4

 山村のトラックはまだ新しく、バッテリー周りも綺麗である。もちろん、バッテリーを留めてあるパーツがサビていることもなく、芒尾は順調にバッテリーを外していく。


「スガヤドン、どれくらいで取り外せそうだ?」


 周囲を伺いながら山村が問うてくる。芒尾はバッテリーを取り外すために必要な工具を工具箱から漁りつつ返す。


「このまま順調にいけば10分もかからないと思う。まだ新しいからナットが固着したりもしていないし」


 バッテリー周りのパーツを外し、後はトラックとバッテリーを繋いでいるケーブルを外せばいいところまでやってきた。ケーブルさえ外してしまえば、バッテリーを持ち運ぶことができる。ただ、ここでちよっとした問題が起きた。


「あぁ、これはジョイントが必要になるなぁ」


 バッテリーのケーブルは、バッテリーの電極部にナットで留まっているのであるが、そのケーブルの繋がった電極部が芒尾から見て奥の方にあり、しかもナットまで電極部の向こう側で留まっているようだった。このような場合、手前から回せるようにジョイントを継ぎ足してやる必要があるのだが――しかし、工具箱の中にそれらしきものは見つからない。


「うーん、ジョイントがないとなると、手探りでやるしかないのか」


 工具箱の中をどれだけ漁っても、芒尾が求めるものは出てこない。となると、狭くて仕方がないが荷台とバッテリーの間に手を無理矢理突っ込み、手探りでナットを探し当てて緩めるしかない。ここまではラチェットレンチを使っていた芒尾であったが、少しでも狭いところに対応しやすいように同サイズのメガネレンチを手に取った。


「大丈夫か? スガヤドン」


 山村が心配そうに覗き込んでくる。芒尾はメガネレンチを握った手を荷台とバッテリーの間に突っ込んだ。せめてケーブルと繋がっているバッテリーの電極が手前にあってくれれば、こんなことをしなくても良いのだが――なんて、ここで愚痴を漏らしても仕方がない。可能な限り腕をねじ込み、手探りでケーブルを留めているナットにメガネレンチをかけようとする。


「あぁ、でも10分じゃちょっと厳しいかも。外せないことはないけど、時間はかかるかもしれない」


 雨の中、作業を続ける芒尾。そして、雨の中、周囲の警戒を続ける山村。人間というものは、その状況に適応する機能がある。良くも悪くもその場の空気に慣れてしまう機能であるが、実はこの機能が芒尾達にとってよろしくないものを引き寄せようとしていた。そう――油断という名のもっとも恐ろしい魔物を。


 芒尾はすっかりバッテリーを取り外すことに夢中になっていた。急がねばならない、失敗することはできない――様々なプレッシャーがあるがゆえに、周りが見えなくなっていたのかもしれない。山村もまた、辺りの警戒を続けるも、全く寝訃成の動きがないことに、徐々に迫りくる魔物に気づけないでいたのかもしれなかった。


「よし、外れたぞ」


 手探りで奮闘することしばらく、ようやくバッテリーを繋ぐケーブルを外すことができた。片方のバッテリーを外してしまえば、それがあったところにスペースができる。そのスペースからレンチを突っ込めば、もうひとつのバッテリーは簡単に外せるだろう。長かった作業に終わりが見えた。ひとつめのバッテリーを取り外すと、それを抱えて軽トラックの荷台に乗せた。


「これで後ひとつだな」


 芒尾の作業を見て、山村も終わりが見えてきたのであろう。少しばかり笑みがこぼれる。これでマイクロバスを動かすことができるだろう。それに、どうやら無事に旧公民館へと帰ることができるようだ。芒尾は山村の言葉に頷くと、もうひとつのバッテリーを取り外しにかかった。案の定、思っていた通り、ふたつめのバッテリーは簡単に取り外すことができた。


「これでよし。山さん、俺ちょっと疲れたからさ、このバッテリーを軽トラックの荷台に――」


 やるべきことをやり終え、気が緩んでしまったのであろう。ずっと睨めっこを続けていたバッテリーから目を離した時のことだった。振り返った芒尾が見たのは、大きく両手を広げて芒尾の前に出た山村の背中だった。その直後、決して耳障りが良いとは言えぬ轟音――銃声らしきものが響いた。なぜだか、山村のトラックの荷台に細かく穴が無数に空く。直後、山村が片手で猟銃を加賀屋医院のほうに向けて発砲。加賀屋医院の診察室の窓が粉々に吹き飛んだ。


「くそっ! まさか黙って加賀屋医院の中に潜んでおるとはなぁ。隠れてる時はいびきもかかんのか――油断したわ」


 一瞬、状況を理解することができなかったが、どうやら加賀屋医院の中に寝訃成が潜んでいたらしい。いびきと歯ぎしりが聞こえなかったような気がするが、もしかすると雨の音にまぎれてしまっていたのかもしれない。ただただ、聞こえたのはふたつの銃声だった。最初の銃声がした時、山村は猟銃を構えてさえいなかったように見えたのだが。


 山村は狙った窓のほうに向かうと、診察室の中に向かってもう一発。中から断末魔のようなものが聞こえ、診察室の中で猟銃らしきものが宙に舞ったのが見えた。山村は猟銃を構えたままだから――宙を舞ったのは別の猟銃ということになる。


「スガヤドン! バッテリーを軽トラックに積んで先に行け! ここは俺が引き受ける!」


 山村が正面玄関のほうに回ると、扉が勢い良く開いて数名の寝訃成が飛び出してくる。それに向かって再び火を噴く猟銃。寝訃成が吹き飛び、山村は腰の麻袋に手を伸ばす。


「山さんを置いて行けるわけがないだろ!」


 バッテリーを持ち上げつつ、軽トラックに向かって走る芒尾。山村が寝訃成の相手をしてくれている内にバッテリーを荷台に積み込み、山村と一緒に脱出すれば良い。わざわざここに山村が残る必要はなかった。


 バッテリーを軽トラックの荷台に降ろすと、芒尾の背中に何かが当たった。何かと地面へと視線を落とすと、山村が手を伸ばしていたはずの麻袋だった。中には猟銃の弾が入っていたはずだ。


「そいつも持って行け!」


 芒尾が麻袋に気づいたことを確認したのか、山村が続いて放り投げてきたのは――猟銃だった。とっさに手を出して猟銃をキャッチする芒尾。


「荒削りではあるが、お前さんは筋がいい! お前さんがその気ならば、色々と教えてやっても良かったんだがなぁ――」


 そう漏らす山村の姿を見て、芒尾は悟ってしまった。真っ赤に染まった腹部からは、おびただしい出血。最初の一発目は、加賀屋医院に潜んでいた寝訃成が撃ったものなのだ。それに寸前で気づいた山村は、芒尾をかばって前に出て、自ら銃弾を受けたのだと思われる。


「こんなので戻ったところで、加賀屋医院の若先生が困るだけだ。それにしても、自分の体のことは誰よりも自分が分かるってのは本当なんだな――」


 山村はそう言うとニカっと笑った。白いはずの歯は真っ赤に染まってしまっていた。


「山さん! 大丈夫だ。直斗ならなんとかしてくれる。だから――だから一緒に!」


「いいから行け! ゲンコツのひとつでもくれてやらないと俺の言うことが聞けないか!」


 芒尾の言葉は山村の怒号にかき消されてしまった。泣きっ面に蜂――またしても寝訃成が加賀屋医院から飛び出してくる。このまま留まっていれば、芒尾まで殺られてしまうだろう。


「おぅおぅ――。よく見てみたら、どいつもこいつも子どもの頃にゲンコツくれてやった連中ばかりじゃねぇか。この期に及んで山さんに仕返しをしてやろうって腹づもりか? 上等じゃねぇか、この山さんが片っ端からゲンコツくれてやる!」


 飛び出してきた寝訃成が山村の啖呵で動きを止める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る