上げ、人々が次々と落ちてくる。
それは土方たちの前から姿を消した、伏見丹に侵された群衆であった。
「天羽! 貴様何をした!」
山南の叫びが虚しく響く。
「迷える罪深き子羊が救いを求め、神の聖誕に立ち会わんと馳せ参じたのでしょう」
「よくもそのような事が言えたな!」
「人は愚かにも、安易に救いを求めたがるもの。まさに飛ぶように売れましたよ」
天羽が懐から取り出した袋には『伏見丹』の文字があった。
「まさか、まさか伏見丹とはこの為に」
「愚かな人々の欲望と、救いを求める祈りがなければ、神は甦りませんからね」
天窓より落ちてくる人々は、荼毘手の六芒星の結界内にいた伏見丹に侵された人々。術式により薬の呪が活性化され、この地下聖堂へ吸い寄せられるように落ちてきているのだ。
「御覧なさい」
ゴミ屑のように落ちてきた人の上に、さらに人が落ちてくる。だが、伏見丹の呪力により活性化された身体は、六丈以上の高さから落ちても死ななかった。
あるものは太股が折れ。またあるものは腰を砕き。そしてあるものは、頭蓋の鉢を割り。それでも何かにすがろうと、祭壇の上に磔られた弓月を目指して這い寄っていく。
「貴様ぁ!」
未だ動かぬ身体を震わせ、山南が怒りに吠えた。
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