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 またしても意味不明な言葉を呟くと、片方の影がもう片方の影の肩を叩いた。女性らしき影は倒れたままぴくりとも動かない。


 死んだ――。いいや、ふたつの影が結託して殺したのだ。人が殺されるシーンは映画やドラマなどで何度も観たが、いざ現実として目の当たりにすると、やはり血生臭くて生々しい。体の血の気が一気に引き、指先がぴりぴりと痺れた。


 凄惨な場面に遭遇してしまった三人は言葉を失い、ただただ見つからぬように息を潜める。しばらくすると影は車へと乗り込み、エンジン音と共にどこかへと去って行った。そこに残ったのは、倒れたままのシルエットと、エンジンがかけられたままの車、そしてとんでもないものを目撃したことを後悔する花巻達だけだった。


 ふたつの影が乗り込んだ車のテールランプが見えなくなると、誰よりも気が弱いはずの加瀬が扉を押し開いた。


「まだ生きてるかもしれない……。助けなきゃ」


 飛び出した加瀬に続いて花巻と石野も飛び出した。本当ならば何も見なかったことにして逃げ出したかったのだが、加瀬の意外な度胸に突き動かされた。それには見栄も混じっていたのかもしれない。


「大丈夫ですか? ねぇ、大丈夫ですか?」


 倒れていた影に駆け寄って、迷うことなく女性を抱え上げる加瀬。ちょうどヘッドライトの明かりが当たり、血にまみれた女性の顔が映し出された。散々殴打されたせいか原型を留めていなかったが、やはり女性のようだった。胸の膨らみと格好が、それを物語っている。


「……生きてる。太一、洋二、まだこの人、生きてるよ!」


 その胸の膨らみに耳を当てた加瀬は、恐らく心臓の鼓動を確認したのであろう。あれだけ殴打されたというのに、女性は生きているようだ。


 恐る恐る女性の顔を覗き込んでみる。すると、女性が目を見開いた。しかし、視点が定まっていないようで、眼球がぎょろぎょろと動き回っている。正直、気味が悪かった。


「先生を――加賀屋先生を呼んで来てくれよ! まだこの人、助かるかもしれない」


 加瀬の言葉は、この中で唯一免許を持っていて、しかもここにバイクで乗りつけた花巻へと向けられていた。


 女性がいびきをかきだした。それも、耳を塞ぎたくなるほどの大いびきをだ。相変わらず目はぎょろぎょろと動き回っているし、医者に診せても手遅れのような気がする。だが、ここから離れたい一心だった花巻にすれば、加瀬の言葉はありがたかった。人助けをしたいのではなく、ここから逃げ出す口実――。実に情けないことであるが、ここで冷静に対処できている加瀬のほうが不思議なのだ。石野なんて呆然と女性を見下ろすのが精一杯で、言葉ひとつ漏らせないでいる。


「分かった。俺が加賀屋の先生を呼んでくるから、お前達はここで待ってろ。すぐに戻ってくるからよ!」


 花巻はポケットの中からバイクの鍵を取り出すと、石野と加瀬を置いて駆け出した。女性が助かるとは思えない。けれども、どこかで助かると信じて動いているのだと花巻は思いたかった。あまりのことで混乱していたが、二人を置いて逃げ出すのではないと必死に言い聞かせた。膝が震えているのか、わずかな距離なのにもかかわらず転びそうになった。それでも、なんとかバイクにまたがると、ヘルメットをかぶってエンジンをかけた。


「太一! できるだけ急いでくれ!」


 石野が放った言葉は、この女性の身を案じてのことだったのか、それともこの場に加瀬と残されることに対しての恐れから出たものだったのか。花巻には分からないが、とりあえず頷いてからスロットルを回した。女性が乗ってきた車の脇をすり抜けて、花巻は小雨の降る闇の中へと飛び出した。


 花巻達のいた作業小屋は、西部の渓谷側。心許ない外灯が照らす農道を、花巻のバイクが駆け抜ける。加賀屋医院は東部の奥だから、まるで真逆のに走ることになり、距離もそれなりにあった。


 小雨で濡れる顔を拭いながらバイクをひた走らせ、花巻はようやく畑だらけの農道から西部の集落に出る。西部にはいくつかの集落があるのだか、メインの道路が通っているのは、この集落のみ。ここさえ抜けてしまえば、中間地点である役場前交差点はすぐ近くだ。だが、集落に入ってから明らかに空気がおかしい。こんな真夜中なのに電気がついている家々が見受けられ、外を出歩いている人間の姿さえ見える。道端に人のようなものが倒れているように見えたのは、気のせいだと自分に言い聞かせて、花巻はスロットルを握り込んだ。


 何か妙なことが起こっている。それこそ、ありきたりの日常からは考えられないことが。何も知らない花巻がそう感じてしまうほど、集落は異様な雰囲気に包まれていた。


 集落を抜け、役場前の交差点を一気に突っ切った。役場のほうが明るかったが、異様な空気もあり、とにかく加賀屋医院に向かうことしか考えないようにした。


 できる限り集落は通りたくない。直感的に思った花巻は、交差点を通り過ぎると、一本外れた脇道へと進路を変えた。メインの道を進むのが近道であるし、路面状況も良い。一方、花巻が進路をとった農道は狭く、整備もろくにされていないような砂利道であり、加賀屋医院に向かうにも遠回りになってしまう。それでも、今は人が集まりそうな集落よりも、誰もいないような農道のほうが安心できるような気がした。


 細い砂利道を、しかし可能な限りスピードを上げて突き進む。しばらく進むと一本向こう……メインの道路のほうが赤く燃え上がっているのが見えた。家事だ――。花巻はバイクを停め、そちらのほうへと言葉を漏らした。


「燃えているのって【なか屋】じゃ……」


 そこは、つい数時間前まで花巻達も世話になっていた店。酒は呑ませてもらえなかったが、美味い料理を食った店。そこが炎を上げているのだ。村で奇妙なことが起きている象徴のように思えた。


 とにかく【なか屋】に向かってみよう。花巻が進路をメインの道路へと戻そうとした刹那、その【なか屋】のほうから乾いた音が響いた。それは村の運動会開催を告げる早朝の花火のように安っぽいものではなく、もっとずっしりと重たい音だった。害獣駆除を行うシーズンに、村中へと響く銃声に似ていた。


 漫画やアニメなら、何事かと現場に急ぐのであろうが、ごくごく普通の高校生である花巻は、すっかり怖気づいてしまった。結局、花巻は炎上する【なか屋】を尻目に、その場から逃げるようにしてバイクを走らせることにした。どこか罪悪感のようなものはあったが、顔にまとわりつく小雨と一緒に拭い去り、ひたすらに加賀屋医院を目指した。


 目印の地蔵があるところで、花巻は再びメインの道路のほうへと方向を転換する。このままメインの道路へと出れば、加賀屋医院はすぐそこだ。


 まさか加賀屋医院も、この村の異様な空気に包まれているのではないか。そんな不安を抱きつつもメインの道路へと出た花巻は、一目散に加賀屋医院へとバイクを走らせた。


 昔から村で医院を営んできた加賀屋医院は、コンクリートや鉄筋やらが主流となりつつある時代であるにもかかわらず木造建てだった。白を基調とした壁と屋根。玄関先には【加賀屋医院】と、古びた木製看板が掲げられている。世の中の目から見れば、医院というより診療所に近いだろう。


 加賀屋医院の明かりは点いていた。もしかすると非常灯なのかもしれないが、医院の窓からは弱々しい明かりが外へと漏れている。花巻はバイクを降りると医院の玄関先まで走り、扉を勢い良く叩いた。


「先生! 先生! 大変なんだ。起きてくれ!」


 中からカーテンがかけられた扉の窓を、それこそガラスが割れんばかりの勢いで叩く。加賀屋医院は集落から離れており、周囲に民家もない。村に漂う異様な空気も感じられなかった。


 呼びかけを続けていると、カーテンにシルエットが映り、かちゃりと鍵が外される音がした。中から出てきたのは【なか屋】で会った時と同じ格好に、ただ白衣を羽織っただけの加賀屋であった。

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