第54話 淫魔巴


 弓月に組みつこうとした瞬間、強烈な衝撃が柔志狼を襲った。


 先に天羽に止めを刺したいが、弓月高台院がそれを許さない。


 ならば――と、先に弓月を押さえようと飛び込んだ時、柔志狼の腹に向かって焙烙玉が弾けたような衝撃が襲ったのだ。


 先程、山南に向けられた衝撃波である。

 だがそれとは威力が桁違いだった。それだけ高台院の支配力が増し、弓月の肉体に流れ込む霊力が強いということだろう。


「手加減なしかよ」


 吹き飛ばされそうになるのを、めくれ上がった石床を掴み耐えた。だが、血の混じった胃液を吐き出し、がっくりと膝を着く。

 山南に啖呵は切ったものの、これでは弓月を傷つけずに取り押さえることは容易ではない。


「それにしてもよ……」


 熟れた百合の花のような濃密な色香を放つ弓月に、柔志狼に好色な笑みが浮かぶ。

 だが、直ぐに首を振る。


 「似あわねぇなぁ」


 と、眼を細めた。


 紅く輝く瞳を吊り上げ、まるで鬼女のような有様で牙を剥く弓月に、柔志狼は憐憫の情を覚えざるを得ない。

 だがそれも刹那のこと。柔志狼は跳ねるように床を蹴った。

 みしみし――と、白い柔肌を軋ませ弓月が両手を突き出すと、不可視の衝撃波が再び柔志狼を襲う。


「吩っ!」


 仄かな光を帯びた柔志狼の掌が、見えないそれを正面から叩いた。

 金属の裂けるような音が響き、空気が割れる。

 を込めた掌で、弓月の放つ霊力の塊を叩いたのだ。

 霊力の余波が無数の硝子質となって肌を裂くが、柔志狼は構わず走った。


 じゃぁぁ――


 それに対し、妖蛇のごとく舌を伸ばし、弓月高台院が顎を噛み鳴らし威嚇する。


 このままでは弓月の身体が保たない。

 あまりにも膨大な霊力が流れ込み、弓月の身体が悲鳴を上げている。


「手荒いが許せよ――」


 氣を込めた右掌を下腹部丹田に、左掌を眉間印堂に向け突き出す。

 だが、その掌が寸前で止まった。


「なにぃ」


 弓月の背後から伸びる爪が、柔志狼の腕を掴んだのだ。


「かつらぎぃぃぃぃ――」


 金色に輝く面相を醜く歪ませた天羽四郎衛門が、弓月の背後に立っていた。

 ちょうど弓月を挟んで、柔志狼と天羽が向かい合う形だ。

 ぎりぎり――と、万力のような力で柔志狼の腕を締め上げてくる。


「――ぐぐっ」


 天羽に掴まれた腕から白い煙が上がり、肉の焦げる嫌な臭いが漂う。


「ちぃあ!」


 柔志狼はそのまま腕を留め置き、身を沈ませた。

 腕を捻るように交叉させると、天羽の身体が弓月を飛び越し床に首から叩きつけられた。

 柔志狼が腕を無理やり引き抜くと、掴まれていた部分が焼けたように爛れていた。


 くっ――と、震える指先を、柔志狼が睨みつける。天羽の呪力霊氣が、腕を蝕んでいるのだ。


 未だ天羽に向け、凄まじい量の霊気が流れ込んでいる。その力を受け、天羽が平然と立ち上がらんとする。


「化物め……」


 その頭を踏み潰そうと、柔志狼が足を上げかけたその時、


 がはぁ――


 背後から、何者かが柔志狼の首を締め上げた。いや、誰かは分かっている。

 弓月高台院だ。

 一瞬、身を沈め、天羽のように投げ落とそうと身体が反応する。

 だが柔志狼は動きを止めた。弓月を傷つけたくない。


 弓月の手を掴み、引き剥がそうと試みるが無理だった。そは今の弓月の力はルプスに匹敵するかもしれない。


 爪をたて、人間離れした力で、柔志狼の首を締め上げていく。

 それに抗い柔志狼が力を込めると、首に樹の根のような筋肉が盛り上がる。

 だがどちらにせよ、このままでは脳に血が回らなくなる。それに、天羽が今にも立ち上がろうとしている。


 どうする――と、眼の前が暗幕に閉じられようとしたその時だった。

 天窓から降り注ぐ霊気に変化が生じた。

 まるで蓋が閉じられようとしているのか。見る見るうちに霊気が細っていく。

 山南――と、視線を走らせれば、祭壇の前に凛と立つ山南の姿があった。


「――やりやがったな」


 柔志狼が嗤った。

 あの時――

 一条戻橋に山南が遅れて来た理由がこれである。

 荼毘手の六芒星の術式にとって、中心にあたるこの豊壺屋が重要な鍵であろうことは想像できた。ならばと、万が一に備え山南は一度この著壺屋に立ち寄り、外塀に符を貼り、呪を準備しておいたのだ。


 豊壺屋の周囲に結界を張り、荼毘手の六芒星の術式からの力を遮断する――山南の術が起動したのだ。

 僅かに、弓月の力が弱まった。


 好機とばかりに、柔志狼は獰猛な笑みを浮かべた。

 そして、弓月の腕を掴んだまま、柔志狼は走り出した。

 三間ほど走ると石床を踏み、柔志狼が急制動をかける。同時に身を振りかぶるように倒すと、弓月の身体だけが飛んでいく。


「――受け取れぇぇ」


 弓月の向かうその先には――山南がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る