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 同じく渓流で釣ったというイワナの塩焼きも絶品であり、集まってくれた懐かしい顔ぶれもさかなとなって、酒が進む。メインディッシュと言わんばかりに出てきた牡丹鍋ぼたんなべは、思っていた以上に美味だった。


 飲み始めてから30分が経った頃、白衣の男が息を切らしながら到着し、すでに酒が入っていた芒尾達は盛大な拍手で迎える。美和子が顔を真っ赤にして「遅いぞ先生」と茶々を入れた。


「ごめんよ大輔。心配はなかったんだけど、田原のお婆ちゃんは過去に肺炎をやっててね。念のために診ておきたかったんだ」


 白衣を壁掛けにやると、申しわけなさそうにしながら、ビール瓶を片手に芒尾の元へと男がやってきた。


「直斗、ちゃんと村のお医者さんをやってるみたいじゃないか……」


 彼こそが村の医師である加賀屋直斗である。昔は引っ込み思案で、いつも芒尾の後をついて回っていたのに、随分と立派になったものだ。しばらく会わないうちに貫録のある顔付きになったような気もする。


 それに比べて自分は――そこまで考えて、芒尾は後ろ向きな考えを振り払った。こんな時くらい、暗いことは考えないようにしよう。自分に言い聞かせる。


「そんなことはないさ。まだまだ未熟でね。本気じゃないのは分かってるけど、藪医者なんて呼ばれることもあるし」


 加賀屋がなみなみとビールを注いでくれる。勢いあまって泡があふれそうになり、芒尾は慌ててグラスに口をつけた。


「そいつは多分、褒め言葉だよ。ここの村の爺ちゃん婆ちゃんは、素直じゃない捻くれ者ばかりだからな」


 加賀屋は昔から几帳面というか、やるべきことに対しては異常なほどの執着を見せる時があった。そんな加賀屋が仕事に対して手を抜くわけがない。幼い頃から医者になることを目標として掲げ、その夢を叶えたのだ。藪医者であることなんて絶対にあり得ない。芒尾の言葉はフォローでもなんでもなく、本心だった。


「ナオちゃんはこまめに各家庭を巡回してるから、例え病気の人がいても重症化する前に処置しちゃんうだよね。だから、病院はいつもガラガラで――」


 大分酒が入っているのか、美和子にしてはかなり饒舌じょうぜつになっている。彼女にとっても、加賀屋は自慢の友人に違いない。


「今や待合室はお爺ちゃんお婆ちゃんの社交場だよ。でも、それでいい。医者が儲かるようなことがあっちゃいけないからさ」


 美和子から酌をしてもらいながら、さらりと立派なことを言う加賀屋。同じく美和子に酌をしてもらった芒尾は、美和子のグラスにビールを注ぐと口を開く。


「あの引っ込み思案の直斗が、いつからそんな格好いいこと言うようになったんだ? おい」


 冗談混じりで言うと、加賀屋から「大輔は良くも悪くも昔から変わっていないね」とのお言葉をいただく。褒め言葉だと受け取っておこう。


 こうして、加賀屋達と昔話に花を咲かせることしばらく。ケースの中に空のビール瓶が目立ち、誰が頼んだのか焼酎の水割りセットが並ぶ頃になって、もう一人の懐かしい顔が現れた。


 作業着姿のまま飛び込んで来た男は、芒尾の姿を見つけると、まだ蓋の空いていないビール瓶を片手に足早にやって来た。その姿に、芒尾は頬をほころばせる。


「いやいや、遅くなった。俺が言い出したってのに、お役所仕事が入っちまってよ。本当に勘弁な」


 ビールを注ごうとして、蓋が空いていなかったことに気づいた男に、妻である美和子が栓抜きを手渡す。この辺りの意思疎通は、気の利く美和子が妻だからこそできることなのであろう。


 美和子に礼を言い、勢い良くビールの蓋を開けた男は佐武貴徳さたけたかのりという。美和子の旦那であり、芒尾のもう一人の幼馴染だ。ここにいる誰よりも付き合いが長く、芒尾は幼馴染であると同時に大親友だと思っている。


「いや、いいんだ。こんな盛大な会まで開いてもらって、逆にこっちが申しわけないくらいだよ」


 何杯目になるか分からないが、さっき注いでもらったばかりのグラスを空にして、佐武からビールを注いでもらう。そろそろ焼酎の水割り辺りに落ち着こうと思っていたが、無二の親友である佐武からの酒は断れない。何よりも、いつもより酒が美味かった。


 遅れてやってきた佐武のために、真美がわざわざお通しから持って来てくれたが、佐武は腹が減ったという理由で、メインから持ってくることを要求。わがままを言うなと美和子に怒られつつも、真美が持ってきてくれたイワナを頭からかじる。


 人が入れ替わり立ち代り、芒尾の元へとやってきては、他愛のない話に花が咲く。実に楽しく、有意義な時間が過ぎていった。


 得てして、楽しい時間というものは、早く過ぎてしまうものである。店を早目に閉めたのか、途中から中町夫妻も加わって、芒尾を主役にした宴は夜半まで続いた。


 流石に夜中まで連れ回すのはまずいと、まだ酒を少ししか呑んでいなかった真美が、高校生トリオをそれぞれの自宅へと送り届けてくれた。一足先に帰らなければならないことに文句を垂れていたが、真美が送ると知った途端、三人は鼻の下を伸ばして帰って行った。真美は若くて美人だからと、佐武が言った時の美和子の反応は分かりやすく、それに気づいて表情をこわばらせた佐武の姿は、しばらく思い出しては笑ってしまいそうだ。


 宴もたけなわ。酔いも程よく回り、泥酔した美和子に代わって中町が宴の終わりを告げる。駆けつけ三杯どころでは済まなかった佐武は、仕事の疲れもあってか寝てしまっていた。


 もっと、みんなと酒を飲んでいたい。懐かしい思い出話に浸りながら、延々と話をしていたい。そう思ったが、腕時計を確認すると日付が変わっていた。


 後ろ髪を引かれながらも、芒尾達はそれぞれの家に帰るべく支度を始める。いびきをかいて寝ている佐武を叩き起こすと、うつらうつらとしている美和子に声をかける。見た目によらず酒に強い加賀屋も、今日ばかりは呑みすぎたのか、呂律が回っていなかった。店を閉めてから参戦した中町も、ペースを上げて飲み続けたせいか、大分酒が回っているようだった。


 こんな時間が永遠に続けばいい。今後も気の合う仲間と酒を酌み交わし、楽しい時間を共有していきたい。酔っているせいもあるのだろうが、芒尾は心からそう願った。


 しかし、その願いははかなく崩れ去ってしまう。それも、このわずか十数時間後にだ。当然、この時の芒尾は、それを知る由もなかったのである。


 ――すでに異変は起きていた。

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