第34話 鬼童笑


 どうなってやがるんだ――怒声ともに土方が障子を叩きつける。


 そのあまりの様子に、いつもの事とはいえど、その場にいた者が一斉に視線を向けた。

 だが怒り心頭の土方が、八つ当たりのようにひと睨みすると、全員が居住まいを正し、己の支度に勤しむ。


「そうカリカリしても、仕方がないだろう」


 少し離れていたところで、刀の目釘を確認している永倉が苦笑する。


「なんだと」


 怒気とも殺気ともつかぬ眼で、土方が睨んだ。


「近藤さんが了承したのだ。我らがとやかく言う問題ではない。それに、これが我らの――」


 御役目だ――と、鬼の面相を受け流す。このような時の土方に対し、平気で意見を言えるのは、江戸の時からの仲間――いわゆる『試衛館派』の連中くらいのものである。

 その中でも冷静に正論を吐く永倉と山南は、特に苦手意識があるようである。


「うるせぇ。そんな事ぁ分かってんだよ」


 到底、落ち着いたようには見えないが、少なくとも土方の口調からは殺気は消えていた。


「それにな、近藤さんじゃねぇだろ――」


 局長と言え――と、永倉に舌を打つ。


「お前等! とっとと準備を整えろ」


 その場にいた隊士らに激を飛ばすと、土方は再び部屋を後にした。


「全くどいつもこいつもよ」


 障子の向こうで聞こえた土方の呟きに、永倉も心中は同じ気持であった。


 松平容保の施楽院への転居が急遽、今夜行われることになった。

 本来であれば三日後の予定であった。無論、新撰組としても、それに合わせて動いていたのだ。


 だが、黒谷の本陣から急な使いが来てそのように命を受ければ、新撰組に否の返事などありはしない。

 変更になった理由などの仔細は聞かされていない。貴様らには知る必要も無いとばかりの態度はいつもの事である。


 だが噂によれば、容保の体調が思わしくない様である。それを思いはかった孝明天皇が一刻も早く、近くに来て静養するようにと言ったとも聞く。


 なんであれ、末端の末端である土方らに、不平不満を言う資格などない。

 だがそれでも、己らを軽んずるかのようなこの扱いに、納得などいくわけもない。


 鼻息も荒く、山南の部屋の前を通りかかった時だった。

 気配の無い山南の部屋の様子に、土方が舌を打つ。

 別行動を許したのは近藤と土方である。その癖この状況で山南がいないことも、己の苛立ちに拍車をかけていることに、土方は気が付いていない。


 ふん――と、鼻を鳴らし足音を荒げてその場を立ち去る。

 認めることなど無いであろうが、山南を誰よりも評価しているのは土方なのかもしれない。

 そしてもう一人――苛立ちの原因となっている者の部屋の前に、土方は立った。


「総司。出動られるのか」


 障子の向こうに返事は無い。

 柳眉を歪め、土方が溜息を吐く。

 灯りこそ消えているが、部屋の中に気配はある。


「おい総司。返事くらいしやがれ」


 返事を待たず、障子を開いた。

 すると、氷のような気配が土方の顔を叩いた――――気がした。


 薄暗い部屋の真ん中に、剣を抱いた黒い影が蹲っていた。


「総司……」


 その、らしからぬ異様な雰囲気に、さしもの土方が一瞬、気圧されする。


「いるのなら、返事くらいしやがれ!」


 それを気取られぬよう、語気が強くなる。


出動られますよ。もちろん」


 ゆらり――と、沖田が立ち上がった。


 体調が戻ってないのだろうか。力無い幽鬼のような姿に「休んでろ」と、土方が声を掛けようとしたときだった。


「今日は久しぶりに調子が良いんです」


 滑るような足取りで、沖田が近づいてきた。


「鬼でも仏でも斬れそうなくらいにね」


 そう言って微笑む沖田の瞳が、鈍くに光を発した。



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