第10話 魍魎宴


 それは唐突に起こった。


 肩にしな垂れかかる小菊の胸元に、高崎佐太郎たかさきさたろうがそっと手を忍ばせたときだった。

 びくん――と、小菊の身体が強張った。

 初めてでも無いのに、小菊はいつも初心うぶい反応をする。

 それが高崎には堪らない。


 生娘でもあるまいし――耳元で囁くと白い肌を耳まで紅く染め、毎度必ず恥ずかしそうに下をむく。

 そんな、いつまでも初心うぶい小菊の反応が堪らなく愛おしい。


「小菊――いやつよ」


 淡雪のように吸い付く肌をねぶり、高崎の指先が固い蕾に触れたときだった。


 あっ……と、小菊が吐息を洩らした。

 その声に、高崎の身の裡に熱いものがたぎる。

 自然と指先に力が籠った――その時。

 小菊の白い胸元に、黒い染みが広がった。


「んん?」


 興奮しすぎたか――と、高崎が自嘲した。

 だが。

 小菊の白い肌の上に、更にもうひとつの染みが生じた。


 じゅみぃ――


 黒い染みが鎌首をもたげ、啼いた。


「ひぃ!」


 小菊の口から悲鳴が上がった。

 もぞり――と、二つの染みが、小菊の胸の上で一つになり動いた。

 それはまるで、黒い芋虫のように、白い肌の上を蠢いたのだ。

 

 じゅぎゃぁ――と、ぱっくりと開いたの中で、紅い舌が蠢いた。


「ひぃぃ!」


 高崎の手も構わず、小菊が振り払う。

 ぽとり――と、畳の上に蟲が転がった。


「こ、こいはなんでごわす?」


 高崎が震える小菊を抱き締める。

 眼前で畳の上に黒い染みが、ひとつ、またひとつ――と、数を増していく。

 見れば、天井から水滴が滴るように、黒い染みが落ちてくる。それが畳に落ちると、もぞりと蠢き黒い蟲へと変じる。

 瞬く間に十を超えたそれは、一斉に鎌首をもたげると、


 じゅみぃ――

 じゅぎゃぁ――


 みゅぃ――


 と、いた。


「な、なんなん……これ、なんやの……」


 小菊が身を震わせ後退あとずさる。

 それを追うように、黒い蟲たちが、ゆっくりと這い寄ってくる。

 一匹の蟲が、小菊の着物の裾に取りついた。

 そこまでが限界だった。


「ぎぃゃぁぁぁ――!」


 逃げようと、立ち上がりかけた高崎に、腰の抜けた小菊がしがみつき、ふたりは縺れるように転がった。


「おまん、離さんかぁ!」


 高崎が突き飛ばそうとするが、すがる小菊も必死だった。

 その腕にしがみ付き離れない。

 尚も突き飛ばそうとした高崎の腕に、蟲が取りついた。


「ひいぃ!」


 高崎の腕に、蟲が紅い舌を突き立てると、激痛が走った。


「あがぁぁ」


 蟲を振り払おうとするが、反対の腕には小菊がしがみ付き、自由にならない。

 だが、渾身の力で小菊を突き放すと、高崎が畳の上を転げまわる。

 そこへ、全ての蟲たちが次々に襲いかかった。

 腕や脛――蟲は高崎の肌につくと、次々と舌を突き立てる。

 全身を襲う激痛と恐怖に、高崎は声も出せず転げまわった。


 その時だった。

 突如、襖を開け放ち、山南が部屋に飛び込んできた。

 その後ろに沖田が続いている。


「これは……」


 先ほどのと似ていた。

 だが、あれは蜘蛛の様であったが、眼前に無数いるそれは、まるで芋虫のような姿をしている。


「同じものですよ」


 沖田の心中を察したか、山南が事もなげにいった。


「沖田君は、芸妓を――」


 と、小菊へと促す。


「あんなに沢山いるのにどうするんです」

「心配ない」


 さぁ早く――と、沖田の肩を押す。

 山南は鞘に収まったままの剣を眼前に構えると、柄を握った。

 眼を半眼に閉じ、呼吸を整えると、剣を引き抜く。

 二寸ほど引き抜かれた刀身が、白銀の輝きを発した。

 山南が口の中で何かを呟く。


 次の瞬間、山南が叩きつけるように剣を鞘に戻すと、澄んだ音が響き渡った。

 すると、黒い蟲が弾けるように、高崎から一斉に離れた。

 弾けた蟲たちは、その姿を保っていられないのか、霧のように姿を解きながら、煙の如くひとつに纏まりはじめた。

 山南は懐から、なにやら符のようなものを取りだした。

 鯉口を切り刀身に親指を押し当てると、ぷっくりと、珠のように血が膨らむ。

 血を拭うのではなく符に指先を走らせると、それを宙に放った。

 山南の血の付いた符は、黒い霧を覆うように舞う。


 すると不思議な事に黒い霧は、符に染みこむように吸い寄せられていく。

 瞬く間に霧は姿を消し、黒く染まった符が畳の上にあった。

 沖田はその様子を、小菊の肩を抱くようにして見つめていた。

 高崎は動かぬまま、呆然をその光景を見つめている。

 気がつけばいつの間にか、開け放たれたままの襖の向こうに野次馬が集まっていた。


 その様子に溜息を漏らしつつ、


「大丈夫、針で刺された程度ですよ」


 高崎の背を、ぽんと叩いた。

 畳の上の符を、さり気なく懐に入れると、沖田に声を掛けた。


「気になることが有ります。私は先に帰ります」


 そう言い放つや、ざわめく野次馬を掻き分け、山南は座敷を出る。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


 駆け寄ってきた茶店の人間に小菊を任せ、沖田もその後を追う。

 その様子を、野次馬に紛れるようにして、弓月が見つめていた。


「ここの……お願い」

「はい」


 歳のころは、弓月と同じくらいだろうか。

 傍らにいる髪をひとつに結んだ女が、静かに頷いた。

 付き人にしては化粧っ気もなく、酷く地味である。弓月ら芸妓を牡丹とするならば、野に咲く薊のような女だった。

 すっ――と、ここのと呼ばれた女は、溶けるように姿を消した。


「山南敬助――面白い御仁やけど……」


 そう呟く弓月の瞳は、仄かに紅く揺らめいていた。



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