第4話 黒観音

 湿り気を含んだ風が吹き抜けると、夜気の冷たさが際立つ。


 季節は晩秋を迎えようとしていた。


 子の刻――


 五条通と油小路のぶつかる辻である。

 東には西洞川が流れ、すぐ西には本國寺が見えている。

 暗闇の中に、ぼんやりと提灯の明かりが揺れる。

 それも、ひとつふたつではない。

 全部で五つ六つほどの明かりが、忙しなく動いている。

 だが、闇に溶け込む気配はさらに多く、蠢く人影は、十は超えていよう。


「――馬鹿野郎!ぼさぼさしてねぇで、早くしやがれ!」


 押し殺した叱咤が上がると、提灯の明かりが激しく揺れた。

 その声に、だんだら羽織の男たちが慌てて走っていく。


「いつまでも、こんなもん晒してんじゃ、いい笑いもんだ」


 錦絵のように美麗な顔をした男が、眉間に皺をよせ唾を吐き捨てた。

 刃物で削いだような鋭い面相が怒りを露わにすると、ことさら恐ろしく見える。


「歳、そう尖るな。只でさえ動揺している隊士が怖がっているぞ」


 岩のような声が諌める。


「尖りたくもなるさ」


 振り向きもせず、土方歳三が答える。


 そう背負いこむな――と、岩のような量感を有した男――近藤勇が頭を掻いた。


「あんたは腹が立たねぇのか」


 土方が、押し殺すように言った。


「そんな事は言ってない。ただ、隊士たちに当たり散らしても仕方なかろう」

「当たり散らしてなんかいねぇよ」


 ふぅ――と、近藤が大きな溜息を吐く。


「それにしても歳よ、どう思う?」


 土方の睨みつける先には、五人の遺体が横たわっていた。

 不逞浪士と思われる遺体が二つ。

 浅黄色のだんだら羽織を着た遺体が三つ。


 兵藤逸之進。

 鶴巻兼吉。

 久慈新之助。

 

 いずれも新撰組の隊士である。


「どうもこうもねぇよ」


 見たままだ――と、土方が吐き捨てるように言った。

 五人の遺体のうち、なのは、背中と腹を斬られた不逞浪士一名だけである。

 まだ理解できるのは鶴巻だった。

 鶴巻は、口の中には剣が突き込まれ絶命している。だが奇妙な事に、その剣は仲間であるはずの久慈新之助の脇差しである。

 この段階で既に疑問はあるが、問題なのは残りの三名である。

 兵藤ともう一人の浪士は、いずれも首や咽喉元の肉を喰いちぎられていた。死んだ後に野犬にでも貪られたのかとも見えるが、他に目立った外傷もなく、斬り合いにより死んだものとは思えない。


 そして最も酷たらしい姿を晒していたのが、久慈新之助であった。

 右耳を失い、首から下は辛うじて原形をとどめているものの、その身体はまるで襤褸雑巾のように千切れていた。

 それはまるで、巨大な何かが、久磁を引き裂いたかのようであった。

 野犬ではあるまい。

 考えられるとすれば、冬眠前に迷い出た熊の仕業であろう。だがもし熊の仕業ならば、もっと食い荒らされている筈である。


 奇妙なのはそれだけではない。

 久慈の口の周りが、不自然に血で汚れていた。最初それは久慈自身の傷によるものかと思われた。だが、検分すると歯の隙間に肉片がつまっていたのだ。

 そして肉片と共に浅黄色の布片――兵藤の羽織の一部があった。


「一体どういうことなのだ。どうにも――」


 解せぬ――と、近藤が顔をしかめた。

 恐らく、兵藤と鶴巻により、刀傷の浪士を打ち取ったことは間違いあるまい。

 理由は分からぬが、残るもうひとりの浪士に、久慈が噛ぶりつ打ち鳴らしたいた。それを止めに入った鶴巻は脇差しで突かれ、兵藤も久慈に襲われた。


 だが何故に、久慈は獣のように咽喉に食いついたのだろうか。

 そして久慈を引き裂いたのは何者なのか。


「まさかあやかしの仕業でもあるまい……」


 辻褄の合う説明も思い浮かばず、近藤の口から思わずため息が漏れた。


「狐にでも憑かれたとか言うんじゃねぇよな」


 そんな近藤を諌めるように、土方が横目で睨みつける。


「近藤さん。こいつは見たまんまだよ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」


 まるで親の仇のように、土方は横たわる遺体を睨みつけていた。


「歳……」

「きっちりと落とし前つけさせねぇとな」


 土方の背に、ゆらりと立ち昇る殺気に、近藤は息を呑んだ。


 その時だった。

 局長――と、呼ばれ振り返ると、一人の隊士が駆け寄ってきたところだった。

 まだ若いその隊士は青ざめた顔で、頬を引きつらせている。見れば身体が小刻みに震えていた。


「どうした。血相を変えて」


 土方から眼を背けるように、近藤が向き直る。


「……あ、あちらに、き、来てくださ――」


 絞り出すように言うと、両手で口元を押さえその場に膝をついた。

 耐え切れず胃の中のもの吐いた。


「どうした!」


 その様子に、土方も近づいてきた。

 隊士は震える手で、少し離れたところにある葉の落ちた槐の樹を指さした。

 見ればそこに集まっている隊士たちがどよめいている。

 土方を促し、近藤が足早に駆ける。


「後で俺の部屋まで来い」


 まだ吐き続ける隊士に一瞥を浴びせると、土方も後に続いた。




 樹の周辺に集まる隊士たちは、明らかに動揺していた。

 さすがに吐く者はいないが、口元を押さえる者は少なくない。


「通せ」


 隊士たちを掻き分けると、樹の根元にしゃがみ込む隊士の背が見えた。


「総司、何があった」

「あっ、近藤さん」


 ひょろりと、背の高い青年が立ち上がり振り返る。


「これはちょっと、かなり面白いことなんじゃないですかね」


 周囲の隊士たちとは裏腹に、青年は嬉々とした様子だった。


「見えねぇだろうが。そこを退きやがれ」


 近藤の傍らから進み出た土方が、青年の肩を押しやる。


「むぅ!」

「こいつは……」


 近藤と土方は、言葉を失った。

「だから言ったでしょ。かなり面白いって」


 おもちゃを見つけた童のように、沖田総司が微笑した。




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