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 助けるべき人間を助け、村の外まで連れて行ってやる。ただ、山村は村の中へと戻るつもりでいた。どれだけの人間を救えるかは分からないが、それが山村のやるべきことだからだ。身寄りがない自分を、それこそ本当の家族のように扱ってくれた村の人間に、今こそ恩を返さねばならない。自らの命と引き換えてでも、若い命を救えるのならば安いものだ。


「心配するな。まずお前達をちゃんと村の外に送ってやるから。俺は村に戻らにゃならんがな」


 スガヤドンは自らの両親を殺した。ゴロウシチの嫁は、家族の死を目の当たりにした。寝訃成になってしまった人間の家族としては、もう充分に過ぎるくらいに、良くやったのではないか。村の外に逃げ出しても文句を言う者はおるまい。もっとも、そうでなくとも村の外へと逃すつもりではあるが。


「いや、山さん……。俺も一緒に村に残りたいんだ。わけの分からないまま、村のみんなを置いて逃げ出すなんて真似はしたくない」


「私も……旦那やみんなのことが心配だから、一緒に連れて行って」


 スガヤドンとゴロウシチの嫁の言葉に、山村は眉をしかめた。あんな死にかけるような目に遭っておきながら、この二人は何を言い出すのか。


「お前達、自分が何を言っているか分かっているのか?」


 山村の問いかけに、スガヤドンとゴロウシチの嫁は口々に言う。


「なんか、自分達だけ助かるってのが逃げるみたいな気がして――」


「それに、旦那を置いて私だけ村から出るのは……」


 もう二人は充分に辛い思いをした。これ以上、辛い思いを重ねる必要はない。そう考えた山村は、あえて心を鬼にした。


「この村に残るってことは、寝訃成と戦うことを意味する。ゴロウシチの嫁、お前さんは旦那が寝訃成になってたら迷わず殺せるか? スガヤドンはどうだ? 腐れ縁の親友を殺せるか?」


 ゴロウシチの嫁は「それはちょっと……」と言葉を詰まらせ、黙り込んでしまった。スガヤドンは返す言葉を探していたようだが、しかし見つからなかったらしい。


「村の外まで送って行く。後は村の老いぼれ達がなんとかするから、若い衆は街で待っておれ。いいな?」


 役場へと向かい、その辺りに生存者がいるのであれば拾ってやり、そのまま役場前交差点を南下して村の外へと出る。頭の中で今後の方針がしっかりとシミュレートできた。もっとも、役場に村人が避難しているかどうかは分からないのであるが。


「お前さん達はまだ若い。だから、ここは俺みたいな老いぼれに任せておけ――。もちろん、お前さんがたの仲間が無事だったら、しっかりと村の外まで送り届けてやる。心配せずに待っていろ」


 黙り込んだ二人に念を押すかのように、山村は最後に「いいな?」と、もう一度だけ付け加えた。二人からの返事は無かった。今、二人の胸中はどんなものになっているのだろうか。


 役場前の交差点へと差しさかる。まだ深夜と早朝の境目であるため、信号の黄が点滅しているのが見えた。信号が設置されている交差点はここだけであり、村全体を繋ぐ主要道路の起点となっている。むろん、裏道や農道もあるのだが、しっかりと舗装されている広い道路は、全て役場前の交差点から伸びていた。


 山村の家や、スガヤドン達を拾った集落などが東部にあたる。山村の家からさらに東へと向かうと、もうひとつ集落があり、その集落には加賀屋医院などがある。混乱していたせいか失念していたが、東の端の集落に向かってから、役場前に向かうべきだったと今さらになって思う。ただ、先にそちらへと向かっていたらスガヤドン達は助からなかったかもしれないのだから、一概に判断が間違っていたとも言えないのだが。


 交差点から北に曲がると、役場や駐在所がある。その先はぽつりぽつりと民家が並び、山のふもとまで進むと、村の全てを檀家として持つ紀宝寺きほうじが門を構える。この辺りをひとくくりにして北部と呼ぶ。


 西に曲がれば集落がみっつほど存在する西部となり、南に曲がれば田園風景と田畑が延々と続く。そこを抜けると道は山を下り、国道へと繋がっている。


 東部からやってきた山村のトラックは、もちろん交差点を北へと進む。交差点を曲がると、役場に煌々と明かりが灯っているのが見えた。役場の駐車場に入る手前で減速し、ウインカーを上げた山村は、しかし、あることに気づいてしまう。駐車場に何人かの人影が見えた。うっすらと明るくなりつつある闇と光の境目に見えるシルエットは、農具などを手に持ち、そして体を左右に揺らしている。何よりも駐車場から――いいや、役場そのものから発せられる、いびきと歯ぎしりの音が酷かった。


 無事な人達が避難しているかもしれないとの山村の読みは、どうやら完全に外れてしまったようだ。まさか、すでに寝訃成の巣窟そうくつとなっているなんて。


 一度緩めたアクセルを踏み込み、役場の駐車場へと入らずに役場前を素通りする。事態は思っていたよりもよろしくない。一刻も早くスガヤドンとゴロウシチを村の外に逃がしてやったほうが良さそうだ。


「二人共、しっかり掴まっとれ!」


 山村はそう言うと、役場の先にある空き地にトラックを突っ込ませ、ほぼノーブレーキでトラックを転回させる。ゴロウシチの嫁が悲鳴を上げたが、そんなものはお構いなしだ。もし仮に役場に相当数の寝訃成が集まっているのだとしたら、かなりまずいかもしれない。


 再び役場の前を通り過ぎると、農具を手に持った寝訃成数人が駐車場から飛び出すところだった。なんとか役場前を通過することができたが、もう少し判断が遅れていたら、行く手をはばまれていたかもしれない。


 安堵の溜め息を漏らす山村。しかし、それはほんの束の間のことであり、唯一生き残っていた片方のサイドミラーに信じられないものを見てしまった。役場の駐車場から一台の車が飛び出してきたのである。その車は特殊な車輌であり、飛び出してくると同時にけたたましいサイレンを鳴らし、赤色灯を踊り狂わせる。この村の駐在所に置いてあるミニパトカーだった。


「はい、免許証を拝見します! 免許証を拝見しますぅぅぅぅぅぅ!」


 気味の悪い独特の声が、そして意味不明の言葉が、スピーカーを通して白み始めた田舎の村に響く。


「くそっ! 駐在まで寝訃成になったか!」


 役場前の広場から飛び出してきたパトカー。まだ酒が抜けていないから飲酒運転であろうし、法定速度以上のスピードでトラックを走らせてもいる。しかし、それを捕まえようと飛び出してきたわけではないことは明白だった。考えずとも乗車しているのは寝訃成であり、山村達を追ってパトカーを走らせているのだ。


 アクセルワークと無駄のないギアチェンジで、トラックをスピードに乗せる山村。しかし、ミニパトカーは軽自動車。こちらは重量のあるトラックだ。立ち上がりの早さとトップスピードは、明らかにあちらのほうが勝っている。フルアクセルで対抗しても、いずれは追いつかれてしまうだろう。


 パトカーに続いて、ふたつのヘッドライトが駐車場から飛び出した。どうやら、追跡車が一台増えたらしい。しかし、山村を追って南部方面へと進路をとったのはパトカーのみ。もう一台のヘッドライトは西部のほうへと曲がった。あれも恐らく寝訃成が運転している車だろうが、何のために西部へと向かったのか――。ただ、今はそんなことにまで思考を割いてはいられない。今はパトカーをどうにかしないと。

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