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突如として村の人間が気を狂わせ、他の人間を襲い始めるという現象。その根底的な原因は、今のところはっきりと分かってはいない。村で起きている異常事態の原因は、一切掴めていないのが現状である。
「確かに、ここにいる三人は、昨晩【なか屋】にいたという共通点があるな……。だが、あの晩【なか屋】にいた連中が、全員寝訃成になっていないという保証はない。ここにいる三人を基準に考えないほうがいいだろう」
芒尾の推測に、山村はいまいち納得していないようだった。そのような反応は当然のことであり、実際に穴の空いた推論であることは芒尾自身も分かっていた。
「あぁ、分かっている。事実……」
美和子の旦那である貴徳は、寝訃成になってしまった――。そう続けようとしたが、苦しそうに呼吸を繰り返す美和子の視線に、芒尾は言葉を飲み込み、別の言葉へとすり替える。
「事実、昨晩【なか屋】にいながら、寝訃成になってしまった人間もいる」
それが貴徳を指していることは明白であり、オブラートに包んで曖昧にしたところで、美和子にもしっかりと伝わってしまったことだろう。もう少し気を利かせた言葉選びができただろうに――。芒尾は自分の
「でも、ここにいる三人が無事なのは間違いない事実だ。そして、俺達と寝訃成になってしまった人間の違いは、昨晩【なか屋】にいたか否かということくらいしか思いつかない。だから、確実とまでは言わないけど、あの時一緒にいた直斗も無事だと思うんだ」
なかばこじつけになっているのも、芒尾は自覚していた。たまたま【なか屋】にいた人間が三人ばかり無事だったところで、それが寝訃成になった者とならなかった者のターニングポイントだったなど、三文推理小説でさえ出てこない推論である。きっと、何かを根拠にして、加賀屋が無事であると信じたかったのであろう。
「確かに、あそこの大将と女将は寝訃成になっていなかったからな――」
山村はぽつりと漏らし、明らかに失言をしたというような表情を浮かべた。窮地から助けてもらい、ここまで山村と行動を共にしているが、あそこの大将と女将――中町夫妻の話が出てきたのは、これが初めてだった。中町夫妻が寝訃成になっていなかったことを知っているということは、山村はどこかで二人に会っているはずだ。ならば、どうして中町夫妻はここにいないのか。どうして中町夫妻と会ったことを山村は伏せていたのか。
「山さん、誉志男と真美さんに会ったのか?」
そこに芒尾が食いつかないわけがなかった。美和子も苦しげながら、山村のほうへと視線を投げている。中町夫妻に会っていたのならば、どうして二人がここにいないのか。嫌な予感というものは当たる――。だからこそ、芒尾は最悪の状況を考えないようにしていた。
「……あぁ、会った」
しばらくして、明らかに重たそうに口を開く山村。芒尾の中にある最悪の状況が、抑えつけていても頭を覗かせる。
「それで……どうした?」
この先のことは聞きたくなかった。知らないままでいたいが、知らないままでいることが辛い。そのような葛藤と戦いつつ、しかし芒尾は聞かずにはいられなかった。
「お前さん達は、大将と同級生だったよな……。だから伏せていたつもりだったんだが、うっかり口が滑るとは、俺も随分とボケたもんだ」
山村はそこで言葉を切ると、何かを諦めたかのように溜め息を漏らし、そして決心を固めたかのごとく頷いて続けた。
「すまん――。助けられなかった。二人とも死んだよ」
なかば最悪の状況が見えていたとはいえ、山村の言葉は思っていた以上に衝撃的だった。全身の血の気が引き、頭がじんじんとうずいた。美和子は言葉を失い、瞳には涙を滲ませる。
ある日、ある時間、あるタイミングを境にして、日常と非日常が反転してしまった村。それでも、何とか必死に生き延びようとした結果、現在に至る芒尾達。芒尾はすでに両親の死を目の当たりにしており、弟が寝訃成になってしまった事実を背負っている。美和子も義両親の死と、寝訃成になってしまった旦那という残酷な現実を強いられた。そこに中町夫妻の死を受け入れるキャパシティーなど、もはや残っていなかった。
「ははっ……。嘘だろ?」
自然と笑いが出た。自分でもわかるほど、ぎこちなくてわざとらしい笑いだった。そんな馬鹿げたことは、笑い飛ばしてしまえ――そうしなければ、お前の心が壊れるぞと、芒尾の精神そのものが出した忠告だったのかもしれない。
「こんな状況で、そんな縁起でもない嘘がつけるほど、俺もボケちゃいない。二人は間違いなく死んだよ。俺がこの目で見届けた。冗談でもなければ、嘘でもない」
山村はそう呟くと、悔しさをぶつけるようにハンドルを叩いた。少し音程の外れた間抜けなクラクションが、辺りに響いた。
「そん……な」
ようやく絞り出したかのように美和子が呟く。芒尾は、ただただ呆然とすることしかできなかった。口頭で二人が死んだことを告げられても全く現実味がない。悪い冗談であって欲しいが、山村の様子から察するに事実なのであろう。しかし、簡単に受け入れられるものではない。
「これが現実なんだ。そして、寝訃成の恐ろしさだ。二人は寝訃成に殺された。だから、俺は寝訃成を殺さにゃならん……。これ以上、二人のような犠牲を出さんようにするためにもな」
山村はそう言うと、行き場の無い感情をぶつけるかのように、アクセルをベタベタに踏み込んだ。山々の間から顔を覗かせた朝日が、徐々に辺りを明るく染め上げる。もはや、精神的な容量を超えてしまっていた芒尾は、言葉さえも発せなくなっていた。
「急がないと、彼女も犠牲になってしまうかもしれん。整理ができなくて当然だろうが、今は加賀屋医院に向かうことだけを考えよう」
芒尾の推測に否定的だった山村も、うっかり口を滑らせたことに責任を感じているのだろう。芒尾の要望通りに、トラックを加賀屋医院――東部の集落のほうへと走らせる。これからどうするべきか、どこに向かうべきなのか。今の芒尾達に必要なのは指針であった。
沈黙に支配されたトラックの中に、美和子の荒い呼吸が響く。ハンドルを握りながら神妙な面持ちを浮かべる山村、そして中町夫妻の死を受け入れられずに、呆然と前方を見つめる芒尾。吹き込んでくる風とエンジン音にも随分と慣れたものだった。
途中で道を曲がると、そのままメインの道路を並走する形でトラックは先を急ぐ。遠くに見える集落の様子が、朝日に薄っすらと照らされて、芒尾達に現実を見せつけた。
「なんで……なんで、こんなことに。この村はどうしちまったんだよ」
集落の家々には火の手が上がっており、派手にひっくり返っている車も見えた。田んぼの畦道に倒れているように見えるのは、恐らく案山子などではないだろう。集落に面するメインの通りは、きっと阿鼻叫喚の地獄絵図に違いない。
「助けに行きたいが、今は加賀屋医院に向かうことを優先させよう。集落に入れば寝訃成に遭遇することも考えられる。スガヤドン――気持ちは分かるが、気をしっかりと持てよ」
夜が明け、その壮絶さを白日のもとに晒した赤沢村。開いてしまった地獄の門へと、美和子を救うべく芒尾達を乗せたトラックは飛び込んだのであった。
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