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「全く……よくもこんな無茶をやり通したもんだ」


 山村は片手だけで難なく芒尾を引き上げる。落ちたとばかり思っていた芒尾は、転がり込むようにして車内へと戻った。九死に一生とはこのことであり、美和子の膝に頭を預ける形になったまま、しばらく放心してしまった。バランスを崩した際に、思わず手放してしまったのであろう。散弾銃を持っていたはずの手には、何も握られていなかった。


「なんにせよ良くやった。これで何とかなるぞ」


 山村の言葉と共に、定期的に甲高い音が鳴り始めた。どうやらギアをバックに入れて走り出したらしい。


「山さん、何とか分割にならないかな……。俺、まだ仕事決まっていないし」


 一度に気が緩んでしまったせいか、割ったフロントガラスと、恐らく落としてしまったであろう散弾銃の弁償のことが頭をよぎった。


「この村の騒動が終わったら、考えてやらんでもない」


 山村はそう言うと、芒尾のほうを見て笑みを浮かべた。吹き込む風の音と、エンジンの稼動音は相変わらずうるさかったが、無謀な策をやり遂げた芒尾には、全てが祝福しているように聞こえた。


 芒尾は改めて大きく安堵の溜め息を漏らした。そこで、美和子の膝に頭を預けていることに気づいて「ごめん」と、慌てて美和子から離れる。美和子は少しばかり照れ臭そうに、首を横に振った。


「とりあえず、これで挟み撃ちにされることはなくなったな……」


 トラックをバックさせながら運転席から身を乗り出して後方を確認する山村。芒尾も美和子に断りを入れて、助手席の窓の外へと首を伸ばす。美和子の髪の毛から良い匂いがした。


 パトカーは田んぼの中へと落ちてしまい、今のところ中に乗っていた連中が降りてくる気配もない。先行して合流点の封鎖に向かった車は、恐らくこの事態に気づいていないのであろう。地道ではあるがずっとバックを続ければ、いずれは転回できる場所が見つかると思われる。


「今のうちにここを離れてしまおう。パトカーが田んぼに落ちたことに気づかれると面倒だ」


 トラックが転回するには明らかに足りないような気がするが、やや道路が広くなっているところで山村はトラックの転回を試みる。結局、何度も切り返しを繰り返し、時間をかけてようやく転回した。これまでずっと後ろ向きで走っていたトラックは、ようやく前を向いて走れるようになった。


「さて、どうしたもんか。しばらく国道に繋がる道のほうには近づかんほうがいいだろうし――」


 まだ合流点で待ち伏せをされている可能性は高い。パトカーを撃退することはできたが、だからといってすぐに村の外を目指すのは危険だった。


「だったら美和子を直斗のところに連れて行ってやりたいんだ。美和子の頭の傷も放っておいていいもんじゃないだろうし」


 そう言いながら視線を隣に移すと、助手席にもたれかかって吐息を荒げる美和子の姿に驚いた。呼吸をするのも随分と苦しそうだ。さっきまでそんな気配はなかったのに。


「美和子、どうした?」


 慌てて肩を揺さぶると、美和子は苦しげな表情を見せた。頭に手を当ててみると、人の額とは思えないほどに熱い。


「ダイちゃん……。寒い」


 遠くの山々から顔を覗かせた太陽の日差しが、美和子の唇を紫色に染める。気温的にはまだ肌寒い程度だが、美和子の体は小刻みに震えていた。どうやら、ずっと我慢していたようだ。大勝負に出ていた芒尾達には、言いたくとも言えなかったのであろう。気づいてやれなかった自分が情けない。額に手をあててみると熱かった。


「山さん、美和子の様子がおかしい。熱があるみたいだ」


 芒尾が言うと、山村は大きく舌打ちをする。


「確か頭をやられていたな? もしかすると、そのせいかもしれん。詳しいことは分からんが……」


 美和子は苦しそうに呼吸を繰り返している。頭を打っているだけに心配だ。


「次の行き先を相談する必要はなくなったな」


 山村はそう言いながらアクセルを踏み込んだ。猟銃に関してもそうであったが、当然ながら医療のことに関しても芒尾は素人だ。見た目は風邪で熱が出ているようにしか見えないが、もしかすると頭を殴打されたことによって、美和子にこのような症状が現れているのかもしれない。なんにせよ、一刻も早く専門の人間に診てもらうべきだ。


 一難去ってまた一難。どうやら厄日のようだ。いいや、それは芒尾に限ったことではない。美和子にとっても、山村にとっても――この村の人間全てにとって、厄日なのではないだろうか。


「あそこの若が寝訃成になっていないといいがな――。医院長の親父さんは、都会のほうに出張しているはずだし、若先生が頼りなんだが」


 加賀屋の父親が出張中なのは初耳であるが、美和子がこのような状態に陥っている以上、とにかく加賀屋医院まで向かってみるしかない。もし、彼が寝訃成になっていたらどうしよう――そんな当たり前の不安感もよぎったが、芒尾は首を大きく横に振った。確証はないが、加賀屋は無事なのではないかと思っていた。


「いや、多分だけど直斗は無事だと思う。山さん、断言はできないんだけど、分かったかもしれないんだ。寝訃成になってしまった人間と、そうではない人間の違いが……」


 役場の交差点手前で脇道にそれると、トラックは広大な畑のど真ん中に出る。このまま真っ直ぐ向かえば、加賀屋医院のある東部寄りの道へと突き当たるはずだ。


「その違いってのはなんだ?」


 寝訃成の存在は知っているものの、どのようなプロセスを経て、村がこのようなことになってしまったのかは山村も知らないのであろう。ギアを切り替えつつ悪路にトラックを走らせながら、問うてくる山村。


「俺、山さん、美和子には決定的な共通項がある。もちろん、確実というわけではないけど、もしかすると、かなりの確率で、昨晩【なか屋】にいた人間は、無事なんじゃないか?」

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