第30話 曇面鑑


 ゆるりと息を吐きだし、山南は天井を仰ぎ見た。


 殺して欲しい――その言葉が戯言でないことは直ぐに理解できた。恐らく、自分と対面する前から覚悟を決めていたのだろう。

 それだからこそ、山南は二の句が継げず天井を仰ぎ見た。


「幾らんでも『はいそうですか』と即答できる話ではない。いくら佩刀しているからといって、無闇矢鱈に人を斬るわけにもいきません」


 山南は苦笑した。


「先ずは事情を話してはいただけませんか」

「申し訳ありません。山南様の仰る通りでございます」


 そう言うと弓月は、苦いものを絞り出すように語り始めた。





 今から半年ほど前――まだ夏の暑さの盛りの頃。七卿落ちの前である。京では、長州がまだ尊攘攘夷派の中心的存在として全盛を誇っていたころだ。

 それは弓月が、封印の巫女の継承を受けてから三日目のことであったという。

 そろそろ夕餉の頃といった刻限であった。

 静かで平穏であった戸浦村に絶望が現れた。


「あれは魔性のものです」


 人では無いものです――と、弓月が身を震わせた。


「どういうことです」

「化生の如き白髪の鬼と、黒い魔獣が村を襲ったのです」


 思い出すのも辛いのだろう。弓月は記憶を押し込めるように、硬く瞼を閉じた。


「白髪の鬼……黒い獣――――」


 己の脳裏に浮かぶものを確かめるように、山南は呟いた。


「あれは地獄と言うより呼ぶべき言葉を知りません」


 一方的な殺戮だった。

 人の形をした黒い獣が、爪を一振りすると村人の首が五つは跳んだ。

 獣が牙を打ち鳴らせば、肉が舞い散る。

 元より、戦う術など持たぬ村人は、一方的に蹂躙されるがままに殺されていった。


 老若男女関係無い。

 暴虐の黒い嵐の前に、人は皆等しく殺された。

 白髪の鬼は小鳥のさえずりを愛でるように、人々の悲鳴の中で薄笑いを浮かべていた。


「奴らが火を掛けたのか。あるいは村の誰かの仕業なのか分かりません。どこからともなく上がった火の手に、村はたちどころに炎に包まれました」


 茜色の空と村を焼く炎が溶け合って、視界一面が紅に染まった。


「私は巫女の側女そばめである、と共に逃げ延びることが出来ました。ですが私を護ろうとした父と母は、無残に殺され、妹は業火の中に……」


 微笑んでいるのか。泣き出しそうなのか。何とも言えぬ表情を浮かべ、弓月は言葉を飲み込んだ。


「奴らは何の目的で、そのようなことを」

「この私、真具陀羅尼のまりあを狙っての所業にございます」


 吐き捨てるように言うと、弓月は唇を噛みしめ、視線を逸らした。


「何故に弓月さんを?そうか――」


 鍵か――と、山南の言葉に、弓月は無言で頷いた。


「聖月杯を手に入れる為には、鍵である封印の巫女である真具陀羅尼のまりあ、つまりは弓月さんが必要だということなのですね」

「はい」

「村を襲った者たちに聖月杯を渡さぬために、弓月さんを……」

「はい。殺してください」


 弓月は瞼を閉じた。


「一寸待つんだ。それならば何も弓月さんが命を賭けずとも、聖月杯を何処かに隠してしまえば良いではありませんか。或いは、弓月さんが巫女を辞めてしまえばいい。巫女の御役目を継承するというのならば、その身を解放する手段も有るのではありませんか?」


 山南様――と、弓月は静かに首を振った。


「巫女の霊力をこの身より剥がすには、次の憑代である巫女に渡さなければ無ければ無理なのです。或いは、封印を解く為にその力を聖月杯に注ぐしか手段はありません」

「巫女の力は継承し続けるか、聖月杯復活させるしか消す手段が無いというのですか。他に何か有る筈――」

「ですから、私を殺して頂きたいのです」


 それが三つ目の手段です――と、弓月は言った。


「村のしきたりにより、巫女は自ら命を絶つことを固く禁じられております」


 切支丹の教えに自死を禁ずるものが有るという。それが戸浦村にも伝えられているのだろうか。


「私が死ねば、巫女の霊力は天地に解き放たれましょう。さすれば聖月杯に注ぐべき霊力は失われ、未来永劫、聖月杯の復活の術は絶たれましょう」


 弓月は静かに微笑んだ。

 なんとも堪らぬ、悲しい笑みだった。

 美しくも儚い、霧氷のような笑み――山南がこのような笑みを眼にするのは、人生で二度目だった。

 ぎり――と、いたたまれず視線を落とし、山南が奥歯を噛みしめた。


「この毬屋という置屋は、かつて巫女を務めた女が女将を務める場所なのです」


 苦渋に顔をしかめる山南を見ぬように、弓月は閉じられたままの障子を見つめた。


「そもそも本来であれば、巫女を継承した後、生娘のまま芸妓として、数年間を京の花街で過ごさねばならぬのです」


 独り言のように弓月が呟く。


「そうした後、村に戻り御宣託を受けるのです」

「御宣託ですか」


 山南はそこで漸く、弓月に視線を向けた。


「それにより、巫女の御役目を解かれるか、或いは更に数年続けるかを決められます」

「お役目を終えるとどうなるのです?」

「普通の生活に戻り所帯を持つものもいますが、再び京へ戻るものも多いのです」


 そうした役目を終え京に戻った巫女の中から、この毬屋の女将となるものがいるのだ。


「全ては連綿とした掟の定めし事柄です」


 弓月が自嘲気味に微笑んだ。


「掟……厳しいものだ」


 山南もまた、どこか自嘲気味に薄い笑みを浮かべた。


「無関係の御方にこのような事を頼むべきでは無いことは重々承知しております。ですが今となっては私には他に頼めるべき相手がおりませぬ」

「弓月さん……」

「本来であれば巫女の側女たるここねに、この身を委ねるべきなのですが……」

「ここねさんという方は、もしや首の後ろに痣のある?」

「はい。先日、山南様にお会いした際に、私と一緒にいた者です」


 矢張り。松恋屋に向かう途中に弓月と共にいたあの娘だ。つまり、廃寺で山南を探っていた女と同じ人物である。


「お察しの通りここねには、山南様を探らせておりました」


 バツが悪そうに弓月が目を伏せる。


「どうしてそのような事を?」

「最初にお会いしたあの日――」


 沖田と祇園の座敷に行ったときだ。


「妙術を使う山南様に興味を持ちました」  


 申し訳ございません――と、弓月は頭を下げた。

 確かにあの時は、沖田の手前もあり調子に乗って術を見せてしまったと思っている。


「だが、それはまたどうして?」

「村を襲った魔性のものに聖月杯を渡さぬため――いえ、そうではありませんね」


 復讐するためです――と、弓月は自嘲した。


「平穏であった村を襲ったあの者たちを、私は許せなかった。父を母を妹を

――村の人々をあのように無残に殺した奴らを、私は許すことが出来なかった。ですから助力してくださる方を探していたのです」

「それで私に白羽の矢が当たったというわけですか」


 山南が苦笑した。


「ですが、それはもう諦めました」

「諦めましたか」

「ここねに、そのような馬鹿な真似は止め、全てを忘れて普通に生きようと言われたのです。ですが私はそのような事、巫女として出来るわけないと――」


 今にも泣き出しそうな顔で、弓月が唇を噛みしめた。


「ここねさんは、普通の娘にしては些か動きが良いように見受けましたが」

「側女は、巫女の守り人でもあるのです」

「守り人?」

「元々は、光秀の配下の忍びの者であったといいます。封印の巫女を守るために付き人として傍に使えるようになったようです」


 戦国動乱の世であれば、それは当然の事だろう。


「ですが――」


 徳川の治世になり世が平穏になると、自然と必要性がなくなっていった。やがて女衆のみが、封印の巫女の傍仕えとして残った。


「その最後の一人が、ここねです」

「そういうことなのですね」


 ここねが、そのような存在であるからこそ、弓月を護り京まで逃げ延びることが出来たのだ。そう聞けば、廃寺での身のこなしも納得である。


「で、ここねさんは今は?」

「この三日ほど、戻っておりません」


 痛みに耐えるかのように、弓月が溜息を吐いた。


「なにか有ったのですか」

「天羽四郎衛門を探らせておりましたが――」

「ちょっと待ってくれないか」

「えっ」

「今、天羽――確かに、天羽四郎衛門と言わなかったか?」

「はい」

「どういうことだ。まさか」

「戸浦村を襲ったのは天羽四郎衛門にございます」


 血を吐くように、弓月が言った。

 繋がった。

 そうだ。矢張りそうなのだ。

 薄々そうではないかと感じてはいた。だが軽々に言葉にすることを憚られていたのだ。


「天羽四郎衛門こそが聖月杯を狙い、黒い魔獣を従え村を壊滅させた魔性の白髪鬼です」

「だからか。だからなのか――」


 何故に山南に接触してきたのか、ずっと不思議だった。

 理由は簡単だ。

 天羽は、山南と弓月が共にいるところを見ているのだ。弓月の居場所は判らなくとも、山南の素性は北原の口より知れている。万に一つとして、山南と弓月が再び接触するような可能性を考えたのだ。そしてその確率を上げるために天羽は、山南を呼び出し語って聞かせたのだ。


「私は――」


 なんと愚かなのだ――と、山南は畳に拳を叩きつけた。

 全てが天羽の狙い通りだとすれば、この場所は天羽に知れてしまった可能性が高い。


「山南様。どうなさいました?」


 弓月が心配そうに見つめる。


「弓月さん。申し訳ない。私は取り返しのできない愚行を犯してしまった」

「なんです?どうされたのです?」

「直ぐにここから逃げましょ――」


 その時だった。

 障子の向こうに、人の気配がした。


「弓月――ちょっとええ?」


 慌てた様子の女将の楼月だった。

 お話中、申し訳ありません――と、楼月が頭を下げる。

 耳元に寄せると、小声で弓月に何かを伝えた。


「――結月が?」


 弓月が思わず声を上げる。


「どうかしましたか」


 思わず山南が身を乗り出す。


「山南様をここまでお連れした結月がまだ戻らないのです」


 楼月が言うには、直ぐ近所に使いを頼んだのだと言う。二件ばかり先の家なので、いつもならとうに帰っているのだが、既にあれから一刻以上過ぎている。

 辺りも陽が暮れはじめている。心配になった楼月は使いに出した家に行ってみたが、いつも通り直ぐに帰ったと言う。


「ここのに続いて、結月まで――」


 楼月の手が微かに震えている。


「おかあさん。うち、結月を探してきます」


 弓月が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。


「ちょ、弓月。一人でなんて。うちも――」


 と、楼月が後を追おうとした。

 だが――


「私が一緒に行きましょう」


 山南が腰に剣を差すと立ち上がった。


「山南……さ――」

「私が行きます」


 戸惑う弓月に、山南が微笑んだ。



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