【《過去》平成12年4月16日 夜半 ―花巻太一―】1
【1】
ぼろぼろになった床と、ところどころ隙間の空いてしまった壁。持ち主を失ってしまった農耕具が散乱している作業小屋に、アルコールランプの灯りがぼんやりと灯っていた。
「はぁ? お前、あんな女が好みなの?」
「可愛いんだって。お前が知らないだけで、あいつ色々と可愛いんだって」
この作業小屋は、花巻太一、石野洋二、加瀬裕太、芒尾秋紀の隠れ家のようなものだった。持ち主は随分と前に亡くなっており、この小屋も人の管理の手を離れたまま放置されている。年端もいかぬ高校生である四人にとって、深夜に気兼ねなく集まれる隠れ家は貴重だった。もっとも、今日に限って、秋紀の姿はないわけであるが。
弟は欠席となったが、芒尾の兄が帰ってきたことを祝う会の後、嬉しいことに【なか屋】の美人女将に各家庭へと送ってもらった花巻達であるが、そのまま大人しく家に帰るような優等生ではない。事前に打ち合わせていた通り、家には帰らずに隠れ家へと集合した。
石野と加瀬の家は近所であるため、隠れ家には徒歩で。花巻だけやや離れた場所に住んでいるため、つい先日買ったばかりの中型バイクで、この隠れ家へとやってきた。それぞれの家族は寝静まっているだろうから、夜が明けるまでには帰ればいい――。そんないつも通りの軽い感覚で。
この年頃はどういうわけか、意味もなく深夜の集会を好む。花巻達も例外ではなく、よく家を抜け出しては、ここに集まっていた。だからといって何をするというわけでもなく、どうでもいいような話を、のらりくらりと展開させるだけなのだが。
「俺は美和子姉ぇがいいなぁ……。なんて言うんだろう。大人の魅力ってやつ?」
三人の今回の議題は、もはや修学旅行の深夜定番の、好みの女性に関してだった。それを議論したところで、結局のところ好みは人それぞれであるから結論は出ないのだが。
「馬鹿か。美和子姉ぇは人妻だぞ。それに、お前なんて相手にされないって」
芒尾を含む花巻達は、幼い頃から高校まで一緒の腐れ縁だ。村に高校はないため、今は街の高校へと通っている。
時刻はすでに午前2時を過ぎていた。送ってもらったのが日付の変わる前だったから、そこから集合する時間を差し引いても、実に二時間程度話し込んでいることになる。そんな三人の手元には、花巻が家からくすねてきたブランデーの注がれたグラスがあった。
せっかくだからと持ってきたものの、これのどこが美味いのか分からないというのが、花巻の素直な感想だった。ただただ喉が焼けるように熱くなり、それが胃へと落ちて行く。後には何とも言えない匂いが残るだけだ。
背伸びをしたくて酒を呑んでみたことは何度もあるが、ブランデーというものがここまで不味いものだとは思わなかった。これならば、まだ日本酒やビールのほうが呑めるような気がする。石野と加瀬の口にも合わないらしく、注いだはいいもののグラスの中身はほとんど減っていなかった。けれども、アルコールのせいか、体が少しばかり火照っているような気はした。
もはや話題も尽き、自然と解散の流れへとなりそうな雰囲気になっていた頃のことだった。雨も弱まり、これまた格好をつけるためだけにつけていた腕時計の針が午前3時を過ぎた時分。外のほうから車のエンジン音のようなものが聞こえてきた。年月が経過し、隙間ができてしまった壁から光が差し込んでくる。多分、車のヘッドライトであろう。
「お、なんだ……」
話題も尽きていた花巻達は顔を見合わせ、当然のなたりようにそっと作業小屋の扉を開けて外を伺った。トーテムポールのように連なり、少しばかり開いた扉の隙間から外を眺める花巻達の姿は、ちょっとした怪談話ができあがってしまうほど、外から見たら気味の悪いものだったに違いない。
外は小雨になっているものの、いまだに雨が降っている。案の定、小屋の少し手前で車が停車しており、ヘッドライトの筋を小雨が浮き上がらせていた。一台だけではなく、二台で連なってやってきたようだ。
「もしかして、俺達が無断でここを隠れ家にしているのがばれたのかも……」
三人の中では最も気の弱い加瀬が呟くと、石野がそれを鼻で笑う。
「お前、びびってんの? ここの持ち主はもう死んでるんだし、ばれても問題ないだろうよ」
「いや、もしかして持ち主の怨霊が、勝手に使ってる俺達に怒ってやってきたのかも」
花巻が茶化すように言うと、石野が間髪入れずに返してくる。
「わざわざ車に乗る現代的な幽霊なんているわけないだろう。裕太、真に受けんなよ」
石野の言葉に、加瀬が本当に嫌そうな声で続いた。
「太一……。本当に俺、そういう話は苦手なんだから。やめてよ」
花巻、石野、加瀬の三人は、そんな会話を交わしつつ、真夜中にやってきた二台の車の様子を伺う。先頭の車の運転席が開き、人影が飛び出してきた。それを見計らっていたかのごとく、後続の車の運転席と助手席から影が飛び出す。
好奇心は猫をも殺す――そんな海外のことわざがある。猫は九つの命を持つとされているが、そんな猫でさえ死んでしまう。転じて、何事にも興味を持って首を突っ込んでばかりいると、命が幾つあっても足りないことを意味している。
花巻達は正しく猫だった。ありきたりの日常には飽き飽きしていて、常に刺激を求めている。思春期にはありがちなことであるが、しかし花巻達が首を突っ込もうとしているものは、いささか刺激の強いものだったのである。当たり前だが、そんなことは知らずに、小屋の外で動く人影を食い入るように目で追う三人。
後続の車から飛び出してきた影が、先頭の車から飛び出した影に追いついた。先頭の車から飛び出した影は女性のようで、肩を掴まれて押し倒されると奇声を上げた。
「優勝! お前優勝!」
肩を掴んだ影がわけの分からない言葉を叫び、もうひとつの影が何かを振り被る。それが振り下ろされると同時に、鈍い音が周囲に響いた。女性の奇声が悲鳴に変わる。
「おい、これってやばいんじゃないか……」
その光景を見た石野が声を震わせた。三人の中でも特に気の強い彼の、こんな怯えた声を聞いたのは、村で有名なカミナリ親父である山さんの盆栽を割ってしまった時以来だ。あれが小学生の頃だったから、随分と久しいことになる。
逃げることができないように馬乗りになった影と、それによって動けなくなった女性の頭に、鈍器らしきものを振り下ろす影。血飛沫らしきものが、ヘッドライトの筋の中で弾けたように見えた。
「このままじゃ、あの女の人が死んじゃうよ。助けよう」
気が弱い割に、困っている人は放っておけないタイプの加瀬が呟く。花巻も加瀬の意見には同意したかったが、相手は大人であろう上に凶器を持っているし、しかも一人ではない。下手に飛び出して返り討ちにされたら洒落にならなかった。
「馬鹿、あっちは凶器を持っているんだぞ。下手に助けに行って俺達がやられたらどうするんだよ」
石野が花巻の代弁をしてくれた。結局、高校生である花巻達にできることは、その一部始終を眺めることだけだった。
どれくらい、二人の大人による暴行が続けられたであろうか。女性らしき影は倒れたまま動かなくなり、ふたつの影は肩で息をしながら倒れた女性を見下ろしていた。
「寝訃成狩り大会……優勝」
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