9

「とりあえず乗れ。ここじゃ寒かろう」


 周囲を警戒しながら言うと、スガヤドンがゆっくりと体を起こした。まだ薄暗いがゆえに表情は読み取れないが、きっと顔は涙でぐしゃぐしゃになっていることだろう。


「山さん……。この村で何が起こっているんだ?」


 疲弊した様子で放たれた一言は、村の中にいる全ての人間の言葉を代弁するものなのであろう。特に、寝訃成のことを知らされていない人間は、何が起こっているのか全く理解できないはずだ。


「寝訃成が出たんだ――。とにかく、詳しいことは後で説明する。とりあえず助手席に乗れ」


 山村は荷台にのぼると、スガヤドンに肩を貸してやる。先に降りたゴロウシチの嫁が、気を利かせて助手席のドアを開けてくれた。スガヤドンが握り締めていた自動装填式の散弾銃と、自身が持っていた散弾銃を助手席の足元へと寝かせる。少しばかり杜撰な扱いだが、安全装置はかけてあるから大丈夫であろう。スガヤドンを助手席に乗せると、続いてゴロウシチの嫁も乗り込んだ。ベンチシートだからこその強みである。助手席のドアを閉めた山村は運転席へと回り込んで乗車した。


「足元がごちゃごちゃしているが我慢してくれ」


 山村はそう言うと、再びトラックを走らせた。助手席の足元には散弾銃に加えて山村の荷物が転がっている。乗り心地は悪いかもしれないが、少し二人と話をしたかった。いや、話をすべきだった。


「これから役場のほうに向かうつもりだ。あの辺りが村の中心地だし、もしかするとまともな連中が、あの辺りに集まっているかもしれないからな」


 最優先で話すべきこと――中町夫妻のことを差し置いて、今後の予定のほうが先に口から出てしまった。今の状態の二人に中町夫妻の訃報を伝える勇気はなかった。


 二人からの返事はなかった。ただ、ゴロウシチの嫁が、山村の言葉にわずかながら頷いただけ。スガヤドンにいたっては、焦点の定まらない目でフロントガラスの外の景色を眺めている始末だった。そんな彼が、呆然としたまま口を開き、干からびた声を絞り出した。


「山さん……。あれ、何なんだよ? その――寝訃成って何なんだ?」


 スガヤドンの言葉は闇夜に投げ出され、そしてうっすらと明るくなりつつ空に吸い込まれる。


「俺の知っている限りの知識で話すならば、あれは気を狂わせた人間だということだ。かつて、明治時代にも同じようなことが起きたらしい。どうして村の人間が寝訃成になったのかは分からん。逆に言えば、どうして俺達が寝訃成にならなかったのかも分からん。ただ、ひとつだけ言えることがある。寝訃成は殺さにゃならん。例え、それが家族だったとしてもな」


 だから、両親を撃ち殺したお前は間違っていない――。山村はそのようなニュアンスを込めたつもりだった。全ての人間が寝訃成のことを知っているわけではないし、誰もが山村のように覚悟を決めたわけでもない。スガヤドンのように罪悪感に苛まれ、殺害したことを悔いるのは当然のことなのだ。


「ちなみに、お前達の家族の中で無事だった者は他におらんのか?」


 スガヤドンの傷口に塩を塗るようで気は進まなかったが、山村はあえてその問いを投げかけた。もし、他にも無事な人間がいるのであれば、助けるべきだからだ。もっとも、すでにスガヤドンの両親は寝訃成と化してしまったことが分かっているのだが。


「俺の家族で無事だったのは、多分俺だけだよ……。親父とお袋は見ての通り、弟の秋紀もおかしくなってた」


 あの惨状から離れたせいか、それとも開き直ってしまったのか、スガヤドンは現状を受け入れつつあるようだった。もっとも、人間というのは、そんな簡単に心の整理ができるものではない。それとも、受け入れざるを得ないほど、この村で起きていることは異常なのかもしれない。いいや、明らかに異常なのだ。


「私の家族は、おかしくなったお義父さんに、お義母さんが殺されて、お義父さんはその――ダイちゃんが……」


 そう呟くと、ゴロウシチの嫁はスガヤドンのほうを一瞥した。察するに、ゴロウシチの親父を手にかけたのも、スガヤドンなのであろう。全く知識がない状態で、そこまでの対処ができたのだから大したものだ。それとも、何かしらの情報を得る機会があったのだろうか。


「美和子の旦那は、外に飛び出したっきりどうなったか分からない。俺の弟も、家で会ったのが最後で、今はどうなっているか……」


 山村が尋ねにくいことを、スガヤドンはあえて話してくれた。ゴロウシチの嫁は、その言葉に力なく頷き、そのままうつむいてしまった。二人とも、少しずつではあるが、この異常事態のことを認め始めているようだ。


「そうか……。それじゃあ、お前達の家族の中で無事だったのは、お前達二人だけなんだな?」


 それならば良かった――などと、家族を失ってしまった二人には言えなかった。なんにせよ、山村が助けるべきだったのは二人だけであり、後は捨て置いても問題はなかったようだ。これを喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのか。山村にも分からない。


「なぁ、山さん……。どうして、俺と美和子だけが無事だったんだろう? それに、山さんだって寝訃成にはならずに無事だったわけだろ? 寝訃成になった人間と、そうではない人間――この違いは何だ?」


 運良く他の寝訃成には遭遇せずに、山村達を乗せたトラックは集落を抜ける。もっとも、いびきや歯ぎしりなどは、開け放った窓から聞こえてはいたのであるが。


「それが分かれば世話はない。どうして村の連中が一斉に寝訃成になったのか、どうして俺達は寝訃成にならずに済んだのか――。その辺りは俺にも分からん。もしかすると、誰にも分からんのかもしれん」


 山村が知っている情報などたかが知れている。少なくとも、寝訃成が現れたプロセスや根本的な原因というものは、山村にも分からなかった。寝訃成の存在は、それぞれの家系において口伝にて家長へと引き継がれる。どこまで話すのかは、それぞれの家によって違うのかもしれない。もしくは、根本的な部分は明らかになっていない可能性もある。


「そうか……」


 スガヤドンがそう呟くと、ゴロウシチの嫁が顔を上げる。


「ねぇ、山さん。これから役場に向かうのはいいとして、それからどうするつもりなの?」


 そう問われて、山村は返答に少しばかり困ってしまった。とりあえず人が集まりそうな場所へと行き、トラックに乗せられるだけ乗せることしか考えていなかった。ある程度の人間を乗せたら、一度村を出るのがベターだろう。


「とりあえず無事な連中を見つけてトラックに乗せるつもりだ。その後は……ある程度の人間を乗せたら村の外に向かう」


 寝訃成は殺さねばならない。これは、村全体が背負った宿命のようなものだ。しかし、山村はそれを他の人間に強要するつもりはなかった。全員で寝訃成に立ち向かうのが正しいのかもしれないが、若い連中にまで武器を持たせるのは酷だ。追い詰められながらも両親を撃ち殺したスガヤドンを見ていたから、なおさらにそう思うのかもしれない。


 村からの脱出。寝訃成は殺さねばならないという掟に背くことにはなるが、村の人間の命を優先するのであれば、戦うよりも逃げてしまったほうが確実で安全だ。


 もはや時代は、世間体第一の明治時代ではない。それでも田舎というものは世間体を気にするものであるが、命を投げ打ってまで村で起きた事件を隠蔽しようと考える者は少ない。そんなことを考えるのは頭の凝り固まった時代遅れの人間だけだ。山村も寝訃成をどうにかしなければと考えているが、世間体のことなど一切気にしておらず、中町夫妻のような犠牲者を出したくないからであり、根本的な目的が違う。


 寝訃成が出たら殺せ――。口伝を通して一貫されているのは、その事実だけ。いざ有事の際にどうするべきなのかなどの、明確な指示は口伝に含まれてはいない。今、やれるべきことを自身で考えて動くしかない。だから、この村からの脱出というのも、立派な選択肢のひとつだった。

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